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水俣病に関するレポート
    

1.はじめに
水俣病とは、メチル水銀を含む工場排水に汚染された魚介類を経口摂取することによっておこった神経系の疾患であり、主要症候として感覚障害、運動失調などの神経内科学的症候、求心性視野狭窄などの神経眼科学的症候、更に後迷路性難聴などの神経耳科学的症候が挙げられる。
1956年に水俣病が公的発見(第1例)され、熊本大学に作られた水俣病医学研究班を中心に疫学調査を含む精力的な研究が開始された。1959年に食品衛生調査会が有機水銀説を厚生大臣に答申するにいたった。しかし、新日窒水俣工場から反論がなされ無機水銀しか排出していないと主張し、かつ工場内での調査が一切許可されなかった。そのため、厚生省によって水俣病はチッソ株式会社水俣工場から排出されるメチル水銀化合物により汚染された魚介類を摂取することによって生じたものであるという統一見解が出されたのは9年後の1968年の事であった。
本症発症のピークは昭和30年〜31年である。

2.選んだキーワード
 水俣病、聴力障害

3.選んだ論文
 @.水俣病における神経耳科的および神経眼科的症候の出現時期に関する研究 −剖検例における検討−
 杏和会城南病院 岡嶋 透、国立熊本病院耳鼻咽喉科 土生 健二郎

 永田耳鼻咽喉科医院 永田 雅英、北里大学医療衛生学部リハビリテーション学科視覚機能療法学 向野 和雅、国立水俣病研究センター 衛藤 光明
A水俣病における脳幹聴覚誘発電位(BAEP)お呼び中潜時聴覚誘発電位(MAEP)
 稲吉 鉦三、岡嶋 透、三宮 邦裕、津田 富康

4.選んだ論文の概略
 @.水俣病における神経耳科的および神経眼科的症候の出現時期に関する研究 −剖検例における検討−
 本症発生のピークは昭和30年〜31年にあるが、約40年を経た最近においても症候の発現があるとの考えがある。しかし不知火海沿岸地域において本症が発症する可能性のあるほど高濃度のメチル水銀暴露のあった時期は、遅くとも昭和43年までで、それ以降は高レベルの持続的メチル水銀暴露は存しないと言われている。また、水俣病が発生する可能性のあった時期については、発症遅延の可能性を考慮しても過剰な暴露の停止から発症までの期間は現実的には数年以内にとどまると報告されている。
 本報告では昭和50年代以降に出現した視野狭窄以外の幾つかの検査異常が水俣病によるものか否かについて、臨床所見と病理所見の対比を行い、水俣病における症候の出現時期についての検討をおこなった。
 水俣病としての認定申請中に死亡し、病理解剖に付された全症例(450例)の中から、平衡機能障害(視運動性眼振パターン(OKP)の異常)、後迷路性難聴(聴覚疲労陽性及び語音聴力悪化)あるいは眼球運動(滑動性追従運動(SPM)および衝動性運動(SM)の異常を示し、且つ次のA群あるいはB群のいずれかの条件に合致する症例のすべてを抽出し(31例)、それらにおけるメチル水銀汚染に係る病理所見(MD所見)の有無を検討した。
熊本県が行った水俣病検診において、昭和50年代以降に2回以上の検診記録により検査異常が当初認められず、第2回の検査以降に陽性に転じた全ての症例(12例);A群
 検診記録により、昭和50年以前から上記の検査異常などが陽性であることが明らかな全ての症例(19例);B群
その結果、OKP異常はA群6例では、すべて剖検によるMD所見は認められなかった。これに対しB群では10例のうち4例にMD所見が見られ、他の6例では認められなかった。後迷路性難聴では、A群4例すべてにMD所見は認められなかった。これに対して、B群7例のうち、6例にMD所見が見られ、他の1例では認められなかった。眼球運動異常はA群4例では、すべてMD所見はみられなかった。これに対して、B群2例では、いずれもMD所見が認められた。
 また水俣病においては、平衡機能障害を示すOKP異常、後迷路性難聴を示す聴覚疲労現象および語音聴力の悪化、あるいは中枢性眼球運動障害を示すSPMやSMの異常などが証明され、本症の他覚的検査所見として重視されている。しかしこれらの検査異常は水俣病に特異的な所見ではない。
これらの成績から、暴露の終了後数年を経て現れるとされる、いわゆる遅発性水俣病の存在を認めるとしても、昭和50年代初頭以降に顕在化する症候は水俣病によらない別の因子によるもと考えられる論文であった
A水俣病における脳幹聴覚誘発電位(BAEP)お呼び中潜時聴覚誘発電位(MAEP)
 水俣病においては多彩な神経症状を呈し、聴覚障害もしばしば出現する。聴覚障害は主として後迷路性といわれているが、その詳細に関しては不明な点が少なくない。水俣病の感覚障害が体性感覚誘発電位(SEP)における大脳皮質からの応答のないことにより、中枢障害が考えられることと同様に聴覚障害も中枢における影響が考えられるため、水俣病患者の脳幹聴覚誘発電位(brainstem auditory evoked potential;BAEP)および中潜時聴覚誘発電位(middle latency auditory evoked potential;MAEP)を記録することによって聴覚障害に対する検討を試みた。
 その結果、典型的後天性水俣病(aquired Minamata disease;AMD)では種々の形の聴力障害が認められたが、後迷路性障害とされたのは4耳のみであり、胎児性水俣病(fetal Minamata disease;FMD)では検査しえた3例とも認めなかった。
 BAEP検査ではAMDでは伝音性難聴にX波の潜時延長、感音性難聴にU、V波の延長および聴力正常例にU波の延長を認めた。FMDでは障害に一定の傾向を認めなかった。
 MAEP検査ではAMDでは難聴および聴力正常例ともにNb,Pbの延長が多く、Paの延長は少なかった。後迷路性難聴でも波形には異常はみられず、Paの変化はなく、むしろNb潜時短縮を認めた。FMDではNaが有意に延長しており、Nb、Pbの延長も少なかった。
 以上をまとめると、水俣病患者が示す聴覚障害には種々のものが含まれており、必ずしも後迷路性難聴ではなく、BAEP,MAEPでも本症特有の変化を見出すことはできなかった。

 5.論文およびビデオの内容についての考察
 昭和31年に水俣病最初の患者が出た時、魚が原因であることがわかっていたにもかかわらず厚生省は食品衛生法を適用させなかったため、水俣病は拡大した。国の責任は火を見るより明らかである。しかし、国は原告団の多くを水俣病と認定していない。そのため、患者は政治決着により水俣病と認定されずに僅かな治療費をもらうか、治療費を全額負担するかの選択を迫られた。国は医師が水俣病と診断しても参考程度にしかしなかった。
 水俣病の判断の基準は非常に重要である。なぜなら、すべてを認めてしまったら、水俣病患者は際限なく増えるからである。そのため、論文@.水俣病における神経耳科的および神経眼科的症候の出現時期に関する研究 −剖検例における検討−やA水俣病における脳幹聴覚誘発電位(BAEP)お呼び中潜時聴覚誘発電位(MAEP)の様な研究は必須であったと考えられる。しかし判断の難しい人々においては国は全額治療費を負担すべきであり、税金はこの様なところに使われなくてはならないと思う。
また新潟で起こった第2水俣病では県が県民をだました形となった。県はサイクレーターによりメチル水銀は取り除けるとしていたが、実際には取り除かれていなかった。
 また、OKP異常や聴覚疲労現象および語音聴力の悪化、SPMやSMの異常などの検査異常が水俣病の発生から約40年、メチル水銀汚染の消失から20余年を経た現在においても少なからず例に認められているが、その成立にメチル水銀が関与しているか否かを知ることは極めて重要な課題であると考える。昭和50年以前にすでに諸検査異常が示された例では、剖検によりMD所見の証明された例と証明されない例があったが、50年代以降に新たな検査異常の出現した例では全例MD所見は見出されず、それらの検査異常は水俣病による器質的な変化に基づくものではないと考えられた。論文の結果より、水俣病の発症は遅くとも昭和43年以降数年までという従来の考えをさらに裏付けるものであった。すなわち、メチル水銀暴露から数年以上を経て発症する遅発性水俣病の存在を認めるとしても、昭和50年代以降に顕在化する水俣病の存在には否定的な結果であった。

6.まとめ
 今回選んだ論文では、視覚障害及び聴覚障害が水俣病によるものか否かを検討するものであった。その結果として、昭和50年代以降に出現した検査異常は水俣病によるもではないことが示された。また、水俣病患者が示す聴覚障害においては本症特有の変化を見出すことはできなかった。これらの研究により水俣病の判断基準がより明確になったと考えられる。それにより、水俣病問題は僅かだが解決に向かったといえる。
 水俣病とは、他の病気とは違い水俣病関西訴訟など様々な問題を抱えている。水俣病患者を微力ながらも救うためには私たちはこの問題に対し切に考え、医師になる者として、また一人の人間として可能な限り努力しなくてはならないと考えた。また、二度とこのような事件を起こさせないために新潟で起こった第2水俣病を含め水俣病について決して忘れてはならず、それと同時に次の世代に伝えていかなくてはならないと思った。
 また、水俣の例のように、地域の保険医療の問題は地域自身のかかえる問題の一部である。地域の問題はさまざまで、その中に保険や医療の問題もある。一方、個人の健康は地域全体の健康がなくてはなりたたない。地域社会全体が健全になることが、究極の予防医学的視点であり、予防医学の役割である。 
 公衆衛生学・予防医学は個人の健康、疾病の予防に努めることはもとより、地域の環境を守り、文化、教育を大切に育み、国民の健康を増進する医学であるべきだと思う。