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「予防と健康管理ブロック」レポート
1、 はじめに
今回、大槻先生の授業で水俣病に関するビデオを見て自分自身何を感じて将来どのような医師になりたいかの方向づけにレポートを書いてみました。
2、 選んだキーワード
感覚障害 中毒
3、 選んだ論文の内容と概略
一つ目の論文のタイトルは、「水俣病患者の末梢神経−感覚障害の責任病巣をめぐって−」です。水俣病患者の末梢神経について、当時の進歩発展した適切な組織病理学方法を応用しないで、しかもコントロールなしに異常ありと誤った論文が発表された。1953年以降に発生した水俣病事件と、末梢神経研究の進歩に関係した主要文献を併記することにより、水俣病患者の末梢神経に異常ありという結論が誤りであることを明らかにするためにこの論文は発表された。末梢神経の電気刺激で発生する極めて微弱な活動電流も末梢神経障害を診断する検査として応用されるようになった。手の痺れでもっとも多い原因は、正中神経や尺骨神経が局所的に圧迫をされて起こる手根管症候群または肘部管症候群であるが、活動電位振幅の低下と伝導速度の遅延が見られる。また、糖尿病性ニューロパチーをはじめとした臨床的にポリニューロパチーと診断された症例について、下肢の概則膝下神経の活動電位を導入した結果、高度の振幅低下と伝導速度遅延が見られた。イラクに発生したメチル水銀中毒症について電気生理学的検査が応用され、中毒患者19例の正中神経および外側膝下神経の活動電位振幅と伝導速度はすべて正常であったことが明らかにされた。これは、末梢神経の障害患者にはありえないことである。よって、病変部位は、中枢神経系にある。また、有髄神経の軸索および髄鞘の変化を観察する"ときほぐし線維分析法"と、末梢神経の障害に伴って必ず起こる有髄神経数の減少を定量的に示すための"有髄線維密度の測定法"が確立された。慢性発症水俣病患者と正常人に電気生理学検査と組織病理学的検査を行ったところ、水俣病患者に下肢末梢部分に触覚、痛覚、振動覚および位置覚に明らかに異常が認められたにもかかわらず、ときほぐし線維分析結果および有髄線維密度は正常人となにもかわらなかった。イラクにおけるメチル水銀中毒症と同じく、表在感覚障害の責任病変部位を末梢神経で説明することは不可能で、中枢神経系にあると結論された。ここで、disease controlとして糖尿病患者の表在感覚障害と末梢神経をテーマとして水俣病の主要徴候である表在感覚障害の責任病変部位を理解するためには、糖尿病の合併症である末梢神経障害、すなわち、糖尿病性ニューロパチーをdisease controlとした比較研究が必要であると考えられた。これを証明するために実験を行い、次のような結果が得られた。水俣病の表在感覚障害を糖尿病性ポリニューロパチーに見られるそれと比較検討した。その結果アキレス腱反射の低下または消失の頻度は、糖尿病よりも水俣病で極めて低いこと、また、糖尿病患者に見られる触覚の鈍麻または脱失は、脾腹神経活動電位振幅の高度の低下、すなわち、大径有髄線維密度の高度の減少した症例にみられることが明らかにされた。水俣病の脾腹神経に異常ありとする報告では、いずれも有髄線維密度が記載されていない。したがって、水俣病の表在感覚障害を説明できるほど脾腹神経密度の減少があったか判断不可能であるが、アキレス腱反射正常の頻度が糖尿病患者よりもはるかに高かったことから、水俣病にポリニューロパチーに相当する末梢神経障害はなかったと結論される。
二つ目の論文のタイトルは「医学における因果関係の考え方と水俣病」である。この論文の概略は、四日市公害では、審査会の委員の半数近くを疫学者が占めていた。一方、水俣病問題では、疫学者が認定審査にほとんど関与してこなかった。とりわけ水俣病問題において重要な昭和50年からの水俣病認定検討会、昭和60年医学専門家会議にはまったく疫学者の関与はなかった。そのためか水俣病においては、医学における病気の診断や因果関係について、基本的な整理がなされないままとなった。公害問題においては一般に「因果関係」が問題とされてきたのにもかかわらず、水俣病においては、ほとんど「診断」ばかりが論争されてきたのは、このことが関係しているように思える。医師による「診断」という行為は、症候論的病名の有無を入念な問診・診察により判断することである。一方「水俣病の診断」はこの症候論的病名の判断のあとのメチル水銀曝露と四肢末端に優位な感覚障害の因果関係の吟味の問題なのである。医学論争が混乱した重要なキーポイントの一つは、「水俣病(メチル水銀中毒症:原因論的病名)」の診断と「感覚障害」等々の症候論的病名を混同してきて用いてきたために、病因と症状との間の因果関係の判断におけるこの2種の病名の違いが明確に理解できていなかった点にある。病名には、症候論的病名と原因論的病名がある。症候論的病名とは、患者の主訴や症候に基づく病名をいう。たとえば、糖尿病、肺がんなどである。これら症候論的病名の中には病因物質がはいっていないのである。一方、原因論的病名とは、たとえば、肺結核、赤痢、鉛中毒などである。病名の中に病因物質が入っている病名である。原因論的病名をつけるためには、必ず、症候と病因との因果関係を証明する必要がある。因果関係の証明なくして病名をつけることはできない。52年判断条件は、有機水銀中毒症という病名ではなく、「水俣病」という病名を使用している。水俣病を、症候論的病名を組み合わせることにより判断している。しかし、水俣病は、有機水銀中毒症であって原因論的病名であるから病因と症候との因果関係を証明する必要があるため、症候だけでは、判断できないから、52年判断条件のように単に症候論的病名を組み合わせても水俣病の診断はできないことになる。この病因と症候との因果関係を証明する医学が、疫学である。ほぼ診断に相違のない症候論的病名を科学的根拠もなく組み合わせたために生じたのである。因果関係の問題すなわち疫学は、このように集団から得られた利用可能なデータから厳密に算出され吟味されて論じられ、個人の蓋然性の算出にも利用されるのである。複数回の観察から得られたデータを、ある個別の蓋然性の予想に用いることは、医学に限らず他の自然科学の分野においてもしばしばなされている通りである。医学において、疫学調査により非曝露群と比較して曝露群において、当該疾病が増加していることがデータにより確認されることによって、その曝露と疾病の因果関係は認められることになる。医学における因果関係は、原因物質に曝露しなかった人に比べて曝露した人に当該疾患が本当に増えるということが、誰にも認められることにより決定するからである。水俣病でこれまで生じてきた因果関係に関する混乱は、医学における因果関係に関する基本的考え方が学習されていないがために生じたものである。疫学的分析により定量的な数字を題材にして議論しなければ、「臨床医の豊富な経験」のみに頼ることとなる。これでは意見摺り合わせが具体的にできず、意見が異なれば、合意を得ることは困難となる。疫学分析によって定量化されている情報が一番比較可能性があり、これ以上の方法論は医学上は今のところないのである。
4、 選んだ論文の内容と、ビデオの内容から、自分自身で考えたことを、将来医師になる目で捉えた考察
二つの論文と二本のビデオを見て思ったことは、すべてにおいて遅いというのが印象的でした。たとえば原因がわかるまでに時間がかかったり、国の補償も遅い。どの裁判をみても私が、よく思うのは、障害を持った人には一生の話なのに一回いくらか払えばもう終わりのようなところが納得いかない。裁判までも時間がかかるのにそのときだけしか保障されないのが納得いかない。ビデオを見ていてあるドクターが診断書にメチル水銀中毒症としか書けず水俣病とは書けないと言っているのが印象的でした。国が出した規定の障害が認めらなければ水俣病として認定されないためメチル水銀中毒症としかかくことができない。このことは私が医者になってから何もできないが、まだ自分なりの関わり方や考え方は浮ばないがもっといろいろ触れて考えていきたい。次に見たビデオが私なりの関わり方の参考になるきがします。次のビデオの中心的なテーマは、オーダーメイド医療である。これは、遺伝子レベルの話でさまざまな病気は個々の遺伝子によるものだと考えである。たとえば、高血圧ですら遺伝子によるものだと思われるので、これに起因すると思われる遺伝子に正常に働くようにすると解消されるのだ。またほかに、この遺伝子治療の利用される場は、薬の分野だ。薬には、主作用と副作用がありしばしば主作用以上に副作用に影響がでることがある。これを防ぐために副作用の量を操作してあたえることが行われる。今日の医療は、日進月歩でどんどん進歩してきているので今までとは違い自分たちの手で治せる病気は増えてきたが、治せない病気も増えてただ発症を遅らしたりする程度の治療しかできないのが現実である。もう今まで神の領域といわれるところしか手を出せなくなった。これの代表的な例といってもいいのがオーダーメイド医療、遺伝子治療である。世間では、これに関しては賛否両論あるが、私は、この医療は確立すべきであるし自分もそういう分野で働いてみたいと思う。エイズなどまだ完全に治るような治療法が確立されていないので、実際自分の親族にそういう状態になったときにやはり倫理など言っていられないと思う。
5、 まとめ
私たちは、水俣病に関して原因や症状程度しかしらないが、この疾患にどれだけの社会的背景や因果関係がはっきりしているかなどということは何も知らない。ただ論争がながびいていることしか知らなく、たまにテレビで水俣病についてでてくれば、まるで自分が知っているかのようにふるまう。確かにいままで小、中、高と公害の一つとしてしか知らなかったし、中学生時代自分自身も水俣病について発表したことがあるが、それもなにも水俣病の本質からはずれていた気がする。論文をはじめて読んで理解できないとこもあったが、実際こういう機会がないと読まないと思うので、いい経験なった。もっと一つ一つの疾患をその病態だけでなく背景を見ることが必要だと思った。