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水俣病の神経傷害について
はじめに
本邦での水俣病発生以来、メチル水銀が人体へ及ぼす影響について、多くの検討がなされてきた。
四肢の痺れ感と痛み、言語障害、運動失調、難聴、求心性視覚狭窄などを主徴とするHunter-Russell症候群が臨床的にその指標とされるが、必ずしもすべてのメチル水銀中毒でこの主徴が出現するとは限らず、水俣病と公認されない多くの水俣病患者が存在することをビデオを通じて知り、憤りを覚えた。
水俣病は本邦の歴史上、重要な公害病である。そもそも、メチル水銀はいかにして生じたのだろうか。後述の論文Aによれば、アセトアルデヒド工場内で触媒として用いられていた無機水銀がメチル化するために、これを抑制するべく二酸化マンガンが助触媒として用いられていた。ところが1951年8月より二酸化マンガンに代わり硫化第二鉄が使用されるようになり、これによってアセトアルデヒド生産工程においてメチル水銀の生産が増加したらしい。工業排水が停止された1968年までの実に17年間、水俣湾では継続して大量のメチル水銀汚染が確認されている。
前述したHunter-Russell症候群の定義づけは、種子殺菌剤としてメチル水銀化合物を製造する工場の労働者が罹患したメチル水銀中毒の症状に基づいている。一方、水俣病は、メチル水銀に侵された魚介類の摂取によりメチル水銀中毒に罹患したものである。
メチル水銀が人体に及ぼす影響を知り、Hunter-Russell症候群の水俣病への適応の妥当性について考察したいと考える。
キーワード
@水俣病
A神経細胞
論文概要
@メチル水銀による酸化ストレスと神経細胞
小脳神経細胞にフォーカスしたメチル水銀の細胞への影響について。細胞毒性発現機構は、メチル水銀による酸化ストレスにより、神経細胞をアポトーシス様の細胞死へ誘導する。
A水俣病(メチル水銀中毒)の感覚障害に関する考察-末梢神経の病理学的所見を踏まえて-
末梢神経系にフォーカスしたメチル水銀の影響について、時間的経過による症状の違いを剖検により検討し、メチル水銀中毒により侵された神経の再生因子を考察する。
考察
Hunter-Russell症候群に代表される言語障害、運動失調、難聴、求心性視覚狭窄は、水俣病によって死亡した患者の脳の典型的病理所見である大脳皮質の視覚中枢、運動、知覚中枢などの選択的傷害、小脳皮質顆粒細胞の脱落萎縮などからも裏付けられる。
中枢神経を通過するには、血液-脳関門(BBB)を通過しなければならない。従来、メチル水銀は脂溶性であるため、BBBを通過すると考えられていたが、これよりも脂溶性の高いフェニルケトンが血液-脳関門を通過しないことがわかり、この可能性は否定された。
今日では、メチル水銀はシステインと複合体を形成し、構造的に類似したメチオニンの輸送系を介して細胞に取り込まれることがわかっている。また、メチル水銀は胎盤を通過して胎児に濃縮蓄積され、胎児性水俣病と呼ばれた。
これらの臨床症状は重症なものであるが、神経症状以外に他臓器へ影響する可能性もあり、軽症や非典型的な中毒症状も多く存在することがわかっている。
多くの動物実験などから、メチル水銀の毒性の細胞内の主要な標的部位はタンパク質合成系と微小管であると考えられてきたが、これは有核のすべての細胞に共通の器官であるため、メチル水銀の、脳神経系への特異的毒性には関与していないと思われる。
そこで著者らが神経系細胞と非神経系細胞のメチル水銀曝露実験を試行し、各々の50%致死濃度の比較を行った結果、神経系細胞が高感受性を示し、小脳神経細胞ではアポトーシス様の細胞死を生じたという。更に、顆粒神経細胞が培地中では25mMのカリウムイオン存在下で脱分極するが、逆に生理的濃度である5mMに戻すとアポトーシスを誘導するという性質を利用し、25mM→5mMのカリウムイオン濃度シフトによってアポトーシスを誘導する一方で、カリウムイオン濃度を25mMに維持してメチル水銀を添加し、細胞死誘導の比較実験を行ったところ、メチル水銀曝露による顆粒神経細胞の細胞死がアポトーシス様であることを確認した。メチル水銀に誘導される顆粒神経細胞のアポトーシスは、タンパク質合成阻害剤、及び転写阻害薬では阻害されず、アポトーシスを誘導する因子が、前述したこれらのメチル水銀の作用に関係しないことが証明された。つまり、顆粒神経細胞に見られるアポトーシスは、この細胞にのみ特異 以降に、同氏らによりラットのメチル水銀経口投与の実験が試行され、小脳でのみDNAの断片化が見られたため、in vivoにおいてもメチル水銀が小脳に特異的にアポトーシスを誘導することが証明された。
では、実際にメチル水銀はどのような機構でアポトーシスを誘導するのだろうか。
論文@によると、メチル水銀による神経細胞のアポトーシス誘導機構では、細胞内カルシウムイオンの恒常性の破綻、酸化ストレス、神経栄養因子環境の変化などが関与するらしい。同書では、特に酸化ストレスの関与について注目している。
メチル水銀を投与したマウスの脳で、活性酸素種の増加と、抗酸化酵素活性の低下が見られ、また、視床下部由来神経細胞株GT1-7のメチル水銀曝露実験では、活性酸素の増加とグルタチオンの低下を伴う細胞死が知られている。グルタチオンは欠乏により、酸化ストレスを伴う溶血を誘発する。
しかし、アポトーシス抑制癌細胞であるbcl-2をトランスフェクションした細胞では、メチル水銀による活性酸素の低下とグルタチオンの低下を抑えられることが判明したという。
また、ビタミンEは抗酸化活性を有し、古くからメチル水銀による神経毒性・神経細胞傷害を軽減する効果があると知られている。同士らにより、ビタミンEの添加の有無による小脳神経細胞の細胞傷害の程度を比較する対照実験が試行され、神経細胞のみの場合に神経細胞死を誘発したのと同量のメチル水銀に曝露しても、ビタミンEの存在下ではほぼ完全に抑えられることが分かった。小脳神経細胞がアポトーシスを開始するまでに、lag periodが存在するが、メチル水銀添加の後、lag periodとほぼ同時間後までに添加すれば、各時間とも同程度の神経細胞死保護効果が認められたという。以上の結果から、酸化ストレスは、メチル水銀が神経細胞死を誘発する過程の最終局面で、必須の役割を果たすといえる。
以上より、メチル水銀曝露が明らかな場合、速やかに抗酸化活性を有する物質を投与することで、メチル水銀による小脳神経細胞への細胞死誘導が予防できる可能性が生じた。著者によれば、これまでの研究とは異なる側面からのアプローチにより新たな神経細胞死誘導機構の発見、ひいては外因性で選択的に特定の脳細胞に細胞死を誘導するモデルとして、メチル水銀による中毒症状の解明に留まらず、他の神経疾患の発生機構の解明にも役立つ可能性があるという。ビデオで、メチル水銀中毒による小脳の傷害で運動障害を抱えた女性の映像に、ひどく衝撃を受けた。体を思うまま、満足に動かせないことの不自由さやフラストレーションは如何ほどなものか。科学の進歩とともに、私たちの周りにはあらゆる化学物質が溢れている。水俣病の悲劇を繰り返さないために、予防面や治療面
においても今後の研究成果を大いに期待するとともに、医師になる者として自らも尽力していきたいと考える。
水俣病の感覚障害は、中枢性病変によるもの、末梢知覚神経病変によるものの二つ因子が考えられている。水俣病の初期症状である四肢末端の感覚障害は限局的であり、動物実験ではメチル水銀中毒の固体から、明らかな脊髄末梢知覚神経病変が観察されることから、末梢知覚神経の傷害の可能性は濃厚である。
水俣病剖検例で、運動神経である前根神経よりも、知覚神経である後根神経のほうがより強い病変を示し、メチル水銀汚染時期によってその病変が異なるという。メチル水銀の被曝量によって出現する病理学的変化が異なるならば、前述したアセトアルデヒド工場が排水停止になった1967年以降に水俣病を発症した患者の病変は軽度であり、また、長期生存した水俣病患者では末梢神経は再生するので、感覚障害は軽減すると考えられる。
そこで著者らは、水俣病関係剖検例450例から1971〜75年に解剖された水俣病患者9例と非水俣病患者5例(T群)、また1984〜87年(U群)に剖検された水俣病患者5例と非水俣病患者5例について、脊髄後根神経神経節、前根、後根を調査した。四肢末端の感覚障害出現を発症とすると、T群では3〜18年、U群では10〜30年と幅広い経過を示し、年齢層も広範囲に渡っていた。
マクロファージの浸潤に関して、T群の水俣病患者では9例中5例において明らかに前根よりも後根内の浸潤がより強く、U群の水俣病症例では、胎児性水俣病症例を除いてどれも高レベルで、全例でその差を認めなかった。非水俣病症例に関してはT・U群共にその差を認めなかった。T群の結果より水俣病患者の抹消神経傷害は、後根、即ち知覚神経が選択的に犯される傾向があり、前根、即ち運動神経に比して病変が顕著であることが再確認され、この区別による水俣病罹患の鑑別が可能そうだが、U群の結果より、長期経過例になると、末梢神経障害のみの所見では、剖検だけでは水俣病の診断は困難であるようだ。剖検例では死に至るまでに多くの因子が末梢神経症神経傷害に関与するため、メチル水銀中毒によるものかの判断が難しく、末梢神経が完全に再生するには、病変の程度に加え栄養状態などが関与するらしいことが、発症後20年近くが経過してもマクロファージの浸潤が見られたことで推察された。
以上より、剖検例における末梢知覚神経病変のみの症例を水俣病と診断することは不可能であり、臨床的にも水俣病と判断するには感覚障害の存在のみでは困難であり、Hunter-Russell症候群に基づいて定められた国の判断基準が妥当だという。
論文Aについては、内容をあまり感じなかった。そもそも、剖検例24体とは、結論を導くに足るのであろうか。先人の実験をトレースし、結果を確認しただけのように感じた。今剖検により、末梢知覚神経傷害の存在だけでは、臨床的に水俣病と判断できないことは分かった。しかし、逆にこれだけではHunter-Russell症候群の主徴に診断基準を委ねる理由にはならないのではないかと思う。より多くの剖検例から、Hunter-Russell症候群の妥当性の検討も含めた研究をすべきではないか。著者自身、水俣病はメチル水銀の被曝量や時間的経過により様々な病変を呈すると述べている。Hunter-Russell症候群を診断基準として肯定するには証拠も検討も不十分であると考える。水俣病研究は今も尚苦しむ水俣病患者の身体的、精神的苦痛を取り除く、あるいは軽減するためになされるべきであると考える。
まとめ
ビデオを見て、初めて水俣病を身近に感じた。例えば天然痘のような過去の病気として捉えており、社会科の教科書のレベルほどの認識しかなく、未だに病気に苦しむ人々の姿に、申し訳なく思った。本来、彼らの苦痛を理解し、精神的に援助するべきであるはずの国の対応に憤りを感じた。孤独に戦いながら亡くなっていく水俣病患者の無念は如何程なものか。
今回、2本の論文を通してそれぞれ中枢神経系と末梢神経系へのメチル水銀中毒症状やその機構を学び、特に中枢神経系である小脳神経細胞への、メチル水銀のアポトーシス誘導機構とその防除因子についての研究報告が大変興味深かった。他の神経疾患の治療への発展も望む著者の、患者を救いたいという気持ちも大いに感じられ、拙い知識ながら真剣に読みたいと感じた。ビデオに登場した医師やその父のように、将来医療に携わる者として、弱者である患者の気持ちを理解し、その精神的・身体的苦痛を少しでも多く軽減できるよう、献身的に尽くしたい。
今日盛んである遺伝子治療に関しては、精子バンクのように、よりよい遺伝子を購入し、遺伝子的に子供の産み分けをすることには未だに賛成はできないが、不妊治療や遺伝病治療に役立てることは、今後新たな医療のひとつの形態として、自身も積極的に取り組んでいきたいと考える。