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1. はじめに
私が選んだ論文は「新潟水俣病(有機水銀中毒症)の神経耳科学的長期追跡調査」と「薬物性めまい」だ。「薬物性めまい」は多くの薬物とその副作用としてのめまいについての論文であり、メチル水銀中毒症(水俣病)はその1例にあがっているだけなので論文としては「新潟水俣病(有機水銀中毒症)の神経耳科学的長期追跡調査」をメインとした。また、ビデオの内容にも触れながらレポートを作成した。
2.選んだキーワード
@ 水俣病 平衡機能
A 水俣病 内耳障害
3.選んだ論文の内容の概略
「水俣病 内耳障害」というキーワードからは「薬物性めまい」という論文が出てきた。著者の武田憲昭さんは「所見のないめまい患者への対応」(中山書店)、「
めまい:耳鼻科的立場から」(西村書店)、「めまい診療のガイドライン」(文光堂)、 「中枢系におけるヒスタミン19.めまいと中枢ヒスタミン」(医歯薬出版株式会社)など、めまいについて多くの論文を出している。耳鼻科分野全般では私が調べただけで200以上の著書・論文をだしている。「薬物性めまい」の内容については以下の通りだ。
多くの薬物が、めまい、平衡障害を引き起こすことが知られている。アミノ配糖体系抗生物質は末梢前庭障害を引き起こし、抗てんかん薬であるアレビアチンは中枢前庭障害を引き起こす。アルコールは前庭末梢器と小脳に影響を与え、アルコール性頭位眼振や小脳失調を引き起こす。メチル水銀中毒症(水俣病)では、小脳障害による小脳失調は主要な症状である。メチル水銀中毒症の主要な症状として小脳失調があることは「新潟水俣病(有機水銀中毒症)の神経耳科学的長期追跡調査」にも書かれている。また、マイナートランキラーザーや睡眠導入薬による平衡障害は、筋弛緩作用よりも小脳を中心とする中枢抑制が関与している。降圧薬により、起立性調節障害によるめまいが発症することがある。
「水俣病 平衡機能」というキーワードからは「新潟水俣病(有機水銀中毒症)の神耳科学的長期追跡調査」という論文が出てきた。著者は水越鉄理、渡辺行雄、将積日出夫、麻生伸、浅井正嗣、犬飼賢也、高橋姿だ。内容と概略は以下の通りである。1965年、新潟県阿賀野川地区に発生したメチル水銀中毒症は新潟水俣病として熊本県の水俣病とともに公害病に認定された。その臨床像はHunter-Russell症候群として、四肢口囲の知覚障害、運動失調、平衡機能障害、視野狭窄、聴覚障害などの特徴が見られた。この中、神経耳科学的所見として、脳神経症状との相関が注目され、認定審査に重視されてきた。その後、中毒症の長期化、慢性化、患者の高齢化に伴って、神経耳科学的所見の病像も変化しており、発生時(1968−78)より10年以後に追跡調査が行われ、その推移が報告されてきた。しかしながら、その病像は長期経過による個人差が著しく、中毒症の差によるものなのか、高齢化に伴う差によるものなのか不明になってきた。
新潟水俣病の追跡調査患者中、第1回追跡(1986−1987)より第2回追跡(1991−2000)を施行し得た症例36例を中心に、神経耳科学的に長期追跡
後の推移について検討し得たので、従来の追跡調査と比較して文献的考察を加えた。対象と方法は以下の通りである。対象は新潟水俣病の認定(690例、死亡300例、1995年)または一時金対象(799例)となった患者の中で、木戸病院で神経耳科学的に2回以上追跡された36例(認定21例、一時金15例)とした。その内訳は、男17例、女19例で、申請時平均48.0歳(20−64歳)、最終追跡時平均66.9歳(41−84歳)であった。いずれも表1(P.3)の診断基準に従って評価されて
いる。神経耳科学的検査項目と方法は、純音聴力検査、自発眼振(注視眼振)、頭位眼振(ある一定の頭位をとったときにのみ起こる眼振)、前庭反応(固視抑制効果検査fixation
suppression test, F-S test)、視運動性眼振検査(OCN)、視標追跡検査、体平衡機能検査(Mann検査、足踏み検査)の7項目を中心に追跡した。
聴覚検査については純音聴力検査を中心に評価し、申請時の平均聴力損失(4分法)の基準に従って、新規格の聴力レベルに旧規格を換算して判定し、高齢者の影響も考慮した。
申請時には新潟大学平衡機能検査室で、追跡時には木戸病院耳鼻科外来検査室で検査され、各々の正常判定基準に従って分析評価された。なお病的所見の摘発率は、神経耳科所見の異常例を判定評価し、自発・頭位眼振ではその出現率を判定、前庭反応・OKNも正常反応値より判定した。さらに追跡評価では、改善、やや改善、不変、悪化との判定としたが、改善とは眼振の消失、反応値の有意改善を示しており、やや改善例は、眼振頻度、体位の変動を考慮し、前庭反応・OKNも反応値の改善で評価した。聴力については、追跡時の改善(平均10−15dB)以内をやや改善とし、15dB以上を改善とした。
追跡調査結果、新潟水俣病典型例は、神経学的に小脳失調が多少悪化をしめしていたが、聴力障害は純音聴力が長期にわたって不変であった。平衡機能障害は初診20年後、方向交代上向性頭位眼振、OKNの水平・垂直の両抑制、前庭反応の両側性固視抑制効果障害(failure
of fixation suppression in caloric nystagmus)がしめされており、典型的な小脳・脳幹障害を示していた。高齢化に伴う神経障害も考慮されたが、水俣病に伴う小脳・脳幹障害が進行したものと考察した。障害別に見た推移は以下の通りである。聴覚障害は高齢化を考慮すると比較的軽度だった。自発眼振(注視眼振)は26例(72.%)が摘発された。頭位眼振は、申請時よりも発現率が比較的高く(58%)、追跡時にも上昇し(69%)、最終的には全例に近く出現記録(94%)された。前庭反応は、障害が長期にわたり悪化し、その摘発率は申請時42%が58%、72%と悪化し、不変・増悪例はそれぞれ83%に達した。とくに、中枢性障害(小脳・脳幹障害)を示唆する固視による温度眼振反応の抑制障害(FFS)が3例に見られたことは注目される。視運動性眼振は、最終的に改善1例(3%)、不変19例(53%)、増悪16例(44%)を示した。
指標追跡検査は、視運動性眼振に比して障害は軽度であった。体平衡機能検査は、申請時より増悪したが、一部若年者に改善例が見られた。これらの障害別に見た推移を神経耳科学的に総合判定すると、全体として病的所見の摘発率は経過とともに増加した。また、水俣病の聴覚・平衡系の高齢化変性もそれぞれの感覚系の変性現象は異なっており、中毒症の影響も区々であり、個体差も著しいものと推論された。
表1 後天性水俣病の診断基準(有機水銀中毒)
a) 有毒魚介類の摂取
b) 臨床所見
1. 初期 四肢末梢、口囲のしびれ
2. 言語障害、歩行障害、求心性視野障害、難聴
3. 精神障害、振戦、痙攣、不随意運動、筋強直
c) 主要症状(Hunter-Russell症候群)
1. 知覚障害
2. 運動障害(運動失調):歩行障害、言語障害
3. 求心性視野障害
4. 難聴、平衡障害
4.選んだ論文の内容と、ビデオの内容から、自分自身で考えたことを、将来医師になる目
で捉えた考察
水俣病がなぜ起こり、なぜ拡大したか、また、なぜ発見から政府による公式会見まで12年間もかかったのか、疑問はたくさんあった。この12年間、政府は原因究明ではなく、原因を曖昧にし、水俣病は終わったと見せかけて、水俣工場にアセトアルデヒド産生と原因排水の排出をつつ゛けさせていた。1億円かけて作ったというサイクレータでも、メチル水銀を除去できないのであればむしろ予算の無駄使いであると思った。 この間に、すでに被害者となっていた人たちは放置された。もちろんメチル水銀汚染はひろがり、被害者は増えつつ゛けた。そして新潟で第二水俣病事件が起こったが、これは必然であったと思う。そららの結果、水俣病は、今日までかかっても解決し得ないまでに拡大した。きちんと現場を直接見て、住民から真剣に聞き取ることから始め、健康を守ることを優先し、原因の確からしさに応じた行政的決断をしていればここまで大変なことにならなかったと考える。また、様々な場面における情報の収集と展示が必要であったと思う。そして、どう考えても企業には社会的責任がある。法的責任を気にして、水俣病を曖昧にしようとした結果、多くの人を苦しめてしまった。その間適切な対応を受けられなかった水俣病の方やその御家族のことを思うと苦しい。
水俣病ははじめ原因不明の奇病とされていた。そのため患者たちの中には伝染病だと思われたり、精神病棟にいれられたりした人もいた。差別的な待遇を受けた人もいた。また、患者が人目にふれないように、家の奥深くに隠されることもあった。水俣病の方はこのようなつらい立場にもあった。また、みんなが毎回同じ魚を食べて生活していた漁師の家庭では、家族の全員が発病してしまうということもあった
そして、水俣の魚が売れなくなったために、漁師たちは生活できなくなってしまうこともあり、メチル水銀が含まれていると知りつつ水俣の魚を取って食べるしか生活できない人もたくさんいた。 この間、国や会社はこれを曖昧にしようとしていたことに驚いてしまった。
水俣病の原因となったメチル水銀は神経細胞に障害を与える。体内に入ったメチル水銀は人体の中枢神経や脳細胞を侵していく。まず、手足のしびれや言語障害が始まり、やがて体中が痙攣し、意識がうしなわれ、多くの患者が精神錯乱のうちに死亡していった。さらに妊娠した母親の体内で水銀に侵され、病気のまま生まれてくる子供も出た。これは胎児性水俣病といわれ、重症の場合は、精神や運動機能の発達が遅れ、中には意識の無くなってしまう子供もいた。 ビデオの中で、母親が重症の水俣病であった人が、「あまりにもひどい痙攣などを前に、自分の母親ながら殺そうと思ったこともある。」と言っていた位重い症状の人も大勢いた。
この中、診断権は医師にしかないのに、知事が水俣病と認めなければ水俣病と認めないという現実があった。ビデオの中で一人の医師が、どうしてこのことについてほかの医師は何も言わないのか、と言っていた。確かに、診断権を持つのは医師なのだからもっと水俣病に関心を持ち、意見を積極的に述べていくべきだったのではないかと思った。また、そうしていれば少しは変わることもあったのではないかと思った。
1968年、水俣工場は水銀の流出をとめ、熊本県は1980年から10年程かけて、水俣湾にたまった水銀を含んだヘドロをとる工事を行い、現在では漁業も再開されている。しかし、患者の健康は戻らない。1950年代に生まれた胎児性水俣病患者は病気のまま、人生の約半分を生き、今なお病気と闘っている。
5.まとめ
普段から、医師として(医学生として)まず患者のことを考えたいと思った。水俣病のように事件が起こったとき、国や会社は自分たちを守ることも考えてしまうと思う。それで患者に対する対応が遅れるようなときは、医師が積極的に患者さんの健康を守りたいと思った。国や会社の信頼は後でも取り戻せるかもしれないが、病気は水俣病のように不可逆的なものもたくさんある。常に「もし自分が患者や患者の家族の立場だったら」と考えられる医師になりたいと改めて思った。