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予防と健康管理レポート
【水俣病(メチル水銀中毒症)とその末梢神経障害について】
1. はじめに
今回、予防と健康管理の授業2回にわたり、水俣病患者の方のビデオを見させていただき、知らなかった事の多さに驚くとともに、今までその詳細をほとんど知らなかった病気について、調べる機会を得ることができた。
今回のこの機会を無駄にすることなく、その発生原因、症状、対策等について詳しく考察していきたいと思う。
さらに自分の考えをしっかりもつ事も、将来医師になるものには必要不可欠であると思うので考えをはっきりもち、それを述べたい。
自分の調べた事の、レポート上での表現方法なども学ぼうと思う。
2. 選んだキーワード
「中毒」と「末梢神経」
3.選んだ論文の内容と概略
水俣病の公式発見は、1956年5月1日とされているが、チッソ水俣工場のアルデヒド産生工場内でメチル水銀が生成された真の原因は助触媒の変更にあったとのことである。すなわち、1932年からアセトアルデヒドの産生が開始されていたが、1951年8月以降、水銀触媒の活性維持に用いる助触媒を、それまで使用していた二酸化マンガンから硫化鉄(U)に変えたことにより、メチル水銀生成が急増して水俣湾に排出された。
1953年頃から神経症状を持つ患者が発生し始めているのは、この助触媒を変更したこと原因であることが実証された。工場からのメチル水銀排出は、政府統一見解の出された1968年まで続いたのである。
この17年間の大量のメチル水銀が水俣湾の魚介類を汚染して、食物連鎖でヒトやネコがメチル水銀中毒症に疾患したのである。
その後、魚介類の汚染は激減しており、1976年以降の患者発生は見られない。
この事実は慢性発症水俣病の概念を変えるものであり、長期経過の水俣病患者は、高濃度汚染時期にメチル水銀中毒症に疾患した後遺症にすぎないと考えられるに至った。
1968年に水俣病の原因がメチル水銀中毒症であると公的に認められるまで、さまざまな原因説が出されたが、1959年にはすでに熊本大学医学部水俣病研究班が有機水銀中毒であるとの見解を出していた。
当時、熊本大学医学部病理学教室の武内忠男教授らが、病理学的に有機水銀中毒であることを実証していた。
その直後に、チッソ社内ではアセトアルデヒド工程の排水を使ってネコ実験が開始され、チッソ附属病院の細川らのネコ実験があり、2001年に初めて英文論文として公表された。
高濃度メチル水銀の影響で初期病変としての脳浮腫が招来され、脳障害の選択性が出現し、臨床症状で注目すべき視野狭窄の発症機序も解明された。
四肢末端の感覚障害が汚染時期が限定されたことにより、末梢神経の再生によって改善することも判明した。
次に今述べた神経障害についてであるが、水俣病患者の感覚障害は、中枢性(中心後回)病変によるものと脊髄末梢知覚神経病変に由来する2つの因子が考えられる。
中枢性病変の関与に関しては、全身性の感覚鈍麻が生じると考えられるが、水俣病の初発症状である四肢末端の感覚障害への関与については明確ではない。
メチル水銀中毒実験では、サル、ブタ、ラットでは明らかに脊髄知覚神経病変が観察されている。
水俣病剖検例でも、前根神経(運動神経)に比較して後根神経(知覚神経)の病変が、より強い病変を呈している。水俣病剖検例では、メチル水銀汚染時期によってその病変が異なることに注目する必要がある。
しかし、剖検例の検索では完全再生像の証明はできなかった。
4.選んだ論文の内容と、ビデオの内容から、自分自身で考えた事を、将来医師になる目で捉えた考察
今回のビデオと論文から水俣病について調べた結果、水俣病の感覚障害においては、中枢性のものと末梢性のものが考えられるが、サル、ブタ、ラットを用いた実験では明らかに末梢知覚神経の病変が確認されている。
末梢知覚神経が障害されているので、2次障害である四肢の切断や、QOLの低下が懸念される。このような障害のみならず、多くの患者はそのまま病気が進行していき、死に至る事が多い。
しかし、病変を抱えたまま、長期にわたり生存した患者においては(発症から20年以上経過した患者)その末梢神経は完全に再生している。
神経系統の病気の治療は手段が少なく、存在する治療も確実なものはないが、現在急激にその研究が進んでいる遺伝子治療も注目すべき点であると考える。
遺伝子治療は個人個人でさまざまな症状が存在する中、その患者に1番合った治療をするので、簡易な病気から重篤な病気まで、全ての病気において効果的に活用できると思う。
しかし、このような考えは公害病においては少し見当外れであるとも考えられる。
水俣病については、その原因、原因物質まですべて解明されていて、実際その対策が実施されてからというと、新たな患者の報告はないと言っていい。公害病というものは、病理学的見解から解析するよりも、衛生学的見解から解析したほうがその実体にふれることができるのではないかと考えた。もちろん、その原因を公害病であると判明させるために病理学的な研究が大きなウェイトを占めていたことは衆知の上である。
今述べてきたように、今でこそ水俣病についての研究が進み、ほぼ全貌が明らかになったように思われるが、実際に患者が続出していた時期、1950年代、1960年代においてはその原因や、症状がはっきりと解明されていなかったため、自分が水俣病であると思い、診察をうけた患者の中には、実際水俣病であるにもかかわらず、その診断が得られず、国から十分な補助をうけることなく亡くなっていった方が大勢いる。
病気のことが十分に分かってから国も対処したが、ピークの時期からは何十年も経過しており、それでは双方の話の折り合いがつかないのは当然である。
水俣病のような公害病は日本で初と言っていい規模のものであったため、このように対策が遅れたのは仕方がないと言えばそれまでなのだが、どのような病気、それが公害病であるにせよ、伝染病であるにせよ、迅速に対応できるように体制を整えておく事も、医療機関や国の重要な役目であると感じた。
さらにその危険性、安全性をいち早く研究し、それを国民に偽りのないように伝えることも重要な指名である。(誤った危険性を国民に認識させてしまうと、ライ感染予防法が発布されたときにハンセン病患者が受けたような、差別や過剰な政策を取りかねない。)
5.まとめ
今回このような、1つの病気についてさまざまな方向から考える機会は普段あまりなく、1つの事象は一面からのみ見がちである。
これは大変危険な事であり、その裏面には必ず認識しておかなければならない事実が隠れているという事を知りました。
今回の水俣病の件でいえば、極端な話でいえば、「病気は治療するもの」という観点からのみで話が進んでいくと、その原因であるメチル水銀による水質汚濁やチッソ社の水銀触媒の変更が原因であるということも分からなかっただろうし、「その原因を追求し、新たな患者の発生を防ぐ」という観点からのみでは、すでに水俣病を発症している患者のQOLはどうなるのか、という話になってくる。
しかし、実際にはこのようなとんでもない事態は起きず、原因の追求と治療法の研究、双方が同時に行われてきた。
近年、よく耳にする「チーム医療」という言葉があるが、それは病院内でさまざまな専門の先生が集まって、症例を検討するだけのものではなく、大きなくくりで、「原因の追求と対策」と「治療方法の研究」、「後遺症が残った方のQOLの確立」など、多方面から病気に迫っていくことでもあると感じた。
終わり