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公害の背景とオーダーメイド医療
〜将来医師を目指す者の目で〜
1.はじめに
私たちは予防と健康管理の授業の一貫として、NHKスペシャル「不信の連鎖 水俣病は終わらない」と、「遺伝子タイプで選ぶ治療法」の2つのビデオを見ることで、今もなお世の中で起こっている問題や現状を知り、十分理解するに至った。選んだ論文の内容とビデオの内容から医師を目指す者として考察を試みる。
2.選んだキーワード
nucleotide sequence bronchial asthma
3.選んだ論文の内容の概略
喘息とは、高い罹患率と重大な死亡率をもたらす呼吸器疾患であり、また、複雑な遺伝性疾患である。β-ケモカインサブファミリーのメンバーであるRANTESは、アレルゲン侵入時に喘息性気道中の好酸球や好塩基球、肥満細胞、Tリンパ球といった炎症細胞の増加に対する主な化学誘引物質タンパクであり、喘息の急性発症の間中高いプラズマレベルを示すことからこの病因に関与すると示唆できる。研究は、家族ベースの関連検査(FBATs)と世代特有のcase-control分析により、RANTESプロモーター多型の関連をアトピーと喘息と同一視するために行われた。私たちはRFLP-PCR法を使用してRANTESプロモーターステータスを確立した154の核家族(453人の個人)を特定した。RANTESプロモーター多型でよく知られている−403G/Aと−28C/Gの二つのうち、−403G/Aだけは臨床的にみて適切な頻度で現れた。合計61の家族は血統不均衡テスト(PDT)によって喘息とアトピーを有する対立遺伝子変換の評価がみられた。RANTESプロモーター多型−403G→Aの全体的な対立遺伝子頻度は38.3%であった。表現型による−403A対立遺伝子のPDT分析の結果、医者診断された喘息(PDA)やSPT、s−IgEの場合において、−403A対立遺伝子を有する子供の頻度が高いということが分かった。それは、予想以上にメンデルの法則の伝播に従っていた。303人の無関係な両親において、変異体対立遺伝子の重要な関連は喘息の有無にかかわらずアトピーに対してだった。150人の無関係な子供において、重要な関連はアトピー単独と喘息に対して重要な関連がみられた。無関係の両親と無関係の子供の両方において、少なくとも1つの皮膚テスト陽性により定義されるように、−403A対立遺伝子とアトピー間にかなり高い関連があることが分かった。医者診断された喘息(PDA)年齢や性別を考慮した両親と子供のどちらにおいても、−403A対立遺伝子間に気管支過敏症(BHR)に対する関連は1つも見つけられなかった。−403G→Aは、喘息とBHRに比べてアトピーにより関係するものであるように思われるが、アトピーとアトピー性喘息と関連する。
4.選んだ論文の内容と、ビデオの内容から、自分自身で考えたことを、将来医師になる目で捉えた考察
NHKスペシャル「不信の連鎖 水俣病は終わらない」では、主にチッソ水俣病関西訴訟について取り上げられていた。これは、チッソ水俣病関西患者の会に集う大阪在住の熊本県鹿児島県出身の患者がチッソ・国・熊本県を被告として国家賠償請求訴訟を引き起こしたというものである。関西訴訟の基本的目標は、(1)チッソ・国・熊本県の法律的責任(水俣病の発生・拡大防止を怠ったこと)を認めさせること、(2)原告ら全員を水俣病患者としてとして認定させること、(3)水俣病被害に対し適切な損害額を認めさせること(患者一人について3000万円を請求)、の三点にあった。
1982年10月28日にチッソ・国・熊本県を被告として国家賠償請求訴訟を起こし、最終的には2001年に大阪地方裁判所で勝訴することで原告が水俣病と認められ、2004年10月15日には最高裁は原告を患者と認め、国と熊本県の責任を認めた。しかし、国は原告たちを水俣病とは確固として認めない方針であった。これこそが今もなお続く水俣病問題の真髄だと言えよう。
行政により水俣病認定棄却された患者の肉体的精神的そして経済的苦悩は、行政の水俣病患者の認定基準にある。この認定基準は、当時認定審査に当たっていた医学者達が過去の認定患者の症状をとりまとめて作成したもので、中枢神経系疾患のHunter-Russell症候群(求心性視野狭窄、小脳運動失調、平衡機能障害、四肢の感覚障害、聴力障害)の3徴である求心性視野狭窄、小脳運動失調、構音障害が揃った場合にはじめて被害者、すなわち、水俣病患者として認めると非常に厳しいものであった。しかし、実際のところ水俣の臨床症状としてはむしろ感覚障害が目立ち、また、患者によっていくつかの症状が組み合わされるといった症状の多様性が見られ、この行政の水俣病患者の設定基準に当てはまらない患者が多く見られた。こういった事実が実際問題あるにも関わらず、国が「この基準は現在も適切であり見直す必要はない」という主張を続けていることに首を傾げる。国のこの主張が、水俣病認定を本人の自己申告制としたことによる(激しい患者差別により自己申請し難く、水俣病の潜在患者を多数生み出したことにおいて言えば、これもまた疑問だが)、ニセ水俣病患者の出現や、金銭面においての膨大な出費を恐れたためであるとするならなんとなく分かるような気もするが、国は国民を守る立場でなければならないということから考えるとこの主張はやはり妥当性に欠けるものであると考えられる。また、認定基準の見直しがなかなか行わないという日本の体制から、欧米に見られる前向きかつ積極的姿勢とは異なり、消極的で固定観念に捕らわれがちな日本独特の体質が伺える。
水俣病患者の認定にあたって、極めて重要な問題がその背景としてある。医師の診断による水俣病患者の認定がなされたとしても、行政の水俣病患者認定基準との間に違いが生じた場合には認定患者として承認されない。すなわち、それは、医師の診断が行政の水俣病患者認定基準において単なる参考に過ぎないということである。患者さんにとって決して身近な存在でない行政の判断が優先されて、最も患者さんと身近に接している現場の医師の診断が参考として扱われるというところに疑問を感じる。ここで、現場の医師の存在
意義は一体何なのかということを考えさせられる。患者さんを救いたい一身でより適切な診断を下した現場の医師にとって、その自分の診断が行政により実際は患者の救いにはならないものとなってしまうということは、自身が患者さんにより近い存在であるが故に、より一層胸が引き裂かれる思いであり、また、無念であるに違いない。患者さんは自分の病気を国に水俣病と認めてもらいたいという思いで救いを求めて医師のもとにやって来るというのに、結果としてそれに対して何の報いも施せないという結末は、あんまりである。水俣病は健康保険が利かずに全部患者の自己負担であり、行政により認定された水俣病患者だけが国から救済を受けるということの上に、その行政による認定が困難であるといった更なる追い討ちをかけている政府の対応は、患者さんの経済的な苦悩はもとより、精神的な苦悩に対して積極的に耳を傾けているようには思えない。
水俣病問題において、最終的には関西を除いた全国7ヶ所の地・高裁に係属していた水俣病をめぐる国家賠償訴訟が、原告を水俣病患者と認めないまま、政治決着により無理やり終結ということになった。私は、国に対して、患者心理、国民心理を十分理解したより献身的な対応を願わずにはいられない。
喘息でまず頭に浮かぶのは、4大公害病の一つである(水俣病もその中の1つに含まれる)四日市喘息という、大気汚染により引き起こされた病気である。喘息症状を引き起こす気道の反応の原因として、大気汚染の他に、天候の変化、運動、薬、タバコの煙、ストレス、風邪などの感染症、年齢、心理の問題など多数挙げられる。アレルギーは喘息と強く関わっているとされているが、それはあくまでも原因の一つで、喘息の発症には様々な原因が複雑に絡み合って発症していると考えられる。論文によると、RANTESプロモーター多型の−403G/Aは喘息に何らか関係する確率が高く、喘息は遺伝性を持っているということを統計的、また、実験的に導かれた。このことと、番組「遺伝子タイプで学ぶ治療法」での肥満になりやすい遺伝子が存在するという言及から考えても、病気と遺伝子が密接に関係しうるということが分かる。
この番組では、個人の遺伝子情報を元になされる診断・治療であるオーダーメイド医療が最終的な焦点となっていた。治療を受ける患者固有の遺伝子情報を調べることで、治療薬の効果や、投薬量、副作用の有無をあらかじめ見積もることができるため、患者個人に最適な治療が行うことができると見込まれている。DNA配列の解読技術の発展などによって実現が可能となってきた今、このオーダーメイド医療は、従来の疾患中心であった医療から移行して、患者さんを主体とした医療を実現させ、誰もが気軽に安全かつ効率的な治療を受けられるということに関して言えば、非常に画期的であり、魅力的なものであると見受けられよう。しかし、そのメリットの面にだけに捕らわれることは極めて危険である。オーダーメイド医療を行うにあたって、個人の遺伝情報の流出の可能性を考えたそれを防ぐべく遺伝子情報の厳重な管理体制が非常に重要であり、必要であると考えられる。
5.まとめ
水俣病訴訟問題において、現場の医師と患者さんの無念さが背景としてある。現場の医師が患者さんにより近い存在であるのだから、もっと現場の医師の意見が反映されるべきである。患者さんを守るという責務は現場の医師に限らず国の責務でもある。双方ともに水俣病問題における背景にある悲しい事実に正面から向き合い続けることが解決への糸口ではないだろうか。