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オーダーメイド医療にみる現代の医療
はじめに
このレポートは大槻教授の講義、予防と健康管理ブロックの課題として取り組んだ。その課題は下記の選んだキーワードを含む英語論文と4月14日の講義で観たオーダーメイド医療についてのビデオの内容からレポートを作成するものである。4月7日の講義で観た水俣病についてのビデオは選んだキーワードと関係性がないと判断し、考察の参考にはしなかった。
選んだキーワード
SNP tuberculosis
選んだ論文の内容の概略
インターロイキン10(IL10)は、リンパ球の複製と炎症性のサイトカインの分泌を妨げる強力なTH2-細胞サイトカインである。結核(TB)の臨床症状であるインターロイキン10の多形性の遺伝子群が臨床結核感染症(n = 459)と正常対照(n = 871)の多数の患者で調べられた。その結果、1つの一般のプロモーターSNP(IL10-592 A>C)は、結核発症が減少することとはっきりと関係しているとわかった。Cを含んだ遺伝子型の頻度は、臨床結核感染症患者より正常対照の方が高かった。IL10-1082A>Gの遺伝的影響の概要、つまり他の近くのプロモーターSNPは、他の人種集団においてまた報告されている。
考察
最近、オーダーメイド医療という言葉をよく聞くようになった。それは医療従事者の間だけでなく新聞・テレビなどのメディアを含めた一般社会においてでもある。なぜ今オーダーメイド医療が話題になっているのか、オーダーメイド医療とSNPの関係、オーダーメイド医療の患者にとっての利益・不利益などについて述べることにより、現代の医療そのものの本質を明らかにする。
そもそもオーダーメイド医療とはどのような医療なのか。簡潔にいうと、個々人に最適な予防法や治療法を可能にする医療行為である。元来、医療というものはその行為が本当に効果的であるかどうかわからなくてもとりあえずやってみよう、それでよくならなければ次に何かやろうという志向のものであった。これは医学の発展がこのようなことの積み重ねの上に成り立っている以上仕方のないことである。歴史上、非人道的とされてきた数々の人体・動物実験を肯定するわけではないが、そのような実験が成果を出してきたことも事実である。
そこで、そのようなリスクのある行為を最小限にするべくなされていることがオーダーメイド医療である。そのオーダーメイド医療を可能にしたのがヒトゲノムの解析であり、SNPの研究である。近年、遺伝子の研究が進み2000年にヒトゲノムの解析が完了した。それによって遺伝子と個々人の体質との関連性の研究が可能になった。その中のひとつにSNPの研究がある。
SNPとはsingle nucleotide polymorphismの略で一塩基多型のことである。つまり個々人における遺伝子の塩基配列中の一塩基の違いを意味する。遺伝子の塩基配列はひとつの生物種集団中でもかなり多くの部位で異なっているが、遺伝学的には塩基の違いがひとつの集団内で1%以上の頻度で存在するとき、それを多型と定義しており、SNPはその代表である。
SNPと様々な体質との関連性を統計的に調べることにより、疾病を起こす仕組みが遺伝子レベルで解明されているのである。つまり、人の姿・形はもとよりある病気のなりやすさ、薬の利きやすさ、副作用の出る強さまで遺伝子からわかるようになってきているのである。このような根本的な疾病の解明が進み、それに対応して疾病の予防・治療、薬の開発が可能になっているのである。選んだ論文は、結核の特徴であるインターロイキン10の産生を調節している遺伝子の塩基配列が結核患者と非患者で異なることを示唆するものである。そして、この研究がさらに進めば、結核患者個々人に対する副作用のすくない抗結核薬の開発が可能となる。これはまさにオーダーメイド医療の実現であり、遺伝子の研究が臨床の現場にいかされることをあらわすものである。
もちろん病気のなりやすさは環境要因が大きいといわれているが、遺伝子的な病気のなりやすさが解明されれば、予防するために環境を変えることも可能である。高齢化社会に伴う医療費の増加を食い止めるという意味でも、QOLの向上を図る意味でも、最高の予防が実現されるのである。
このようにオーダーメイド医療は可能になりつつあるが、これは論文でもあるが基本的に患者からゲノムDNAおよび血清試料を採取することによってはじまる。このような研究は多くのデータによって成り立っているので、必然的に膨大な数のデータを扱うことになる。個々人の遺伝子の情報というのは究極の個人情報であり、漏洩すれば悪用されることもあり慎重に扱うべきものである。
そもそも、この究極の個人情報はどのように採取されるのだろうか。まず、メディカルコーディネーターがオーダーメイド医療について問題点も含め説明をし、協力を得られしだい採血をすることから始まる。そして、採血された血液は個人情報を匿名化した上で各研究機関に集められ研究される。この個人情報の匿名化が非常に重要なことで、このように個人を特定する情報と個人の遺伝子の情報が同居しいないようになっているのである。
遺伝子情報の収集の過程で重要なことはなんといっても患者に対する説明である。個々人の血液が研究に使われたとして、その情報は匿名化されているので患者自身には直接の利益は何もないのである。その上で、協力を求めなければならない。また、協力を拒否しても不利益がないこともしっかり伝えなければならないのである。つまり、患者を不安にさせるようなことがあってはならないのである。まだ、医者の患者に対する父権主義がなくなったとは言えない医療業界において、メディカルコーディネーターが患者に説明をするということは、健全な医療をおこなうという観点からみれば重要なことである。
医療とは病気の原因を解明することに始まる。そして、病気の原因が解明されればそれを通して診断法・治療法を開発し実際に患者に応用するのである。病気の原因を解明するために医者・その他の分野の研究者は日々努力している。その病気の原因の解明では遺伝子の研究というのは画期的なことであり、遺伝子の研究のおかげでその病気の細かいところまでわかるようになったのである。病気の原因の解明が進み、科学的に原因が証明されれば、それだけしっかりした医療を患者に提供できるのである。
現段階では、オーダーメイド医療はまだ始まったばかりで、その情報の取り扱いについての法律もしっかりしていない。オーダーメイド医療にかかわる患者に不利益がないことが最も優先されるべきことであり、それは医療従事者にすべてがゆだねられている。オーダーメイド医療のためのデータを集めるさいには、個人を特定する情報と個人の遺伝子の情報が同居しいないしくみを確立していれば問題はない。しかし実際に、研究を患者に還元する際には、個人を特定する情報と個人の遺伝子の情報は同居せざるをえないのである。例えば、ある患者に合った副作用の少ない抗がん剤を選ぶ場合、その患者から採取した血液を遺伝子解析しそれと抗がん剤についての統計的なデータを照らし合わせる。そして、薬を処方するのである。このとき、患者の個人を特定する情報と個人の遺伝子の情報は確実に同居しているが、そうしないとオーダーメイド医療は成り立たないのである。
患者の個人を特定する情報と個人の遺伝子の情報は確実に同居するということは、その情報がいったん漏洩すれば悪用される危険性も出てくるのである。つまり、いわゆる遺伝子差別を受ける可能性が出てくるのである。遺伝子差別では就職・ローンを組む・生命保険に加入するなどの時に情報が漏洩してしまった人に不利益になることがある。このことは著しくQOLを下げることになり、このことを防ぐには法律による抑止力に期待するしかない。
まとめ
このようにみてみると、現代の医療とは患者のQOLの向上が最優先事項であり、これに変わるものはない。そして、個人主義の広がりとともに高まった患者の権利が強く主張されている。患者の権利が強く主張される背景には医療不信があると思う。医療不信は3分診療、インフォームドコンセントの不足など日本が欧米から明らかにおくれていた過去の悪しき体制やふせげたはずの医療ミスによって生まれている。なので、このように一度生まれてしまった不信を払拭することは容易ではないと思われる。しかし、診療時間の見直し、インフォームドコンセントの徹底や医療ミスを防ぐための情報公開などを積極的におこなっていくしかないと思われる。実際、医療ミスはシステムを見直せば必ず減らせるのである。このような医療業界で生きていくことは相当のストレスがかかることであり、患者のことを考えている医療従事者のQOLのことも心配になってしまう。
また、これまでの医療では実現できなかったすばらしいことが、遺伝子解析により可能となったことも現代医療のおおきな変革である。しかし、科学の進歩に社会が追いついていないように思われる。安楽死・尊厳死の問題をひとつ見てもそうである。スパゲッティ症候群の患者を前にこのような生き方に疑問を持つ人がいる。その人は患者の生前の意志living willを尊重し、患者を殺すかもしれない。自分らしい生き方をして死ぬことにQOLの高さを感じ、自然死すなわち尊厳死と考えるということである。また一方では一分でも長く生きていることに生命の尊さや神聖さを認める人がいることも事実であり、これを否定することもできない。
このような社会的な倫理観の問題が解決しないと、法の整備もできない。そして、法の整備もままならないと健全な社会がいとなまれるはずがないのである。やはり、このような悪循環の根源には倫理観の問題があるので、この問題を解決することが先決であろう。しかし、倫理観の問題なので根本的な解決策や正しい解答などはないと思う。そうではあるが、一度、自分たちのしてきた研究の意義を見直してみることも必要ではないだろうか。頭の良い科学者は倫理観を研究材料にすることも良いのではないかと思ってしまう。