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 今回私達は水俣病に関するビデオや論文を見て、それについて考えることとなりました。私は水俣病のことはよく分かっていたつもりでしたが、あのビデオや論文を見て実は何もわかっていなかったことを思い知らされることとなりました。今回のレポートで調べたことや、ビデオで見たことを通して公害問題の真実や、それに対して医者が取るべき道を少しでも知ることが出来れば幸いに思います。

 今回私が選んだキーワードは「水俣病」と「感覚障害」の2つです。水俣病の原因となるメチル水銀が生物の感覚を狂わせることぐらいは知っていました。しかし、実際にメチル水銀が身体のどの部分に作用し、それによって患者がどれほど苦しい生活を強いられるのかまではわからなくて、解剖学や生理学をやってきた今の私ならば少しは理解できるかも知れないと思い、このキーワードに決めました。

 1つめに選んだ論文は、水俣研究会の作った「水俣病研究」の3巻に載っていた、有馬澄雄先生の論文です。この論文は、汚染地区住民の疫学調査を通して水俣病が人体に及ぼす影響を調べるというものでした。最初に驚いたのは、この調査を行ったのは2002年から2003年頃だったということです。水俣病が最初に発生したのは1953年頃で、それから患者と自治体の裁判が続き、水俣病のことが本格的に研究されるまで約50年もかかっていたのです。既に解決したとばかり思っていたこの病気のことは今でも研究が続いていたと初めて知りました。疫学調査は神経内科医を中心にボランティアの市民の協力もあって進められました。水俣病汚染地区の住民に彼らの生活や症状を聞き取る調査でした。それにより、感覚障害を訴える人が多かったことが明らかになりました。ところが、水俣病認定審査会長の井形教授は感覚障害を訴える人が多いことまでは認めていながら、実際に彼らを水俣病患者だと認定するには至りませんでした。その原因は調査の内容で、汚染地区住民の舌尖の2点識別覚を調べるというものでした。その結果は識別点の間隔が2mmの人と5mmの人に大きく分かれました。しかし、これだけではどちらが異常でどちらが正常なのかはわからず、それが水俣病の影響なのかどうかも曖昧なままでした。確かにそれだけでは認定には不十分かも知れませんが、水俣病を疑おうともしなかったことは問題だと思います。しかし、調査はさらに続き、今度は識別覚、立体覚を調べる試験や、運動機能の比較などを行って全体的な感覚について調べました。識別覚の調査は、丸、三角、六角の鉛筆を目隠しした人に持たせて、形を判別してもらうものでした。その結果は、汚染地区ではないK地区の人々が2〜3秒程度で答えられたのに対して、汚染地区のG地区の人々は10秒近くもかかっており、中には形そのものを間違えた人もいました。普通なら何でもないことなのに、水俣病になるとここまで感覚が低下するものなのかと思いました。他にも、2種類のサンドペーパーを用意し、目隠しした人にどちらのほうが粗いか答えてもらう試験もありましたが、これもG地区の人々のほうが低い正答率でした。G地区の人々は触覚だけでなく、全身性の感覚や振動覚、温度覚についてもK地区の人と比べて異常が見られました。一つの病気の正しい症状について証明されるにはこれほどまでの調査が行われていることを初めて知りました。それらの調査の結果、ようやく汚染地区住民に感覚障害が共通して見られることが明らかになりましたが、結局のところメチル水銀が人体にどのように作用するかまでは明かされないままでした。とはいえ、当時は水俣病と認めてもらうこと自体が大変困難だったため、これだけわかっただけでも大きな進展だったと思います。患者がなかなか水俣病と認定してもらえなかったことはビデオでも見たことでしたが、この論文をみて認定してもらうことの難しさがよりわかりました。

 もう一つの論文には、同じく「水俣病研究」3巻に載っていた永木譲治先生の論文を選びました。その論文によると、水俣病事件が発生した当時は、水俣病が作用するのは末梢神経であると言われていました。しかし、それは当時の最新の組織病理学的方法を応用しないで、しかもコントロールなしに異常ありと決め付けた根拠のない一説でした。永木先生はこの説の誤りを証明するために、末梢神経が障害される糖尿病患者を水俣病患者と比較検討を試みました。その方法は、糖尿病患者と水俣病患者の拇指背面の触覚および、アキレス腱反射の検査でした。その結果は糖尿病患者の約70%が正常な触覚で、その中の約70%の人々は反射が低下、または消失していました。触覚の鈍麻や脱失が見られる人もいて、そのほとんどは反射が消失していました。一方、水俣病患者の人々は全てに触覚の鈍麻、または消失が見られましたが、アキレス腱の反射については約60%の人が正常のままでした。その結果水俣病の表在感覚障害がポリニューロパチー(末梢神経障害)とは無関係であったことが明らかになりました。しかし、誤った説が一時的とはいえ信用されたのも理由がありました。メチル水銀をラットに投与すると、そのラットの末梢神経は障害されたことや、ヒトの中にも水俣病に合併した末梢神経障害もまれに見られたのです。とはいえ、確実な末梢神経障害が現れたのはラットだけで、ネコやサルに実験しても末梢神経障害は見られませんでした。結局、永木先生の実験でも水俣病が感覚障害の原因であることはわかりましたが依然、メチル水銀の作用するメカニズムは判明しませんでした。2000年以降の発達した技術をもってしても未だに全てが見えてこない水俣病は本当に難病であるのだと改めて思いました。

水俣病のビデオを見て、私はようやく水俣病の真実を知りました。病で苦しむ多くの人々、患者に対する厳しい差別、水俣病患者とすら認めてもらえない人々など、私の知らなかったことが次々と明かされました。そして、行政の認定一つで患者の運命も決められました。患者に支払われる補償金は行政が認めれば1600万円でしたが、司法認定では400万円、政治認定では260万円とあまりにも不公平な補償でした。しかも当時の患者は補償金目当てと疑われて、どこにも認定されない人もいたというのです。さらに、もっとひどいことに、国は患者に対して政治決着をつけることと引き換えに水俣病患者認定をやめさせるという無理難題もふっかけました。患者のことなど何とも思っておらず、自分達の身の安全しか考えていない国や自治体に憤りを感じずにはいられませんでした。確かに、国が20000人以上もの患者全員に莫大な補償金を支払うのは無理なところもあるでしょうが、患者の立場からすれば補償金がもらえなかったことよりも病に苦しむ自分と向き合ってくれなかったことの悔しさのほうが大きかったことだとおもいます。水俣病をめぐる裁判は約50年にも渡り、その間に亡くなった患者もたくさんいます。ここまで裁判が長引くと、もはや補償金だけが問題ではなく、国や自治体が患者と真剣に向き合えるように、水俣病のような悲劇を二度と繰り返すことのないようにすることに意義があったのでしょう。あのビデオを見てもう一つ忘れられなかったのは、水俣病認定に関わった松本医師の話でした。彼は水俣病患者と真剣に向き合って、行政が認めなくても彼が認めた患者はたくさんいました。彼の父親もまた水俣病患者であり、息子に対して自分を解剖して水俣病であることを証明させるという行動は大変偉大なことだったと思います。医者が身内の人間を切るということは今では許されないこと、あるいはやろうとしてもできないことです。いくら腕の立つ医者でも相手が身内であればまともに解剖することなどできないでしょう。それでも、水俣病の真実を知らしめるために敢えてそれを行った松本親子は本当に立派だったと思います。しかし、彼らの命を賭した行為もむなしく、医者の認定は行政の認定の決め手にはならなかったことは信じがたいことでした。今でこそ、医者は裁判において大きな決定権がありますが、当時の医者の立場は行政の前では無力だったことには驚きました。医者が何と言おうと国が定めた認定基準を変えることはできず、しかもその基準は今も変わらずにいます。一応、2004年の最高裁で原告側が勝訴したことで損害賠償の面では終止符が打たれました。しかし、国がもっと医者や患者の声を聞き入れ、患者が水俣病に苦しんでいたことを知って、患者や遺族に対して心から謝罪の意を示すことが本当の決着だと思います。

 今回のレポートを通して水俣病のことを、そして臨床だけでなく公衆衛生の場にも医者が深く関わっていることを知ることができて本当に良かったと思います。ただ、水俣病そのものの詳しいメカニズムに関する明確な答えが分からなかったのが少々残念でした。現在の技術を持ってしてもここまで研究に苦労する難病だということを改めて知りました。しかし、一連の症状にメチル水銀が影響しているのは確かなので、メチル水銀そのものについて調べればはっきりするかもしれません。暇があれば、自分でまた調べてみたい気もします。現代でも水俣病に劣らない公害、環境問題は山ほどあります。水俣病をめぐる訴訟に決着がついても、それは広大な世界の中の1つの事件でしかありません。ですが、私達はこの水俣病のような悲劇を繰り返さないためにも努力し続けなければならないことをおしえられました。私も水俣病が教えてくれたことを無駄にすることのないように、これからも「予防と健康」はもちろん、医者に必要なたくさんのことを学び、少しでも世のため人のためになれる人間になりたいと思います。