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予防と健康ブロック レポート
@はじめに
メチル水銀中毒例の最初の報告は、1940年にHunterらによってされた。これは種子殺菌剤としてメチル水銀化合物を製造する工場の労働者が雁患したものである。1956年に熊本県の水俣湾周辺で、生物濃縮により魚介類に蓄積されたメチル水銀を経口摂取することにより起こる神経系が傷害される中毒性疾患である水俣病が確認された。水俣病発生の原因は、チッソ水俣工場においてアセトアルデヒド産生工程でメチル水銀が生成され、排出されたことである。一方、1965年にチッソ水俣工場と同じ工程でアセトアルデヒドを生産していた新潟県の昭和電工鹿瀬工場からメチル水銀が阿賀野川に排出されて、新潟水俣病を起こすに至った。さらに、1972年にイラクにおいて、メチル水銀で処理された種子用小麦の摂取によって大規模なメチル水銀中毒が発生してきている。
A選んだキーワード
メチル水銀 小脳
B選んだ論文の内容の概略
《神経病理学より見た水俣病 / 衛藤 光明》
ヒト水俣病の臨床症状を成人性・小児性・胎児性水俣病に区別すると、成人性・小児性水俣病は、四肢末端の感覚障害に始まり、運動失調、平衡機能障害、両側性求心性視野狭窄、歩行障害、筋力低下、企図振戦、眼球運動異常、聴力障害等をきたす。また、味覚障害、嘆覚障害、精神症状等をきたす例もある。胎児性水俣病とは、曝露を受けた母体からのメチル水銀が、胎盤を介して胎児に移行することにより起こるものをいう。胎児性水俣病の臨床症状は重症例では、脳性小児麻痔様症状を呈すると考えられている。
成人性・小児性水俣病の大脳皮質病変は、急性期には循環障害が強く、脳浮腫及び微小出血が見られるが後に消褪する。神経組織の変性性変化には、神経細胞の急性腫脹、重篤変化、壊死消失に伴う脱落があり、それらの程度には重症から軽症なものまで6段階ある。中等症で長期経過すると、大脳髄質中心部の二次変性による淡明化が見られ、後頭葉の神経細胞脱落に伴い、下行路である内矢状層の系統的変性性変化を認める。ヒト水俣病剖検例では、大脳鳥距溝周辺の鳥距野、中心溝周辺の中心前回及び中心後回、シルヴィウス溝周辺の中心後回及び横側頭回に選択的傷害が見られる。重症例では皮質全層、軽症〜中等症では皮質第U〜V層の神経細胞脱落とグリオーシスが認められる。臨床症状もその病変部位に応じて、視野狭窄・視力障害、運動障害、感覚障害、難聴等が出現する。
水俣病では、両側性求心性視野狭窄が出現する。病理学的には、鳥距野の前位部の病変が後頭極よりも強いことが分かっている。また、解剖学的に、視野の支配領域で鳥距野の前位部が視野の周辺部を支配し、後位部が視野の中心部を支配することが知られている。鳥距野の前位部の傷害機序も、メチル水銀中毒の初期病変が脳浮腫であることを踏まえると、鳥距溝は前位部が深く、その部の皮質は周囲からの圧迫を受け易いために病変を形成する。一方、後頭極に近づくと脳溝が浅くなり、後頭極には脳溝を欠くために皮質病変をきたさないと考えられる。
水俣病では、小脳病変により小脳性失調症が出現する。小脳病変では、大型神経細胞であるプルキンエ細胞は比較的保たれるのに比して、プルキンエ細胞直下の小型神経細胞である顆粒細胞が選択的に傷害され、中心性小脳萎縮の型をとる。しかし、症例によっては小脳半球により強い病変を認めるものがある。コモン・マーモセットの実験から、初期には大脳と同じく脳浮腫が見られ、小脳脳溝が圧迫される。そのために頼粒層上層部に循環障害をきたして神経細胞が破壊・消滅すると考えられる。劇症型では、顆粒細胞よりもプルキンエ細胞の傷害が強く見られる。
脊髄にはメチル水銀の直接的傷害は見られないが、重症長期経過例で、運動中枢である中心前回の病変による錐体路の系統的二次変性変化を認める。また、末梢感覚神経の上行路である脊髄後索、特に内側Goll索の二次変性変化が見られ、特に腰髄の方がより強い傾向にある。この事実は、末梢感覚神経に病変が明らかに存在する根拠となる。また、錐体路の変性によって腱反射の克進が出現する。水俣病の末梢神経病変は、たとえ重症であっても全脱落することがないため腱反射の消失は通常認められない。
ヒトの水俣病重症例では、感覚神経である後根神経の脱落変性が見られWaller変性を来す。胎児性水俣病の後根神経には節性脱髄変性が見られた。水俣病の感覚神経は、全脱落するものではなく、重症例でも3分の1程度の正常神経線維がある。長期経過例では感覚神経線維の再生現象があり、生検例による電子顕微鏡的観察で神経線推の不全再生有髄神経線推が見られた。剖検例においては、多くの水俣病以外の死亡患者での剖検例において末梢神経、特に後根神経に変性を認めた。坐骨神経には、運動神経と感覚神経が混在しているので、一部病変を来しているのが感覚神経と推定される。また、排腹神経は純粋な感覚神経と言われており、水俣病では、後根神経と共に常に病変を認め、その程度は同等であるか、より強い病像を呈している。また、長期経過例での三叉神経を見ると、軽度ではあるが有髄神経線維の減少があり、微小軸索の束状の増加をみる再生神経を確認できる。よって口周囲の感覚障害は末梢神経傷害である。
メチル水銀中毒は、実験動物の種によって毒性反応が異なり、げっ歯類では末梢感覚神経に強い病変をきたす。また、霊長類でも種差があり、アカゲザル、リスザルのメチル水銀中毒において、末梢神経病変は認められない。しかし、同じ霊長類であるコモン・マーモセットにおいては中枢性病変の他に、メチル水銀中毒症の末梢神経病変が明らかに認められ、その初期病変では髄鞘は保たれており、軸索変性であることが判明した。アカゲザルに末梢神経病変がないことのみでヒト水俣病の末梢神経病変を無視している報告があるが当然種差を考慮すべきである。また、長期経過で再生神経線推が確認されたり、重症長期経過のヒト水俣病でも再生神経線推を認めた
水俣病の感覚障害は、四肢末端のしびれ感で始まる。感覚中枢である中心後回には明らかに病変を認める。水俣病の剖検例では、中心後回は全体的に侵され、特定の皮質の傷害ではない。感覚障害は中枢及び末梢感覚神経の病変によって起こる。コモン・マーモセットで、メチル水銀中毒の初期では髄鞘には変化がなく、軸索変性が著明であることわかった。コモン・マーモセットの劇症例では、坐骨神経の明らかな軸索変性と共に、髄鞘の破壊が認められ、免疫組織化学反応を応用した神経線推の変性所見の証明とマクロファージの浸潤を確認し、重症長期経過の人剖検例でも同様に証明できた。発症後2年半生存した症例には軸索の再生があり、軽症例では有髄神経も再生していた。
胎児性水俣病は成人例と異なり大脳の病変の局在性に乏しい。脳の発育障害、主として胎児期の遺残として、脳梁、脳回の低形成大脳皮質での層構築の異常、matrix細胞の遺残、小脳虫部のmatrix細胞の遺残、髄質内神経細胞の遺残、小脳虫部の層構築の乱れ等を認め、また、神経細胞そのものの低形成、形態異常配列異常等の所見を認める。
《メチル水銀による酸化ストレスと神経細胞死 / 国本 学》
メチル水銀による中毒では、四肢のしびれ感と痛み、言語障害、運動失調、難聴、求心性視野狭窄などの特徴的な臨床症状があり、Hunter-Russell症候群として認められている。
死亡例の脳の病理所見からは、大脳皮質では視覚中枢、運動および知覚中枢、聴覚中枢などの選択的な傷害が、さらに小脳皮質では顆粒細胞の脱落萎縮が特徴的であることが報告されており、臨床症状を裏づけるものである。
中枢神経系に障害を与えるためには血液一脳関門を通過する必要がある。メチル水銀はシステインと複合体を形成した後、構造的に類似したアミノ酸であるメチオニンの輸送系を介して積極的に細胞に取り込まれることがわかっている。
メチル水銀の毒性の細胞内での主要な標的部位と考えられてきたのは蛋白質合成系と微小管である。しかし、蛋白質合成系も微小管も神経細胞にのみ存在するものではなく、メチル水銀の毒性が脳神経系に対して特異性が高いことを説明するには、さらに別の因子の関与を考える必要がある。
細胞培養系において複数の神経系細胞と非神経系細胞をメチル水銀に曝露し、50%致死濃度の比較を行うと、神経系細胞が高感受性を示し、48時間曝露での50%致死濃度が肝実質細胞と小脳神経細胞とでは50倍以上の差が認められる。このとき小脳神経細胞の状態は核を含む細胞体が小さくなって多数の小胞が形成され、アポトーシス様の形態を示す。
ラット小脳神経細胞初代培養系において30mMのメチル水銀に曝露した場合、小脳神経細胞は48時間あまりの潜伏期間の後、急激にアポトーシス様に死んでいく。このとき、ビタミンE 20μMを共存させるとその神経細胞死はほぼ完全に押さえられる。しかもビタミンEをメチル水銀の添加24時間後、あるいは48時間後(つまり潜伏期間中)に加えてもほぼ同じ神経細胞死保護効果が認められる。これらの結果は、酸化ストレスがメチル水銀による神経細胞死において必須の役割を演じているとともに、細胞死の最終局面に関与していることを示す。
C論文・ビデオについての考察
メチル水銀中毒例の報告から66年、水俣病の発見から50年も経過しているが、メチル水銀中毒・水俣病についてはいまだに治療法、認定基準、救済、責任問題などという問題を残したままである。当時生まれた人はすでに50歳であり、当時チッソで働いていた人は定年を迎えているはずであるが、水俣病は過去の出来事として忘れられてはならない。現在、工場の排水停止後に魚介類のメチル水銀汚染は激減しており、水俣病が発生する可能性があるレベルの持続的なメチル水銀曝露は存在しないそうだ。
<参考文献>
・精神神経学雑誌 第108巻 第1号 P.10-23
・医学のあゆみ 別冊 酸化ストレスーフリーラジカル医学生物学の最前線
P.319-322