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予防と健康管理ブロック・レポート
はじめに
このレポートは2本のビデオと2本の論文を基に作成されている。
ビデオは大槻先生が選択したものであり、論文は個々が自分の決めたキーワードに合致するものを検索して選択した。次に私の選択したキーワードを示す。
キーワード
私は「水俣病」と「胎児」というキーワードを選択した。
概略
以下に選択した二つの論文の概略を記載した。
論文1:水俣病から学ぶ 公害の原点としての水俣病 [原田正純]
公衆衛生67巻2号に収録
論者は公害問題に関する研究を行っており、水俣病関係の本も多数発行しておられる熊本学園大学教授の原田正純氏だ。この論文の冒頭ではまず、「水俣病がどうして公害の原点であるか」が語られている。水俣病は、人類が始めて経験した直接暴露に拠らない(つまり臍帯を通じて発症した)中毒である。公害的要素が含まれていてこのような疾病は世界のどこにも見られない。この公害的要素とは環境汚染と食物連鎖というキーワードを指しており、筆者はこの2つのキーワードの要件を満たすものを「水俣病」と呼んでいる。
次からは水俣病の発生から現在に至るまでの大まかな経緯が順を追って語られている。まず、この水俣病を発症したのは幼児たちであった。それに続いて胎児や老人、病人など弱者が次々とこの奇病を発症していったのだ。同様なことは世界の公害現場でも見られることだがこの時点では伝染病が疑われており、対策としては患者の隔離と消毒が行われたそうだ。これが後に患者の差別の一つの原因となった。それからしばらくして一般的にも認知度の高い魚の大量死、飛べなくなった鳥、踊るようにして死んでいく猫などの異変が現われた。人の被害(公害病)の発生は突然起こるものではなくその前には自然界の異変が前兆として現われるのだということがここに示されている。それから苦労の末、水俣病が世界で初めての環境汚染によって、食物連鎖を通じて起こった中毒であることが確認・証明され、実際患者の発生もなくなったため水俣病の発生は終焉したと考えられた。しかし、それは住民が魚介類を食べるのを控えたことと、急性劇症型から慢性型へと病状が移行したからであって根本的原因、チッソによる排水処理は行われていなかったのだ。そしてそのことが胎児性水俣病患者を増加させる結果となってしまったのだ。胎児性水俣病患者は自分たちは魚介類を食べていなかったために水俣病が疑われながらも診断が確定しておらず、1962年に2名の死者が出てその解剖を行ったことによって世界で初めての「胎盤を経由したメチル水銀中毒」だと診断されたのだ。その後、保存臍帯中のメチル水銀値を測定したところ環境汚染の度合いと一致していた。これは子宮が環境であることを示しているのである。換言すれば、環境を汚染するということは、胎児(未来のいのち)を汚染することになるということであった。その後1965年に新潟市で第二の水俣病が発生した。新潟では熊本よりも対策が進んでいたとはいえ、それでも後に問題を残してしまった。そのことからも公害問題に完全な事後対策はないといえる。この新潟水俣病を契機に企業や国の責任を問う裁判が両地で始まっていった。
新潟水俣病の発生と水俣病裁判は、水俣病病像の再検討を促すことになった。水俣では40年にわたって微量汚染から大量・濃厚汚染へ、さらにはその汚染を潜りぬけて長期低濃度汚染が続いたという特殊な状況があった。したがって臨床症状も複雑で多様なものであった。そしてこの30年余年論点になってきたことの1つは「何が最もミニマムな水俣病か」ということである。初期の水俣病はあまりにも重症すぎて、底辺の部分は明らかではなく、その影響の全体像が明らかになっていない。一方、途上国で今最も必要な情報は最もミニマムな水俣病に関するものである。水俣で問題になってきたことは、実はグローバルな問題だったのである。というわけで現在WHOをはじめ世界各国のさまざまな機関で胎児に対する水銀の影響の報告がなされている。その内容はその危険性を決して軽視しているものではなくEUやEPAではむしろ厳しい基準値の設定を行っている。これをみるといかに日本の行政の対応が鈍かったかが分かる。
論文2:胎児性水俣病患者の症状悪化に関する緊急提言 [土井陸雄]
日本公衆衛生雑誌49巻2号に収録
こちらは「疾患」として胎児性水俣病とポリオ後症候群との関連に重きを置いたやや専門的なものとなっている。ポリオ後症候群とはポリオ(小児麻痺)に羅患した人々が羅患後10〜40年経って動作時の易疲労、関節・筋肉痛、筋力低下、息切れ、四肢冷感などを呈し、歩行、階段昇降、着衣などの日常動作が困難になるというもので、一般的にはポリオ羅患時の症状が重篤だったものほどポリオ後症候群を発症しやすいといわれている。胎児性水俣病患者にみられる急速な運動機能の悪化がこのポリオ後症候群に似ているため、これらポリオ後症候群の研究が胎児性水俣病の研究のヒントになるのではないかと筆者は考えている。
そうしていろいろな研究の結果、もともと体内におけるメチル水銀暴露によって大脳皮質神経細胞の減少・低形成があるところへ加齢による神経細胞減少が重なって、通常であればもっと高齢になってから現われる筈の運動機能障害が40台程度で出現したのではないかという結論に達している。勿論、これはいまだ全く推論の域を出ない仮説であり、今後更に臨床的経過観察と病院論的研究を重ねる必要があるそうだ。また、彼らが多用している薬剤(特に頭痛、筋肉、関節痛などに対する各種鎮静剤)の副作用についても検討の必要があるだろう。
また、筆者は胎児性水俣病患者のQOL実態把握とその改善についても熱く言及している。現在、少数の医学者が努力を始めてはいるが、これらはきわめて限られておりまったく不十分であって胎児性水俣病患者のQOLを少しでも改善し、よりよく保つための組織的な努力が緊急に必要である。胎児性水俣病と認定された患者数はポリオ後症候群のそれよりははるかに少ないが問題は調査対象者の多寡ではなく、何よりも患者のQOLの改善であって、またそれに関連する国、自治体、医学の責任である。彼らの症状進行の速さを考えると、もはや一国の猶予も許されない。国を挙げての努力が緊急になされるべきである。
著者はこの論文の中で、明確な根拠を得たわけではない障害の原因の1案を示しているが、それは著者の「われわれ日本人が享受している現代文明の陰にあってそれを支え成長させる原動力となった人々のQOLを考え、その改善を考えるのは我々の義務ではなかろうか」という強い意志からきているものだと思われる。また、著者は肺炎による脂肪増加も大気汚染の影響ではないかという疑いの目を向けている。これらは著者のただの思い過ごしかもしれない、しかし少なくともかつてあれほど全国的に多発した水俣病や大気汚染被害をはじめとする公害健康被害者の予後を追跡し、彼らのQOLを見届ける責任が我々にはあるのではなかろうか。最後は公衆衛生、環境問題関係者の活発な議論とその結論の早急な実現を期待する言葉で締められている。
考察
ビデオのうち1本は「オーダーメイド治療」に関するものであったがここではテーマを統一して考察をしたいので「水俣病」を中心とした考察を記す。
このレポート作成の過程において私が最も興味を持ったのは「医師の立場」についてである。この水俣病(裁判)に関して言えば医師は患者の絶対的味方としての立場、研究者としての立場、そして組織(会社や国、県などの)の一員としての立場など実にさまざまな立場に立たされていた。例えば選択した1つ目の論文の原田正純先生はその著書の中で患者の立場に立ちつつも、研究者としての興味も同じくらいはっきりと示しておられた。2つ目の論文の土井陸雄先生は患者の側に立つ気持ちがもっとも強いというのが論文から伝わってくる。
では、どれが最も適切な立場選択になるのだろうか?まず患者の絶対的味方としての立場。これは医者としては言わずもがな必要な視点であろう。患者が存在しての医師なのだ。それにいざ事が起きた際最も患者とかかわりを持っている第3者は医師なのだから。
次に研究者としての立場。これも重要な視点だ。医師が研究者としてその疾病の原因を追究しなければ何が原因で、どうすれば改善されるのか分かることはない。無理やりにというのはいけないだろうがある程度患者に不快感を与えてでもつっこんだ研究を行ってしまう強引さが必要なこともあるかもしれない。原田先生は著書の中で「面白い症状」とか「興味深い変化」などの言葉を使っていたがこれは絶対的に患者の立場にばかり立っていたら出てこない言葉のように思う。しかし「面白い」と思うから研究が進むのであって「興味深く」なければ医学は進歩していないだろう。そうやって治療法や予防法が確立されていることを忘れてはいけない。
最後に組織の一員としての立場。これは実に難しい立場だと思う。私は少し前に保健所に見学実習に行ったのだがそこの職員の方は、臨床医とはまた違った視点から「市民の健康」を見ている気がした。本当は全員に全ての予防注射を行いたい。これは患者(この場合は健常者も含め"病気の可能性がある"人を指す)サイドに即した考え方である。しかし勿論それは無理な現実がある。というわけである程度の切捨てのようなものが行われてしまう。そうやって全体で見て最も「効果」のあがる方法が選択されていくのだ。水俣病のときも(どうだかは分からないが)他の業務との関係などで皆に十分な補償を行えない事情、完全に非を認められない事情があったのかもしれない。
これまで医師の立たされ(立ち)うる立場について別々に分けて考察を行ってきたが結局のところこれらは分けて考えることはできないと思う。医師は患者の味方であり、研究者であり、社会全体の健康増進を支えるための存在なのだ。研究者としての視点を強調しすぎて患者の気持ちを忘れてはいけないし、目の前の患者のことばかり考えて研究が進まないのも困る(考えるから研究が進むという意見もあるだろうが、ここでは「患者に不快感を与えてしまう行為が行えない」という状況を指す)。一人を見て全体での効果が下がるのはいけないし全体ばかり見すぎて一人ひとりのケアが行えないというのも困りものだ。要はそれら全てのバランス(どれかの立場に立つとしてもそのほかの視点のことを忘れずにいること)が大切ということであろう。
医師になった際、さまざまな視点からものを見ることができるというのが如何に大事なことなのかを考えさせられた。将来のためにも今から多角的なものの見方、考え方を身につけていけたらと思う。
まとめ
今回の考察は「医師の立場」について行ったが他にも「ハンセン病との関連(差別)」や「環境問題に関心を持つことの大切さ」などさまざまなことを考えさせられたレポート作成であった。今回得た所思を他のことにも生かしていきたい。