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1・はじめに
1956年5月1日に熊本県の水俣湾周辺で水俣病が公式に確認されてから今年で50年がたち、その記念式典が水俣市で行われたそうだ。授業で水俣病に関するビデオをみて、水俣病に苦しんだ人々のつらさや裁判の大変さを改めて感じ、ただの過去の事件として忘れ去られてはいけないと思った。このレポートを通し、私たちの身近な問題である環境汚染について考えて行こうと思う。
2・選んだキーワード
環境汚染と胎児
環境汚染がどのような影響を胎児におよぼすのか興味があったのでこのキーワードを選んだ。
3・選んだ論文の内容の概略
@神経病理学からみた水俣病 <精神神経学雑誌 第108巻第1号 (2006) 衛籐 光明>
水俣病は、魚介類に蓄積されたメチル水銀を経口摂取することにより起こる神経系が障害される中毒性疾患である。水俣病発生の真の原因は、チッソ水俣工場内で助触媒を変更することによって、アセトアルデヒト産生工場内でメチル水銀が生成されたことである。1953年頃から、水俣湾周辺に神経症状をもつ患者が発生しはじめているのは、この助触媒を二酸化マンガンから硫化第二鉄に変更したことがメチル水銀を増長した原因であることが実証された。この17年間の大量のメチル水銀が魚介類を汚染して、食物連鎖でメチル水銀中毒症の発症に至った。
水俣病の臨床症状は、まず四肢末端の感覚障害に始まり、運動失調、平衡機能障害、両側性求心性視野狭窄、歩行障害、筋力低下、企図振戦、眼球運動異常、聴力障害などをきたす。また味覚障害、嗅覚障害、聴力障害をきたす。胎児性水俣病とは、暴露をうけた母体からのメチル水銀が、胎盤を介して胎児に移行することによりおこるものをいう。胎児性水俣病の臨床症状は重症例では、脳性小児麻痺洋症状を呈すると考えられている。
成人性・小児性水俣病の病理として、ヒト水俣病神経系病変は系統的に発生することがしられている。つまり、大脳においては深い脳溝の周辺の皮質に病変をきたし、鳥距溝の前位部、中心前回、中心後回に選択的病変がみられる。中等度の病変があって、長期経過すると髄質中心部や内矢状層に二次変性変化がみられる。
脊髄では原発性病巣は認められないが、中等症以上で長期経過すると、錐体路に系統的病変をきたす。また、後索特に腰髄のGoll索には二次変性を見ることが多い。この事実は末梢感覚神経(後根神経)が障害されている証明となる。坐骨神経およびヒ腹神経にも常に病変が確認されるが、末梢感覚神経が全脱落することはない。
胎児性水俣病の病理は成人例と異なり大脳病変の局在性に乏しい。脳の発育障害、おもとして胎児期の遺残として、脳梁、脳回の低形成、大脳皮質の層構造の異常、matrix細胞の遺残、小脳虫部の層構造の乱れなどを認め、また、神経細胞そのものの低形成、形態異常、配列異常などの所見を認めた。
国立水俣病総合研究センターでは、コモン・マーモセットのメチル水銀投与実験を1996年から開始された。その結果急性メチル水銀中毒の病変は脳浮腫によって増長されるものであることが実証された。また、末梢神経の初期病変は軸索変性であり、初期には髄鞘は全く障害されないことが判明した。
Aメチル水銀と魚介類の摂取<からだの科学 246号 2006.01 佐藤 洋>
2005年8月内閣府食品安全委員会は、メチル水銀の耐用摂取量(妊婦において1週あたり2.0μg/kg体重)を答申した。メチル水銀は、強い神経毒性をもち、水俣病の原因物質でもあった。水俣病では成人の犠牲者だけでなく、胎児性水俣病の患児も出生した。母親が汚染された魚介類を食べ、胎児がメチル水銀に曝露されたからであった。
その後、イラクのメチル水銀中毒禍で胎児のメチル水銀の高感受性が確認された。現在の環境では過去の水俣やイラクのように高濃度曝露の機会はない。しかし、WHOなどの国際機関でのリスク評価は、「成人ではほぼ問題ないものの、胎児の曝露はリスクがある」とされている。
何故そのような評価かというと、自然界には水銀が存在し、一部はメチル水銀に置換され、食物連鎖によって生物濃縮されて、連鎖の高位を占める肉食魚などに蓄積し、それらを多食するとメチル水銀に曝露されるからである。その曝露レベルは水俣病に比べてはるかに低いが、胎児の感受性が極めて高いことからなんらかの影響があるのではないかと懸念され、その懸念のもと、厚生労働省が食品衛生委員会に評価を依頼した結果である。
ここで注意すべきは、メチル水銀摂取量に制限をもうけることと、魚介類摂取を制限することは別ということである。魚介類を多食したり、メチル水銀濃度の高い歯鯨を食すると過剰のメチル水銀に曝露される。その一方で魚介類にはEPAやDHAのように有用な不飽和脂肪酸も含まれている。したがってメチル水銀濃度の比較的低い魚を適当量食べることがもっともよい選択といえる。しかし、魚ごとのメチル水銀濃度はわかりにくい。一般的には食物連鎖の高位を占める大型の肉食魚にメチル水銀が高値であるので、そのような魚は少量しかとらないか食べる頻度を少なくすることである。青みの魚はメチル水銀濃度が比較的低く、不飽和脂肪酸も含有しているのであまりきにせずに摂取してかまわないと考えられる。米国環境保護庁は厳しい摂取基準を設けているが、その米国でも最近不飽和脂肪酸の効果を認め、妊娠中も水銀値の低い魚を食べ続けるべきと結論する論文がだされている。
4.考察
論文を読んでまず感じたことは、臨床症状が病理的病変を反映しており、密接に関わっているということだ。というのは、たとえば、水俣病で出現する視野狭窄の発生機序について考察してみると、水俣病は病理学的に鳥距溝の前位部の病変が後頭極よりも強いことがわかっている。また、解剖学的には、視野の支配領域で鳥距溝の前位部が視野の周辺部を支配し、後位部が視野の中心部を支配することが知られている。鳥距溝は前位部が深く、その部の皮質は周囲からの圧迫を受けやすいために、病変を形成する。一方、後頭極に近づくと脳溝が浅くなり、後頭極には脳溝をかくために皮質病変をきたさないと考えられる。こうしたことから両側性の求心性狭窄が出現することが今の私たちのレベルでも理解できるのだ。
また、他の例をあげると、感覚中スイである中心後回が全体的に犯されるために四肢末端のしびれ感がおこる。また、脊髄については、メチル水銀の直接的障害は認められないが、重症長期経過例で、運動中スイである中心前回の病変による錐体路の系統的二次変性を認める。これは臨床症状として運動失調や眼球運動異常、歩行障害をおこすと考えられる。
このように臨床症状が病理的病変、解剖学的病変を反映していることがわかる。つまり、私たちが今まで学校で病理学や解剖学で学んだことをもとに、水俣病の臨床症状を理解することができるのだ。私達が今勉強していることが将来、実際に患者と向き合う臨床の場において症状を理解するための基本となっていると感じた。だからそのときのために、私たちは試験のための勉強ではなくて、実際臨床の場で戦力となるような応用できる知識を貪欲にどんどん増やしていかなければならないし、それは必然的なことであると感じた。
また、今回論文を読んで、化学物質に汚染された食料と今後どのように付き合っていけばいいかについても考えさせられた。自分が口にするものが化学物質に汚染されているかいないかは目に見えないし、非常にわかりにくい。この論文からもわかるようにその有毒な化学物質が、成人にとっては安全な量であっても胎児には危険な量であるかもしれないのだ。だからといってわたしたちはまったく食事をしないわけにもいかない。メチル水銀についていえば、魚介類を多食したり、メチル水銀濃度の高い歯鯨を食すると過剰なメチル水銀に曝露されてしまう。しかしその一方で、魚介類にはEPAやDNAなどのように有用な不飽和脂肪酸も含まれているのである。最近米国でも不飽和脂肪酸の効果が認められ、妊娠中も水銀値の低い魚を食べ続けるべきだとまでいわれている。青みの魚はメチル水銀濃度が比較的低く、不飽和脂肪酸も含有しているのであまり気にせずに接食してかまわないそうだ。汚染されているかどうかは目にはみえないものだから、特に妊婦さんには特に普段の生活の中でおなかの胎児のことにも気をつかってリスクのあるものでも「適度に」摂取する食生活を営まなければならない。妊娠にあたって「適度」というものがどれくらいかを妊婦さんもその回りの人も理解する必要があると思った。また、胎児のために環境汚染の面で気を使わなければならないことは食料だけでなく大気中、たとえばダイオキシンにもある。現代でヒトが生活を営む中で出てしまう環境汚染物質。環境汚染に関しては、リサイクルや買い物バックの持参など個人のレベルで気をつかっていかなければならないし、胎児の視点で考えると環境汚染にもう少し危機感をもたなければとりかえしのつかないことになってしまうかもしれない。奇形児が生まれてしまってからでは遅いのだ。母親が出産する責任をもって、胎児のことを考えた生活をすることは必要不可欠だ。医者の立場からもどのようなことに気をつけていいか妊婦さんにアドバイスできると思った。このように妊娠から出産まで妊婦さんだけでなく、周囲もサポートしていくことが大切だと思う。
5.まとめ
環境汚染と胎児というキーワードで今回レポートを作成したが、思っていたよりきってもきれない関係であることがわかった。成人ではなんともない量であっても、胎児にとってのリスクのない濃度でないとは限らないのだ。わたしたちは胎児が曝露しないように気をつけると同時に、これ以上環境汚染がすすまないように個人のレベルで気をつけていくことが大切だと思った。
今回のレポートで初めて論文を検索し調べ、読むという作業をしたが、同じキーワードでも何項ものヒットがあり、おもしろかった。