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1.はじめに
私達が日頃食べている魚には低濃度のメチル水銀が含まれている。そのため、魚を食べることにより日常的にメチル水銀が体内に取り込まれているが、同時に便などとともに体外に排泄されており、現在の平均的な食生活で、メチル水銀による健康影響が発生する可能性はほとんどないと言える。しかし、胎児は成人よりメチル水銀の影響を受け易いことが知られており、妊娠期間中に摂取した魚介類等によって取り込まれたメチル水銀の量が多すぎると、子供の神経系の発達に影響があるとの報告もある。私達の日常の食事でさえ、上記のように注意しなければならないのだから、高濃度メチル水銀曝露が原因で起こった水俣病ではどのようになるのか。
今回は、そのメチル水銀による公害病の水俣病をテーマに、ビデオや論文から自分なりに水俣病について考察したいと思う。
2.選んだキーワード
水俣病 ニューロン
3.選んだ論文の内容の概略
A水俣病(メチル水銀中毒症)の病因について - 最新の知見に基づいての考察 - (以下論文Aと記す。)
[要旨]水俣病発生の真の原因として、助触媒の変更により、水俣病が高濃度メチル水銀で汚染されたことが公表されてから、水俣病発症の考え方を修正する必要に迫られた。1968年以降は魚介類のメチル水銀濃度は激減し、長期経過水俣病は高濃度メチル水銀汚染時期に影響を受けた後遺症と考えられるに至った。高濃度メチル水銀中毒の初期脳病変は脳浮腫によること、また、末梢神経病変は軸策変性が先行することが、人間と同じ霊長類であるコモン・マーモセットで、実験的に証明された。
論文Aでは上記のように水俣病の病因が証明された。ヒト水俣病剖検例では、大脳で鳥距溝周辺の鳥距野、中心溝周辺の中心後回および、中心前回、Sylvius溝周辺の中心後回および横側頭回に選択的障害が見られる。臨床症状もその部位に応じて、視野狭窄・視力障害、感覚障害、運動障害、難聴が出現する。コモンマーモセットを用いることで、この大脳選択的障害を実験的に証明できた。コモンマーモセットでは、初期に脳浮腫が起こることにより、深い脳溝の周囲の皮質は圧迫され、循環障害を招来することによりメチル水銀の毒性作用が増長され、皮質神経細胞の破壊・消滅をきたすことが考えられる。
小脳病変の発生器序について。水俣病患者には、小脳病変で小脳性失調症が出現する。コモンマーモセットの実験から、初期には同じく脳浮腫が見られ、小脳脳溝が圧迫されている。そのために、顆粒層上層部に循環障害を招来して神経細胞が破壊・消滅すると考えられる。
感覚障害の責任病変について。水俣病の感覚障害は四肢末端のしびれ感で始まる。このことはコモンマーモセットの実験で、坐骨神経に強い軸策変性と髄鞘の破壊があり、マクロファージの浸潤を認めたことで明らかとなった。すなわち、四肢末端の感覚障害は、中枢および末梢神経病変によって起こることが明らかとなった。
B水俣病(メチル水銀中毒)の感覚障害に関する考察 - 末梢神経の病理学的所見を踏まえて -(以下論文Bと記す。)
[要旨]水俣病の初発症状で出現する四肢の末端の感覚障害は、末梢知覚神経傷害に由来する可能性が高いと考えられる。水俣病におけるメチル水銀の汚染が一定時期に限定されていたことが判明したことを踏まえて、曝露時期の異なる長期生存水俣病の末梢神経を免疫組織化学的に検索し、傷害の程度を検討した。その結果、後根神経(知覚神経)では前根神経(運動神経)に比してより強い病変を認めたが、剖検例の検索では完全再生像は証明できなかった。
論文Bでは、水俣病患者の感覚障害と末梢神経病変の相関を、熊本大学医学部の水俣病関係剖検例450例の中から、1971〜75年に剖検された水俣病患者9例、非水俣病患者5例(I群)、および1984〜87年に剖検された水俣病患者5例、非水俣病患者5例(U群)の脊髄後根神経神経節、前根、後根を研究対象とし、免疫組織化学的反応の成績を加えて考察している。マクロファージの浸潤に関して、T群の水俣病患者では9例中5例において前根よりも後根内の浸潤がより強かった。U群の水俣病症例では、胎児性水俣病症例を除いて前例でその差を認めなかった。また、対照例に関してはT群、U群ともにその差を認めなかった。以上の成績から、水俣病患者の末梢神経傷害は、知覚神経である後根が選択的に侵される傾向があり、前根に比較して明らかに後根により病変が強いことを再確認した。また、死亡後剖検された症例は、死に至るまでの経過が大きく影響し、末梢神経繊維の完全再生に至らぬ症例が大部分である。この事実は、発症後20年近く経過しても末梢神経内にマクロファージが浸潤していることから推察される。
以上の病理学的所見から考えると、臨床的に、水俣病と判断するには感覚障害の存在のみでは困難であり、昭和51年以降に新しい患者が発見されていないことを考えると、昭和52年に示された国の判断条件である症状の組み合わせが妥当であると考えられることが改めて認識された。
発症後10年前後の水俣病患者例は、前根病変と後根病変を比較すると明らかに後根神経の病変が強く見られた。しかしながら、発症後20年前後経過した水俣病患者ではその性差は判然とせず、前根と後根の双方に同程度の病変を見せる傾向があった。対象例の中には、明らかに他の原因と考えられている末梢神経病変を呈する症例もあった
20年という長い間に比較的元気で暮らした人は末梢神経が完全に再生されており、回復力のない人は傷害を残したまま死に至ったと考えられ、剖検では瘢痕形成を残した状態として認められるであろう。
4.選んだ論文の内容と、ビデオの内容から、自分自身で考えたことを、将来医師になる目で捉えた考察
「NHKスペシャル」:不信の連鎖・水俣病は終わらないを見て。
水俣病と聞いて思い出すのは、熊本県で起こった公害病であることくらいであった。今回このビデオを見て思ったことは、だた公害病であるという事実だけで水俣病を片付けてしまってはいけないということであった。なぜなら、水俣病が起こったことで水俣市の地域住民の暮らしががらりと変わり、患者さん達が少しでも暮らしを良くして行こうと、行政側と裁判に裁判を重ねてこれまで苦労して来られたからだ。
水俣病について論文を読んでみたり、ビデオを見たところ、臨床症状には知覚障害・運動障害・聴力障害・視野狭窄・言語障害などがあります。患者によっていくつかの症状の組み合せがあり、年齢病歴によって症状が大きく異なる。死亡者病理所見では、末梢神経の障害や大脳小脳の皮質障害が、水俣病患者に共通することがわかった。また母親が水俣病の場合、胎児が水俣病になり、水俣病に罹患して重い障害を持って生まれることもあるようだ(胎児性水俣病)。
医師が患者を診断して水俣病患者と決定付けることはできず、医師の診断はあくまで参考程度にしかならない。水俣病患者と認定されるには、認定審査会で行政が審査して初めて認定される。番組に出演していた医師は患者さんを水俣病患者だと診断しかねていた。なぜなら、費用は全額患者負担となるからだ。行政が水俣病患者と認定するには、判断条件のうち2つ以上症状がないと認定できないと番組では放映されていた。感覚障害は地域によって異なり、認定はそうそう容易なものではないことが分かる。水俣病は、昭和31年に発見され、昭和32年に原因が明らかになった。水俣病の原因物質は、チッソ水俣工場から排出されていたメチル水銀であった。海に流れたメチル水銀は水俣湾内の魚介類により濃縮され、その魚介類を食べた沿岸住民に症状が現れた、という訳だ。すぐさま食品衛生法が確立されたが、昭和32年9月11日にこの法案の適応はできないとの報告があり、さらに被害は拡大して行った。第二水俣病も新潟で発生した。サイクレーターを取りつけて、工場からの排水を処理するようにしたが、これは酸化鉄の赤色を除去する目的で設置したもので、水銀の除去を目的としたものではなかった。結果、水銀は水に溶けて流出して、第二水俣病の被害は軽減されなかった。
裁判を重ねて行き、最終的に水俣病患者とチッソは政府解決案で和解し、終わりを告げたかのようにみえる。確かにメチル水銀中毒の患者さんは消えたが、高濃度メチル水銀汚染時期に影響を受け、その結果後遺症を残す患者さんはたくさん居られる。番組の題名にもあるように、この患者さん達はこれからも後遺症に悩まされ続けて行くのだ。水俣病の歴史を見ると、行政の対策という対策は伺えず、金で解決しようということしか汲んで取れなかった。もっと良い対策があったのではないか、とも思うが、論文Bを読む限り、れっきとした根拠が証明されているのが分かり、また、それを基に国が示した判断条件である症状の組み合わせが妥当と考えるなら、仕方ないのかもしれないとも思う。後遺症に苦しむ患者さんのことを考えると、やりきれない気持ちでいっぱいになった。しかし、そんな中でも、水俣病の患者さんだけでなく、その他の病に苦しむ患者さんのため、少しでも役に立てるよう、これから勉学を惜しまずやっていこうと思った。
5.まとめ
去年と今年で、水俣病について深く知ることができた。今回は論文を2つ読んで、最新の知見に基づいた水俣病の病因や、臨床症状、末梢神経の病理学的所見を踏まえた感覚障害について知り、さらに、去年と同じく、実際の患者さんと行政との裁判、論争、そして医師の死闘をビデオで見て、水俣病についての知識がさらに深まったと思う。
公害病には、この熊本水俣病、新潟水俣病の他にも、イタイイタイ病、四日市ぜんそくがあり、これらは四大公害病といわれ、戦後日本の経済発展の裏面として知られている。故に、私が今回学んだ水俣病のことだけでは、公害病のすべてを学んだとはいえないようだ。この四大公害病の背景に、私が今回調べた水俣病と同じことが起きていると思うと、やりきれない気持ちになり、また、ビデオで見た医師のように、患者さんにやさしい医師になりたいと思った。