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予防と健康のレポート
☆はじめに
日本の4大公害病の内の1つとして私も含め、今も多くの人が知っている水俣病であるが詳細まで知っている人はそれほど多くない様に思う。テレビで水俣病をとりあげる時に全身の痙攣をおこしている患者さんのVTRを目にする事は多いが何故その様な症状を示すのか。また、何故水俣病患者の拡大をもっと早期に食い止められなかったのか。主にその2点についてレポートする。
☆選んだキーワード
・Minamata ・Peripheral nerve
☆選んだ論文の内容の概略
「水俣病(メチル水銀中毒)の剖検症例;末梢神経の病理学的所見」
Komyo Eto,Hidehiro Tokunaga,Kazuo Nagashima,Tadao Takeuchi
1950年の日本、地図上で言う所の水俣湾、熊本湾でメチル水銀中毒の局地的流行が水俣病として知れ渡った。熊本大学医学部での早期の報告や剖検によると、鳥距皮質前方の破壊的な病変や主に大脳皮質にある顆粒細胞の消耗が人間にとってのメチル水銀中毒の鑑定や診断上の規準として知られる様になった。水俣病の剖検の症例が増すにつれて、脳病変が鳥距皮質に限局するだけでなく相対的に拡大している事が明らかになった。重い病変が水俣病患者の運動症状の原因になるとはあまり思われておらず、しばしば中心前や中心後や頭頂側頭皮質に見られた。これらの患者さんにもまた、しばしば四肢の末端に感覚神経への兆候が見られた。十分な総合学があまり無い為に末梢神経の変性は全般的に水俣病患者に感覚障害の一例として受け入れられていない。最新の報告では64歳で亡くなり、水俣病の特徴的な中枢神経系病変があった漁師(男性)に末梢神経の所見が生検と剖検の両方で見られたと言う。電子顕微鏡検査を使ったひ腹神経の生検は彼の死の一ヶ月前に神経内膜線維症やミエリン鞘の再生を示した。剖検では背神経やひ腹神経は神経内膜線維症、神経線維の欠損を示し、Bu"ngner'sがある。脊髄は感覚神経節中の相対的なニューロンを持った薄束の変性を示した。これらの所見は水俣病患者にメチル水銀からの中毒障害による抹消神経の変性があることの主張を支えている。
☆ 選んだ論文の内容とビデオの内容を踏まえての考察
人類初の公害病となったのが水俣病である。この臨床症状の特徴としては感覚障害、視野狭窄、難聴、言語障害や運動失調である。剖検によっても中枢神経、又は末梢神経へのメチル水銀の沈着が見られ、大脳皮質にある顆粒細胞の消耗や神経の変性が特徴的であった。
水俣病は初め、急性劇症患者の多発(特に小児患者)によって発見された。もちろん、水俣病はメチル水銀の生物濃縮により発症する為に発見された時よりも以前に始まっていたと考えられる。チッソは戦後復興、経済発展と言う言葉を盾に多くの技術者が実用化に疑問を持っている段階でいきなり本プラントを組み立て量産化すると言う無謀な操業を行っていたらしい。確かにその点に関しては大きな役割を果たしていたと言えるだろうが、その裏では日本で最高濃度の大気汚染、水質汚染、労働災害、職業病をひきおこしていた。つまり、企業が人の上に立ち、その人達も豊かさや便利さを追求し過ぎたが為に多くの労働者の命と健康が軽視され犠牲となった。
まず、なぜ水俣病は被害が集中、拡大してしまったのか。
1つめとして環境汚染の被害を受け易いのは胎児、幼児、老人、病人などの弱者であり、同時に彼らは自らの権利や意見を十分に表現できない方々だという事が考えられる。
2つめとしてチッソも行政も原因不明を理由に有効な対策を立てなかった事が挙げられる。そればかりでなく、チッソは熊本大学医学部の原因究明を妨害したと言う。原因物質の究明に一番近いはずだったチッソの人間がこの様な事を行った事から、早い段階で自社の責任である事に気づいていただろうと思われる。自分達を守ろうと事実を隠そうとしたのだ。
3つめとして厚生省が熊本県からの食品衛生法の適用の要請を見送ったことが挙げられる。もし適用していたなら漁獲禁止などが出来る為に水俣病患者の拡大を防げれたかもしれない。しかし、厚生省は全ての魚介類が有毒化したと言う証拠が無いとして動かなかった。
主に上記の3つが原因で被害が集中し拡大してしまった。そして、急性劇症患者が初めて減少した理由は住民が恐くなって魚介類を食べるのを止めたからだという。
次になぜ救済を遅らせてしまったのか。
これには「見舞金契約」に基づく、認定制度が大きく関わっている。「見舞金契約」とは自分の工場から出たメチル水銀が原因だとは認めないまま、あくまでも見舞金として死者に30万、成人には年に10万、未成年者には3万円を支払うと言うものだ。しかし、この見舞金を受け取れるのは認定審査会が認定した者に限ると記され、ここから認定制度が始まった。これから、約10年間は新しい患者は認定されなかった(胎児性患者は除く)。この様な結果を招いてしまったのは認定の診断基準が初期の急性劇症の患者さんに限られてしまったからだ。これは問題解決を遅らせるばかりでなく、実態の解明までも困難な物としてしまった。
また、上記の様に企業だけでなく患者側も水俣病を隠そうとする者がいたと言う。なぜなら、魚が売れなくなる事を恐れた漁師や家族達の中には認定審査もしないまま自宅に隠れ、そのまま死亡した者もいた。
水俣病が時期と場所が一致して、多くの脳性小児麻痺と言われる生まれつきの障害児が生まれていた事が明らかになった。この当時、毒物は胎盤を通過しない事になっていて汚染された魚介類を直接食べていなかった為に水俣病とはされていなかった。しかし、この患者さんには幾つもの共通点があった。@共通の症状が見られるA母親達は妊娠中に水俣湾産の魚介類を食べていたB家族の中に水俣病患者または同様の症状を持つ者が多く見られたC生まれた場所・時期も水俣病と完全に一致していた
これらの事から行政が調べようと思えば容易に調べられたはずなのにそうしなかった。この為、多くの患者さんが診断も確定せず、救済も受けられず、長い間放置されていた。
☆まとめ
金銭的な救済を第一に置いている人もいれば、金銭的な問題よりもただただ認定だけでもして欲しい人もいる。だからこそ水俣病問題は既に終わった過去の問題としてしまうのでは無く、解決法を探求し続けなければならない。お金を払えば解決するほど簡単な問題では無いし、患者さんがどれ程の差別と偏見に長い間苦しめられてきた事を考えると今後、私たちがすべき事も見えてくるかもしれない。
水俣病をめぐる論文やビデオを見て感じたことは企業や行政の利益優先主義・怠慢・自分達の身を第一に置く甘い体制が被害の拡大を招き、被害者の救済は遅れ、また不十分なものとなった。この責任追及は今後も続けていかなければならない。
しかし、国や企業が利益を無視する事は考えられないし、我々にとっても有益ではない。世界的に見ても日本は経済的に恵まれ、高い技術・知識で溢れ、情報の中心にもなっている。こんな中、水俣病の悲劇に似た事例が再び起きる可能性を秘めている。だからこそ、行政や各企業が暴走を始めないよう今、もしくは将来医師となる我々が警鐘を鳴らし続けなければならない。悲劇を繰り返してはならない。水俣病に関わった方々もそれを願っていると信じている。
上記の我々がするべき事の為には社会の医師達に対する信頼が無ければ難しいだろう。現在、医療ミスやドクターハラスメントが多く報道され医師に対する不信感が高まっている。そんな状況で行政や各企業の重い腰を動かす事ができるだろうか。大きな権力には国民一人一人の協力が必要なのでは無いだろうか。それを得る為には日々、医師一人一人が各患者さんとのコミュニケーションを疎かにする事なく生活背景や気持ちを尊重し、自分が出来る精一杯の医療を行っていくことが大切なのだろうと考えている。まだ、臨床の場に立った事が無い為、具体的にどうしたら良いのかは解らない。だから、今出来る事は予防と健康の授業で回っている見学実習を通して、過去の過ちや現状、今後望まれている事を知り一つでも多くの事を実現しようと取り組んでいきたい。
未だ気付いていない病気を予防する事は難しい。今、自分達にとって無害だと信じられている物が急に有害な物となったり、体の中に蓄積されていって高濃度となると病気を発症する事だってあり得る。だからこそ、過去に起こった事例、データ、統計といった物が大切だと気付かされる。医療費の面でも病気は治す物から予防する物へ置き換わりつつある様に思う。成果が直ぐに目に見えるものでは無いので答えが無い分、難しい分野であるが今後、医師になる上で重要性が高まり続けるだろう。見学実習や今回のレポートを書いている内にその点に気付けたのは幸いだった。