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予防と健康 レポート
はじめに
私は今回、このレポートの基となるキーワードを中毒と神経細胞にした。これはビデオで見た水俣病に興味を持ったからだ。以前から水俣病がメチル水銀中毒であることや、症状として手足のしびれが起き、その後歩行困難などに至る例が多く、重症例では痙攣、精神錯乱などを起こし、最後には死に至るといったことは知っていたが、なぜそのような症状が引き起こされるかという具体的なところは知らなかった。なので、今回この2つのキーワードを基にして水俣病に対する理解を深めたいと思う。
選んだキーワード
中毒・神経細胞
選んだ論文の内容と概略
1つ目は、「水俣病(メチル水銀中毒)の感覚障害に関する考察」という論文である。これは、水俣病の初期の状態で出現する四肢末端の感覚障害は、末梢知覚神経傷害に由来する可能性が高いと考えられる。水俣病におけるメチル水銀の汚染が一定期間に限定されていたことが判明したことを踏まえて、曝露時期の異なる長期生存の水俣病患者の末梢神経を免疫組織学的に検索し、傷害の程度を検討した、といった要旨であり、以下に概略を記載する。
水俣病患者の感覚障害は、中枢性(中心後回)病変によるものと脊髄末梢知覚神経病変に由来する2つの因子が考えられる。中枢性病変の関与に関しては、全身性の感覚鈍麻が生じると考えられているが、水俣病の初期症状である四肢末端への感覚障害への関与については明確ではない。水俣病剖検例でも、前根神経(運動神経)に比較して後根神経(知覚神経)の病変がより強い病変を呈している。水俣病剖検例でもメチル水銀汚染時期によってその病変が異なっており、さらに、メチル水銀被曝量によって出現する病理学的変化が異なると考えられる。また、工場廃水停止(1968年)以降に発祥した患者の病変は軽度であると推定される。さらに、水俣病患者が長期生存すれば。末梢神経は再生するために感覚障害は軽減すると考えられる。
研究では、熊本大学医学部の水俣病関係剖検例450例の中から1971〜75年に剖検された水俣病患者9例、非水俣病患者5例(T郡)、および1984〜87年に剖検された水俣病患者5例、非水俣病患者5例(U郡)の脊髄後根神経神経節、前根、後根を研究対象にした。(図1)
図1
四肢末端の感覚障害は出現からの経過年は、T郡で3年から18年、U郡で10年から30年と幅広い経過を示している。T郡の水俣病9例中7例に四肢末端の感覚障害が見られ、U郡の水俣病5例中3例に表在感覚障害が見られた。
これらの症例を免疫組織化学による神経線維の変性程度を縦断切片で確認すると、PGP9.5染色では変性神経線維の染色性が低下するので、水俣病症例において後根が前根に比して強い病変を示していることが証明された。NF-210タンパク質で染色すると、前根に比べ後根でマクロファージの強い浸潤と神経線維の減少が見られた。(図2)
図2
マクロファージの浸潤に関して、@郡の水俣病患者9例中5例において前根よりも後根内で浸潤がより強かった。2郡の水俣病症例では1例を除き全例でその差は認めなかった。非水俣病症例ではT郡、U郡ともにその差を認めなかった。
以上のことから、水俣病患者の末梢神経傷害は、前根に比較して後根により強い病変が見られることを確認した。さらに、長期経過例になると、剖検例における末梢神経傷害のみでの水俣病診断は困難であるとも確認した。しかし水銀の曝露時間の違いによる末梢神経の再生の程度の違いは証明できなかった。
以上が1つ目の論文の概略である。2つ目の論文は「水俣病(メチル水銀中毒症)の病因について」という題の論文である。この論文の要旨は、水俣病発生の真の原因として、水俣湾が高濃度メチル水銀で汚染されたことが公表されてから、水俣病発症の考え方を修正する必要に迫られた。1968年以降は魚介類のメチル水銀濃度は激減し、長期経過水俣病は高濃度メチル水銀汚染時期に影響を受けた後遺症と考えられるに至った。高濃度メチル水銀中毒の初期脳病変は脳浮腫によること、また、末梢神経病変は軸索変性が先行することが、コモン・マーモセットで実験的に証明された、といったものである。以下に概略を記載する。
水俣病の公式発見は、1956年5月1日とされている。チッソ水俣工場のアセトアルデヒド産生工場内でメチル水銀が生成された真の原因は助触媒の変更にあったとのことである。すなわち1951年8月以降、水銀触媒の活性維持に用いる助触媒を、それまで使用していた二酸化マンガンから硫化第二鉄に変えたことにより、メチル水銀生成が急増して水俣湾に排出された。1953年頃から神経症状を持つ患者が発生し始めているのは、この助触媒を変更したことが原因であることが実証された。工場からのメチル水銀排出は17年間続き、この間の大量のメチル水銀が水俣湾の魚介類を汚染して、食物連鎖でヒトやネコがメチル水銀中毒症に罹患したのである。その後の魚介類の汚染は激減しており(図3)、1976年以降の患者発生は見られない。この事実から、長期経過の水俣病患者は、高濃度汚染時期にメチル水銀中毒症に罹患した後遺症に過ぎないと考えられるに至った。
図3
1968年に水俣病の原因がメチル水銀中毒症であると公的に認められるまでさまざまな原因説が流れたが、11958年にはすでに熊本大学医学部水俣病研究班が有機水銀中毒症であるとの見解を出していた。高濃度メチル水銀の影響で初期病変としての脳浮腫が招来され、脳障害の選択性が出現し、臨床症状での注目すべき視野狭窄の発症機序も解明された。四肢末端の感覚障害が、汚染時期が限定されたことにより、末梢神経の再生によって改善することも判明した。以下は水俣病の病理発生機序についてである。
ヒト水俣病剖検例では、大脳では烏距溝周辺の烏距野、中心溝周辺の中心後回および中心前回、Sylvius溝周辺の中心後回および横側頭回に選択的障害が見られる。重症例では皮質全層、中等症ないし軽症では皮質第U〜V層の神経細胞脱落とグリオーシスが認められる。臨床症状もその病変部位に応じて、視野狭窄・視力障害、感覚障害、運動障害、難聴が出現する。
コモン・マーモセットを用いて、この大脳選択的障害を実験的に証明した。メチル水銀を大量に投与して、その後剖検した症例で脳浮腫を確認し、さらに剖検脳においても烏距溝の浮腫を確認した。初期に脳浮腫が起こることにより深い脳溝の周囲の皮質は圧迫され、循環障害を招来することによりメチル水銀の毒性作用が増長され、皮質神経細胞の破壊・消滅をきたすことが考えられる。
また水俣病では、両側性求心性視野狭窄が出現する。病理学的には、烏距野前位部の病変が後頭極よりも強いことがわかっている。烏距野の前位部の傷害機序も、メチル水銀中毒の初期病変が脳浮腫であることを踏まえると、烏距溝は全位部が深く、皮質は周囲からの圧迫を受けやすいために病変を形成する。後頭極は視野中心部を支配するが、脳溝が浅いか脳溝を欠くために皮質病変を招来しないと考えられる。
小脳病変としては、小脳性失調症が出現する。小脳病変では、大型神経細胞であるPurkinje細胞は比較的保たれるのに比して、小型神経細胞である顆粒神経細胞が選択的に傷害される。コモン・マーモセットの実験から、初期には大脳と同じく脳浮腫が見られ、小脳脳溝が圧迫されている。そのために、顆粒細胞上層部に循環障害を招来して神経細胞が破壊・消滅すると考えられる。
水俣病の感覚障害は、四肢末端のしびれ感で始まる。感覚中枢である中心後回には明らかに病変を認める。水俣病剖検例では、中心後回は全体的に侵され、特定の皮質が傷害されているということはない。感覚障害は中枢および末梢神経病変によって起こり、その関与の度合いは不明である。コモン・マーモセットの実験では、メチル水銀中毒の初期では髄鞘に変化がなく、軸索変性が著明であることが実証された。水俣病の剖検例では検索が十分になされていないため、軸索病変の有無は確認されていない。
水俣病では、脊髄後根神経節は比較的保たれている。そのために末梢神経は再生が可能である。感覚障害を考えるときには、メチル水銀の汚染時期を考慮する必要があり、水俣病発症初期には末梢神経、特に知覚神経の軸索病変が進行する。チッソ工場からの排水が停止されてから約1年半後の1969年12月9日に3例の知覚神経である腓腹神経の生検がなされた。衛藤・武内の病理所見には電顕的に不全再生有髄神経線維所見を記載している。この時期では末梢神経はまだ完全再生されていないはずであり、不全再生有髄神経線維の存在を指摘した論文である。
その後1982年頃、永木らは水俣病認定患者および健康人おのおの8名の腓腹神経を生検し、この二グループの間に病理学的および神経生理学的に有意差がないので、水俣病患者には末梢神経病変はなく、感覚障害の責任病巣は感覚中枢である中心後回にあるという仮説を立てた。この時期は発症(1955〜60年)からすでに20年は経過していると考えられ、末梢神経が完全再生されていれば、臨床的にも病理学的にも異常を認めないのは当然のことである。つまり、軽症水俣病患者の感覚障害は長期経過で回復することを証明するに過ぎないと考える。
コモン・マーモセットを用いた実験で、劇症型水俣病、急性発症水俣病および急性発症後の長期生存例を再現できたことが新知見をもたらした。
以上が2つ目の論文の概略である。
考察
見たビデオの中に、水俣病の被害にあった方を水俣病患者と認定することが難しいと語っている医師の映像があった。それを見たときに私は水俣湾の汚染時期に水俣湾沿岸に住んでいる人が、症状を訴えたのならそれは水俣病なのではないかと考えた。しかし論文では非水俣病患者で感覚障害をもつものもあり、また、軽症水俣病の感覚障害は長期経過で回復するということから、長期経過例になると臨床的に水俣病と判断するには感覚傷害の存在のみでは困難であると考えられる。症状として手足のしびれが起き、その後歩行困難などに至るのはメチル水銀中毒によって脳浮腫が起きたためと考えられる。また、水俣病の症状が人によって差が出るのはメチル水銀の被曝量によって脳浮腫の程度が変わり大脳皮質の傷害の度合いが異なることによって差が出たものと考えられる。末梢神経傷害による感覚障害の場合は、末梢神経は再生することから個人の快復力によって程度が異なると考えられる。
まとめ
今回のレポートで水俣病について調べたが、水俣病には水俣病認定の難しさや症状の発生機序などさまざまなことがあり、また、どれも難しい問題である。例えば水俣病の認定は「患者かどうか」ではなく、「お金を払うかどうか」という基準とため症状があっても認定されない人は多く、また、偏見などで申請しない人もいた。水俣病自体についても水銀の曝露時間による末梢神経の再生の度合いなどは未だに明らかではない。
また水俣病は95年の政治決着で、ほとんどの患者が和解に応じ裁判を取り下げた。しかしこの事も水俣病被害の全貌はいまだに明らかになっていないのが実情であるし、長い裁判期間のせいで判決が出る前に亡くなった患者もいるなど真の解決であったとはいえない。
今回のビデオの内容、論文で調べたことでさまざまなことがわかった。論文ではメチル水銀中毒症のさまざまな症状やその発生機序などはわかったが、水俣病の病像を確定するまでには至らず、また被害自体の全容が明らかでないなどさまざまな問題が残っている。医師を志すものとして今回のレポートで得たものは心に残さねばならないであろう。