【レポートサイト top】  
------------------------------------------------

予防と健康管理ブロック レポート
                        
1、はじめに
 一年生、二年生を経験し、また新たな気持ちで三年生を迎えるに当たり、まず始めの大きな課題として与えられたのが今回のレポートでした。今まで私の人生の中でも一番大きなレポートの量ですが、他のみんなに遅れを取らないよう、このレポートを作成しようと思います。作成途中で最も手こずったのが、キーワード検索でした。一つも検索結果が出て来ないので、三四日どうしようかと悩んでいましたが、友人のおかげで、先生にお願いしてキーワード変更をして頂くという解決策が見つかり、そこからは順調にこなせていけたことが今回作成し終わった後の感想です。とにかく頑張って精進していこうと思いました。

2、選んだキーワード
 メチル水銀 
 ニューロン

3、選んだ論文の内容の概略
メチル水銀慢性投与に伴う大脳皮質ニューロンにおけるU−カルバインの活性化
目的
μ―カルバインはμM程度のCa2?で活性化される細胞内システインプロテアーゼで、興奮毒性が関与されることが知られている。そこで今回は、μ―カルバインの限定分解によって生じるα―スペクトリン分解産物(150kDa-SPDP)ならびに活性型μカルバインに対する特異認識抗体を用い、メチル水銀投与に伴うカルバインの動態について調べる論文であった。
結論
μカルバインはメチル水銀の慢性投与に伴う大脳皮質ニュー論旨に選考して活性化されることが示された。このことにより、メチル水銀に伴う大脳皮質ニューロン死における興奮毒性の関与がさらに明らかとなった。
実験方法
メチル水銀(10r/s)を16日齢のWistar系雄性ラットに一日一回の連続経口投与を行った。A群は三回連続投与の翌日、B群は七回連続投与の翌日、C群は七回連続投与の三日後に150Da-SPDPならびに免疫化学的解析を行った。
実験結果
各々の群のラットの大脳皮質から可溶性分画を調整し、ウエスタン解析を行った結果、150kDa-SPDP抗体の免疫反応物が認められた。さらにHE染色の結果、C群においてのみ著明なニューロン死が認められた。
3、選んだ論文の内容の概略
水俣病(メチル水銀中毒)の感覚障害に関する考察
―末梢神経の病理学所見を踏まえて―
 水俣病患者の感覚障害は、中枢性(中心後回)病変によるものと脊髄末梢知覚神経病変に由来する二つの因子が考えられる。中枢性病変の関与に関しては、全身性の感覚鈍磨が生じると考えられるが、水俣病の初発症状である四肢末端の感覚障害への関与については明確ではない。メチル水銀中毒実験では、サル、豚、ラットでは明らかに脊髄末梢知覚神経病変が観察されている。水俣病冒剖検例でも、前根神経に比較して後根神経の病変がより強い病変を呈している。水俣病剖検例では、メチル水銀汚染時期によってその病変が異なることに注目する必要がある無機水銀はアセトアルデヒド生産工場内で触媒として使用されていたが、水銀の活性化のために1932年以来助触媒として使用されていた二酸化マンガンが、1951年8月以降硫化第二鉄に変更された。マンガンは水銀のメチル化を抑制する作用を有していたが、マンガンの使用中止に伴いアセトアルデヒド生産工程におけるメチル水銀の生成が増加し、工場排水が停止された1968年までの17年間、水俣湾では大量のメチル水銀汚染が継続したとの報告がある。この時期のメチル水銀暴露暦のある患者においては、被爆量によって出現する病理的変化が異なると考えられている。またその後に発症した患者の病変は軽度であると推定される。さらに水俣病患者が長期にわたって生存すれば、末梢神経は再生するために感覚障害は軽減すると考えられる。この論文では、水俣病患者の感覚障害と末梢神経病変の相関を免疫組織化学的反応の成績を加えて考察している。
 マクロファージの浸潤に関して、T群の水俣病患者では9例中5例において前根よりも後根内の浸潤がより強かった。U群の水俣病症例では、胎児性水俣病症例を除いて全例でその差を認めなかった。また、対象例に関してはT群U群共にその差を認めなかった神経線維の変性およびシュワン細胞核の増加に関しても同様の傾向が見られた。微小再生繊維の確認に関しては、従来から施行してきたBodian染色および鈴木法による軸索染色の方が、今回なされた免疫組織化学よりも鋭敏であった。
 以上の成績から、水俣病患者の末梢神経障害は、知覚神経である後根が選択的に侵される傾向にあり、前根に比較して明らかに後根より病変が強いことを再確認した。さらに長期経過例になると、剖検例における末梢神経障害のみの所見では水俣病の診断は困難であることも再確認できた。当初の目的であった水銀への暴露時期の違いによる末梢神経再生の程度の違いは、今回の免疫組織化学的検索では証明できず、すでに我々が行った電顕的検索がより有効であることが判明した。
 この論文では、多数の水俣病関係の剖検例を経験して、剖検例における末梢知覚神経病変のみの奨励を水俣病と診断することは不可能であると判断した。したがって、著者らは従来から、病理学的に水俣病を診断するには、中枢神経病変を確認することが重要であることを報告してきている。
 今回の病理学的所見から考えると、臨床的に水俣病と判断するには感覚障害の存在のみでは困難であり、1976年以降に新しい患者が発見さていないことを考えると、1977年に示された国の判断条件である症状の組み合わせが妥当であると考えられることが改めて認識された。発症後10年前後の水俣病患者例は、前根病変と後根病変を比較すると明らかに後根神経の病変が強くみられた。しかしながら、発症後20年前後経過した水俣病患者ではその差は判然とせず、前根と後根の双方に同程度の病変を見る傾向があった。対象例の中にも明らかに他の原因(変形性脊椎症)と考えられている末梢神経病変を呈する症例もあった。剖検例を用いて完全再生有髄神経線維を証明するには、合併因子が多いことと死後変化のために検索が困難であり、電顕的検索が可能である生検標本による検索が必要と考える。20年という長い間に比較的元気で暮らした人は末梢神経が完全に再生されており、回復力のない人は障害を残したまま死に至ったと考えられ、剖検では瘢痕形成を遺した状態として認められるであろう。

要旨
水俣病の初発症状で出現する四肢末端の感覚障害は、末梢知覚神経障害に由来する可能性が高いと考えられる。水俣病におけるメチル水銀の汚染が一定時期に限定されていたことが判明したことを踏まえて、暴露時期の異なる長期生存水俣病患者の末梢神経を免疫組織化学的に検索し、障害の程度を検討した。その結果、後根神経では前根神経に比べてより強い病変を認めたが、剖検例の検索では完全再生像は証明できなかった。


(3)四月七日のビデオについて
 
この日のビデオの話題は水俣病についてでした。水俣病とは1932年以降、新日本窒素肥料(現在のチッソ)水俣工場が行ったアセトアルデヒド生産時の触媒による副産物であるメチル水銀を含んだ廃液が汚染処理を十分行わないまま海に流されたことにより、この廃液中のメチル水銀が生体濃縮され、付近で獲れた魚介類を摂取した住民に水銀中毒の被害が発生した。ということ。国と水俣病患者との激しい訴訟問題が取り上げられ、水俣病患者に対してあまりにも少ない支援と、水俣病であると診断する規定がとても限定されたものであることに対して、水俣病患者の症状を伴っているのにも関わらず水俣病患者と診断されていない人が大勢いること。それに対しての抗議している国の対応があまりにも横柄であり、意思を変えず、対応が遅いことがとても印象的でした。
 また、今回一番印象に残ったことが、親子二代にわたって水俣病患者と長年対面してきた、松本医院という町医者の先生についてでした。院長は昔から今でも水俣病患者と向かい合ってきたそうでした。水俣病と診断できない水俣病患者に対してとても悔しい思いをして、とても悩んだそうです。実は初代院長は水俣病にかかっており、死後解剖してみると脳内に水銀が見られたとのことでした。しかし、息子の二代目院長は初代を水俣病と国に申請をしなかったそうです。それは、二代目院長が申請されない浮かばれない人たちに後ろめたさを感じたからだそうです。それを見た時にぐっと考えさせられました。医師としての立場、患者さんに対する思い、将来自分はどのような医師を目指すべきなのか、色々なことを考えました。私は最終的には親の後を継ごうと思っているので、二代目院長と立場が少なからず似ている立場の中で、そのような経験がもし自分の中に起こった時に、二代目院長と同じ行動をするのだろうか、患者さんと国の間にあるこの居た堪れない立場の中でうまく対処し、冷静に医師としての本分を全うしていこうと思いますが、でも同じことが自分の身に降りかかってこなかったらいいのになと本心では思ってしまいます。本当にとても興味深いビデオでした。

 (3)四月十四日のビデオについて

今回のビデオは遺伝子に関するものでした。人の共通した遺伝子は99,7%であり、0,3%が人の個性であると述べていました。また、アルデヒド脱水素酵素の遺伝子がAAAの人はお酒に弱く、AGGの人はお酒に強いことが分かっているそうです。また、第八番染色体の中のTがCに変わっている人はやせにくい体質の人で一日千kcal消費というとても少量の栄養を取ることでダイエットがやっとできるなどという事例もありました。今回は遺伝子の塩基配列を細かく解明していくことによって新たな側面から病気を治したり、生活を改善していこうというもので、最終的にはオーダーメイド医療に発展していました。それに対してはある程度知っていた知識だったので、深い共感は得られませんでしたが、遺伝子治療に関して新たな事例を得られたことに対してよかったです。

4、選んだ論文の内容と、ビデオの内容から、自分自身で考えたことを、将来医師になる目で捉えた考察

 今回四つありましたが、自分の中で印象に残るものは、水俣病についての論文と、水俣病についてのビデオです。論文は医師側からの側面から見たもので、ビデオは水俣病患者側からの側面から見たものでした。論文は医師が書いたものであるため、水俣病に関しては、病気という立場で国側からの側面で見ていると感じました。確かに論文なので、後根神経に関することを研究するのでどちらの立場に立っているかなどは、あまり関係はないかもしれませんが、国の設定する水俣病への診断基準が正しいと一言あるため、若干国寄りだと感じてしまいました。それに対してビデオは患者側からの視線で見ており、その中の医師も患者側からの視線で見ており、とても二つは対称的だなと今回を通じて一番に感じました。医師の立場の中にも患者側の立場を考える医師と、患者の意見を考えることよりも医学のために研究する医師といろいろな側面が垣間見られたような気がします。自分はどのような立場につこうか今回のレポートを書いていくにあたり、考えましたが、僕の答えは、完全にどちら側につくということはできないと思いました。自分が将来医師になった時、必ず研究すると思いますし、でも常に患者さんを治そうという気持ちは忘れないと思いますし、また、一人前の医師となれるように日々努力していると思います。この水俣病ということに関しては国と患者に板ばさみにされている立場である医師ですが、そこには柔軟な姿勢、対応が必要だなと感じました。

5、まとめ

 今回、自分自身の感想としては残り二つに関してはあまり水俣病に関連がなかったということもあり、全体的にはまとめきれなかった感じがしますが、いろいろな側面から水俣病に関して見られたこと、また医師としての立場からも見れたことが貴重な経験となりました。一つ一つのテーマに関して考えさせられる部分があり、またそれらを比較考察して
みるとまた新たに考えさせられ、とても充実していました。