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はじめに
今回、ビデオを見てこのキーワードを選んだのは、水俣病の原因であるメチル水銀がどのようにニューロンに作用したのか興味があったからです。
公害については小学校の時に勉強したのですが、メチル水銀の詳しい作用については何も習っていなかったので今回、論文を読んで、調べてみようと思いこのキーワードを選びました。

選んだキーワード
<メチル水銀、ニューロン>

論文の概要

政府の水俣病認定基準に1つに挙げられている四肢末端の感覚障害は、末梢知覚神経障害に由来する可能性が高いと考えられる。メチル水銀での汚染が一定時期に限定されていたことを踏まえて、曝露時期の異なる水俣病患者の末梢神経を検索し、障害の程度を検討した。その結果、後根神経(知覚神経)では前根神経(運動神経)に比べてより強い病変を認めた。しかし、剖検例の検索では完全再生像は証明できなかった。

水俣病発生の真の原因がメチル水銀と判明してから、水俣病発症の考え方を修正する必要に迫られた。1968年以降は水俣湾魚介類のメチル水銀濃度は減少し、長期経過水俣病は高濃度メチル水銀汚染時期に影響を受けた後遺症と考えられるようになった。高濃度メチル水銀中毒の初期脳病変は脳浮腫によること。また、末梢神経病変は軸索変性が先行することがコモン・マーセットによる実験で証明された。

論文の内容と、ビデオの内容から、自分自身で考えたことを、将来医師になる目で捉えた考察とまとめ

水俣病については、小学校のときに社会科で勉強したので、どこでおこったのか、何が原因だったのか、という、基本知識は持っていました。しかし、私の中では、水俣病を代表とする四大公害は過去のものであり、現在では全て解決しているものだと思っていました。今回、予防と健康の講義見せていただいたで水俣病訴訟についてのビデオのタイトルは「不振の連鎖〜水俣病は終わらない〜」でした。はじめ、このタイトルを見たときは意味がわかりませんでした。しかし、ビデオを見ていて納得できました。終わらない主な理由は水俣病かそうでないかという認定の問題についてという内容でした。昭和52年に設定された認定基準は現在でも適応されており、ずっと水俣に住んでいる人でも症状によっては水俣病に認定されないという問題が生じています。この認定基準では、四肢抹消感覚障害だけでなく、以下の運動失調、平衡機能障害、求心性視野狭窄、中枢性眼科障害、その他のいずれかの障害が認められなければならない、となっています。しかし、この認定は医師がするのではなく、指定の病院で検診を受けた後に、さらに知事の認定が必要だそうです。このことにより医師が水俣病と診断しても国が認めないというすれ違いが生じています。今回読んだ論文によると、水俣病患者の感覚障害は、中枢性(中心後回)病変によるものと脊髄末梢知覚神経病変に由来する2つの因子が考えられるそうです。脊髄末梢知覚神経では後根神経(運動神経)のほうが強く傷害されるために、四肢末梢感覚障害が起こると考えられます。(発症20年前後の患者だと前根神経も同程度に傷害される)しかし、水俣病患者が長期にわたって生存する場合は、末梢神経が再生されるために感覚障害は軽減されると考えられているそうです。認定基準で水俣病と認定されるには四肢末梢感覚障害が必要不可欠なのに長期生存すると軽減されて認定されなくなるという矛盾が起こっています。しかも、病気を認定するのが医師ではなく、知事であることや、今、裁判所だけでなく医学会からも批判が出ている認定基準を使い続けていることにかなりの疑問を感じます。確かに、国側としては予算の問題などで極力水俣病と認めず、保証金を払いたくないのかもしれませんが、元々、水俣病がここまで大きい問題になってしまったのは政府の対応の遅さ、そして、企業の利益追求による周辺住民への配慮のなさが原因だと思われます。水俣病がはじめて報告された翌年の昭和32年には水俣湾の魚が原因の食中毒の可能性があり、県は国に食品衛生法の適応を求めていました。しかし、その3ヵ月後に当時の厚生省は適応を禁止。そのために、周辺住民への対応が遅れ、水俣病がここまで広がったと思われます。

ビデオでは関西訴訟団と環境省の会談の映像が映し出されていました。二者には水俣病に対して認識の食い違いがありました。先にも述べましたが、行政と裁判所で水俣病についての認定が異なっているためです。事実、この会談がもたれたのは水俣病訴訟で国が敗訴した後です。しかし、国側は裁判所が認めた水俣病患者を認定基準に当てはまらないからと、保証金を払うのを拒否しました。そのため、この関西訴訟団以外の水俣病患者は政治的決着を望みました。水俣病と認定されなくていいから、保証金(というか、お見舞金)をもらうというものです。この事実を知った時に本当に愕然としました。水俣病という公害、見方によっては人災によって苦しんできた人々が未だに認められず、苦しんでいるのがビデオの画面から感じました。現在、政府から水俣病と認定されているのはわずか2300人だそうです。学校の授業でしか水俣病について勉強していない私でも、この人数は少なすぎると感じました。また、認定基準が厳しすぎるとも。水俣病認定で難しいのはこれがあれば確実に水俣病だ、という、決定因子のなさと、医師ではなく知事が認定するという矛盾だと思います。後者についてはこれから起こりうる公害などについても問題になっていくと思います。病気になったら、医師のところに行くのが普通のことです。その医師が認定せずに何故、知事にしたのかが私には理解できません。ある意味これは日本の行政や社会制度の問題なのかもしれません。

ビデオでは環境省の官僚らしき人が言い訳をしているのが特に印象に残りました。原告側の人々の質問や意見に対して、明確な返答をするのではなく、あー、とかそれはとか言い。誤魔化している感じがあり酷く不快に感じました。大槻先生がおそらくあの答えている人は環境省に勤めている医師だろう、とおっしゃっているのを聞いて、医師が患者ではなく国を支持することもあるのだと知りました。もちろん、環境省の方にもその方なりの立場が会ったのだとは思います。しかし、環境省という国の中枢に勤めている以上は国民をできるだけ優先、支持してほしいと感じました。少し話はずれますが、国家予算の無駄な部分を削ったら、保証金くらいなら余裕で払えそうな気がします。

水俣病の原因であるメチル水銀は末梢神経だけでなく、中枢神経系にも影響を与えます。大脳では鳥距溝周辺の鳥距回、中心溝周辺の中心後回および中心前回、シルビウス溝周辺の中心後回および横側頭回に選択的障害が見られ、また、重症患者においては皮質全層に病変部位が見られるそうです。この病変部位に応じて視野狭窄・視力障害、感覚障害、運動障害、難聴が出現します。メチル水銀中毒の初期に脳浮腫が起こるために深い脳溝の周囲の皮質が圧迫されるために、循環障害が起こり、メチル水銀の毒性作用が増長し、皮質神経細胞の破壊・消滅が起こると考えられています。先に述べたような感覚障害が起こるのは感覚中枢である中心後回全体へのあきらかな病変を認め、特定の皮質が傷害されているのではない。また、メチル水銀中毒の初期症状では脊髄知覚末梢神経において、髄鞘には変化がなく、軸索変性が顕著であった。水俣病では脊髄後根神経節は比較的保たれているために、末梢神経は再生が可能となっている。そのため、感覚障害を考えるときは、メチル水銀の汚染時期を考慮する必要性がある。しかし、政府の認定基準を見ていると、汚染時期の考慮などはまったくなく、ただ、多い症状だけで水俣病をひとくくりにしてしまっているように感じました。環境省にはきちんと医学の知識を持った医師がいるのだからこの認定基準を変更することも可能だったと思います。また、裁判所、医学会から批判の出ているこの基準を未だに使い続けている行政にも疑問を感じます。何を元としてこの基準を設定したのか、これだけ批判が出ているのに何故変更しないのか。疑問しか残りません。医師が医学を学ぶのは病気や怪我で苦しんでいる患者を救うためです。しかし、この水俣病の場合、医師だけの力ではこれから先もずっと解決できないと思います。やはり、国家としての国の力が必要不可欠だし、環境省に勤めている医師の方々にもそういった努力をしてほしいと感じました。これが理想論だとはわかっていますし、同じ立場になった時に今、言っていることを私が実行できるのか、と聞かれたら「無理」だと答えると思います。でも、この気持ちを忘れてしまったら医師以前に人として駄目になってしまう気がします。理想論でもいいから医師としてそういう部分も持っている必要もあると思いました。

私の選んだ論文の1つに「臨床的に水俣病と判断するには感覚障害の存在のみでは困難であり、昭和51(1976)年以降に新しい患者が発見されていないことを考えると、昭和52(1977)年に示された国の判断条件である症状の組み合わせが妥当であると考えられることが改めて認識された」という記述がありました。では、長期水俣病患者で感覚障害が軽減された人はどうすればいいのでしょうか。論文を読んでいるとそういう方がいるということは容易に想像できる気がします。そういった方々はずっと水俣に住んでいても認定されないという現実をとても歯がゆく感じます。ビデオの中で関西訴訟団の方の「ずっと水俣に住んで水俣病に苦しんでいる人がいる。その人は保証金は要らないから水俣病と認めてほしがっている」という言葉を聞いて泣きそうになりました。ビデオのタイトル通り水俣病は終わっていません。むしろ、悪化していると感じました。行政と関西訴訟団の会談を聞いていると訴訟団の必死さが水俣病の酷さ、深刻さを雄弁に語っているように感じました。

将来、自分が医師となった時、できることは微々たることかもしれません。しかし、できる限りにことをしていきたいと思いました。