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予防健康
はじめに
04年10月15日、水俣病関西訴訟で最高裁は原告勝訴の判決を下した。判決では、国と熊本県の責任を確定し、水俣病裁判では一応の決着がついたはずだった。判決では、国が水質保全法と工場排水規制法{旧水質2法}で県が漁業調整規則で被害の拡大を防がなかった大阪高裁を支持した形となった。これは行政の不備を追認したものである。患者認定についても、水俣湾と周辺海域の魚を多く食べたという状況証拠や、手足の痺れなどがあれば、水俣病であると認め、現行の認定基準より緩やかな基準を設けた。
このことで、95年の政治解決での認定問題が再燃した。新たな認定申請は役3800人にのぼり、国賠訴訟の原告は千人を超えている。なぜ被害者の間で摩擦がおこっているかというと、最高裁は水俣病判断基準に踏み込まなかったためである。そこを環境省は利用して、「判断条件も認定制度も見直すことがない」と主張しつづけることに問題がないようにみせているからだ。この判断基準にこそ山といる被害者の大半を認定してこず、放置してきた経緯がある。司法と政治のねじれ、さらには、後にも書くが医学界としてのアプローチのなさなど、単なる昔の社会問題、公害問題としておわらせてはいけない事実がある。今も、水銀中毒で認定をうけられずに、政府と闘っている人たちがいることを知り、考え,医師となる目でこの問題を捉えることが大切であると考える。
選んだキーワード メチル水銀 胎児
選んだ論文の概略 ・成人においても微量のメチル水銀は危険なのか?
・妊婦と魚料理
地表にある原子状水銀のうち年間1000トンが地殻活動{主に火山活動}による蓄積と年間2600トンとの化石燃料の燃焼によるものである。そして、この水銀は酸化され二価の無機水銀となり、海洋中でメチル化され食物連鎖に乗る。食物連鎖の上位にいる生き物ほど濃縮がおこっていくことになる。メチル水銀はアミノ酸のシステインと結合して血液脳関門や胎盤を容易に通過することが知られている。当然、脳や胎児への影響が心配とされ、日本でも2004年厚生労働省が水銀を含有する魚介類の摂取への注意事項が発表された。この論文では、成人における水銀の蓄積で危険とされるレベルを提示し、暗に魚介類を妊婦以外が摂取しないように説いている。
後者の論文では、アメリカの環境庁である環境保護庁と食品薬品庁局は妊婦がある程度以上の魚を摂取する危険を広報している。この論文では、産婦人科医として妊婦に対して正しい情報と胎児の保護に努めていくように説き、含有量などのデータをのせている。
考察
水俣病公式確認から五十年を迎えて、いまだに解決の糸口が見えずに苦悩人々のビデオを見た。新聞でも同様に現在大きく取り上げている。はっきり言って水俣病は、私の中では歴史上の出来事でしかなかった。私の不勉強でしかないのだが、完全に、解決され水俣病患者も救済されていると思っていた。ただ四台公害病の一つとして認識して、経済成長の中の公害で教科書の中の知識で止まっていた。しかし現状を知って愕然とした。まだまだ社会のひずみに取り残された人々がごまんといるからである。そこには、様々な役人の都合で、ないがしろにされてきた住人の闘いの歴史があった。もともと、有機水銀を排水していたチッソはアセチレン合成に使用する可塑剤の原料であるオクタノールを合成できる唯一の企業であった。そしてオクタノールの輸入を抑えたい通産省のもくろみから、通産省は増産をすすめ、いっこうに対策をとらなかった。問題は通産省すべてが原因でおっこったわけではない。当事、すでにメチル水銀の危険性は知られており、対策を取ることは十分にできた。しかし他の省庁も『工業立国』、『産業優先』の名のもとに、黙認した事実がある。省庁のなかでは、防止に対してからかいの風潮さえあったという。そして、本当に動かなければならなかった厚生省もなしくずしてきにじたいをただ見届けた。私は、日本人がこのように、全体のながれ、周りの行動に影響をうけやすい惰性的な面を強くもっていると思う。すべてにおいて後手後手にまわってしまっていた。どうにかなる、なるようになるといった風因気で、本来はたすべき機能が全く機能してないことがよくあるように感じられる。水俣病でも農林水産省と厚生省は真摯に問題に取り組むべきであった。全体の利益といった言葉によって、本来、つとめるべき国民の健康、命を守るという役目を忘れてしまった。利益を追求する結果、熊本県内のみならず九州全体に被害がでてしまった。このような事態を出してしまったのだから、せめて被害者には最大限の援助をするのが人としての道であり、戦後日本の経済成長を支えてきた人たちに対して失礼であり、今まで恩恵をうけた人たち全員が保障にむけて動き出さなければならないと思う。しかし、現実では補償の面でも、水俣病患者の人たちにはつらい結果が出ることになる。認定による補償の問題である。チッソは73年に患者と補償協定結び、一人あたり1600から800万円うけとるようになった。しかし、当初の見込みより認定者が増え、チッソに負担がおもくのしかかるようになった77年に、政府は基準を厳格化した。それは、患者を水俣病の典型症状の複数組み合わせを満たさないと認定されないようにしたのだった。その時点ではチッソを潰さず、補償を続ける意味でも、非常に重要なことであったかもしれない。私も、他にやり方は考えられたと思うが、企業が経営しながら、自身の行いの弁償をすることにはできる。けれども、基準の厳格化によって本来助けられなければならない人々を多くうみだし、今日にも残る課題をうみだしたのだった。本当なら、国にも過失はあったのだから、公のお金を支援にもまわせたはずである。後の二重基準で今、国と被害者の間で論争しつづけている。
メチル水銀は、生物濃縮された魚介類の摂取によって、主に私たちの体内に入る。メチル水銀のもともとは火山活動などの自然発生によるものと化石燃料の燃焼によるものの発生がある。アルキル水銀は血液脳関門を通過するため、中枢神経症状、つまり知覚障害を起こす。そのため、聴力障害、小脳失調症、求心性視野狭窄がおこる。胎盤通過性もあるため胎児性水俣病の原因ともなる。そして水俣病の症状は一生治らない。しかし先に書いたように、水銀汚染された魚を食べて手足が震えるようになっても、認定されない人々がたくさん現れるようになった。ここでも、医師たちの本分が達成されたわけではない。認定基準は、医師たちが作成し、医学的な知見によるものと政府は公表している。しかし、実際に医師の声に耳を傾けてみると、同じような答えが聞こえてくるわけではない。ビデオのなかで、水俣病患者の救済をつづける熊本県の医師も、基準を満たす人だけを水俣病とした場合、実際に診た人のほんの一握りとなってしまうと述べている。そしてその医師は、保険のおりない人たちを不全型の水俣病と診断を下すむなしさ、苦しみを持っていた。ここでも医師の本心が達成されたわけではない。私は、救済が遅れているのも、実質的なものになっていないのも、水俣病の認定が直接補償金に直結するシステムになっていることに問題があると考える。医療費負担を水俣病と正式に認定されず、後遺症に苦しんでいる人の自己負担にしていることに問題がある。水俣病になった人が、一般の人と同じような生活をおくり、定職を持っているとは残念なことではあるが思えない。本来まず救済ありきであるべきで、補償を徐々におこなっていくべきではないだろうか。そのため何の落ち度もない被害者を再び苦しめる結果となっている。お金を稼ぐため、国が豊かになるために九州全体で患者をうみだし、また再び補償もえられず、治療費の補助もなく、再び金銭面での苦しみを与えている失態を演じてしまっている。金銭的問題と責任の所定をうやむやにすることはあるかもしれないが、ここは超法規的措置で救済にあたっても良いと思う。私たちは、原点にたちかえって、形だけの保障ではなく、真の救済を始めなければならない。現在の医師たちも昔の鎖に縛られていてはいけない。現代では、多くの機器が発達し、論文や科学的な進歩により、様々な水俣病症例があることが証明できるのではないか。一部の症状の組み合わせのみが水俣病であることに医師の間にも、異論があるのも事実ではある。それならば、今の認定基準に異を唱えていく必要がある。私は単に門戸を開放して、全ての人を認めよといった非現実的なことを主張したいわけではない。様々な症状が多く見られ、生活に支障をきたすレベルが違うのなら、それぞれにあった認定基準レベルを造るべきである。イチかゼロか、白か黒かの判断から脱却して、現状から一刻も早く脱却すべきである。この判断基準の多様化、支援の多様化で医師の担う役割は非常に大きいと思う。そのために、認定する医師たちは尽力すべきである。
水俣病は、産まれてきた子供にも強い障害をあたえる。メチル水銀のハイリスクグループは胎児である。今後考えられる、危険な症例として考えられるのは妊婦の魚介類の多量摂取による重金属の影響が指摘されている。欧米では、妊婦の魚介類の摂取基準を打ち出しており、妊婦の認知が浸透しているが、日本では胎児性水俣病がおおくでたからか、またはふれずらいテーマであるからかわからないが、2004年の厚生労働省の発表まで遅れた。
私たちが、新しい水俣病発生として考えなければならないのは、胎児性のものである。チッソのような公害汚染は当然二度とおこしてはいけないが、これからは法整備もあって再び同規模の公害がおこるとは考えにくい。妊婦や他の危険要因を収集し、正しい情報にもとづいて、新しい発生を防ぐ努力をしていくべきである。こういったことから、水俣病から学び広めていくことはおおくあり、問題を風化させてはいけないのである。
まとめ
今回のレポート作成にあたって、今起きている水俣病の問題について、きちんと整理、理解する機会を得ることが出来たことは非常にうれしく思う。この作成機会がなかったら、水俣病は私の中では、過去の問題のままでした。医師が下した指針によって水俣病は現在の形になりました。場合によっては、大きな転機となって今現在のかたちがかわっていたかもしれません。当事の厚生省がもっと本格規定していたならば、当事の研究チームが大きく変わっていたならば、医師が下した基準がもう少し緩やかなものであったならば、今の悲惨な現状がかわっていたかもしれない。時として、時代の流れに左右され、自身のやるべき本質を見誤うことがあるが、そのことが自分の目指す形と反対の結果をうむことがある。誰も当事、水俣病を起こそうと思っておこしたわけではない。しかし、声を大きくあげなければならないとき、決して超えてはいけない一線にであったとき、強い意志と倫理観のもとで行動していきたい。私たちは、社会的にも与える影響が大きい医師になることを自覚していきたい。最後に、水俣病について深く考えるきっかけとなった今回の機会を大切にして、今後の被害者の動向には注目していきたい。そして被害者の方々が、幸せに暮らしていけるようになってほしい。かれらは、自分の意思と無関係に障害をおいいまも社会的立場の向上に尽力されているのだから。