← 【レポートサイト top】 →
------------------------------------------------
水俣病についてのレポート
1.
はじめに
水俣病とは、有機水銀中毒による神経疾患のことであり、いわゆるメチル水銀中毒症のことである。メチル水銀中毒症は、1940年に報告されたイギリスをはじめ、日本、アメリカなど、世界各地で発生している。体内に蓄積したメチル水銀によっておもに脳の中の中枢神経系が侵され、手足や口の周りの感覚障害のほか、運動失調、聴覚障害、視野狭窄、言語障害などの症状をしめす。日本では1953〜59年に熊本県水俣地方で工場廃液による有機水銀に汚染した魚介類を食したことにより集団的に発生した。1964年ごろ新潟県阿賀野川流域でも同じ病気が発生した(第二水俣病)。
2.選んだキーワード
メチル水銀と感覚障害
3.論文の内容の概略
◎異なる地域住民における上肢運動機能の定量的評価
青木実花咲 村山伸樹 林田祐樹 伊賀崎伴彦
かつてメチル水銀中毒症が発生した
パラメータを「描画の正確さ」、「描画の滑らかさ」、「視標追跡能力」、「動作時の震え」、「静止時の震え」の5項目に大別し、各個人のデータを調べていき、上記の5項目のうち、異常値を示すパラメータが4項目以上に渡って存在する例を選出した。その結果を表に示す。
<4項目以上が異常値を示した被験者の総数>
|
被験者 |
総数 |
片側 |
両側 |
潟地区 |
63 |
18 |
9 |
9 |
川南地区 |
55 |
8 |
7 |
1 |
この5項目で評価した際、2つの地区の住民では、同年代の健常者に比べて、かけ離れた結果を示していることが分かった。特に潟地区住民では、両側に異常値が出ている。潟地区住民は同年代の健常者と比較して、ターゲットからのずれ、遅れや描円、すなわち運動の滑らかさ、震え成分をあらわす各パラメータが大きく異なる値を出す例が多数存在したのである。また、川南地区住民との違いは、描円の滑らかさ、震え成分において表れ、潟地区住民の方が健常者から逸脱した値を示す例の割合が多いことがわかった。この2つの項目においては、潟地区住民の中には加齢の影響とは思えないほどの、指標に対する明らかなズレが見られる例や、大きな震えや筆圧の変動が見られる例が存在したが、川南地区においては、潟地区のように極端な異常を示す例はみられず、ほぼ健常者と類似した軌跡を描いているからである。また、震え成分の周波数分析(1Hzごとに各周波数成分のパワースペクトルの和をとってパワースペクトルの分布を調べる。)において、潟地区で異常を示した例は、脊髄小脳変性症患者と類似したパワースペクトル分布を有していた。脊髄小脳変性症患者は3Hzにピークをもち、その前後で大きなパワーの値を示した。パーキンソン病患者では、2〜3Hzでピークをもつが、脊髄小脳変性症患者ほどのパワーの大きさはない。しかし、6Hz付近まで同程度の値を示し、パワーが広い周波数帯に渡って分布していることが分かった。潟地区で異常を示した例は大きさ、パワーの分布ともに脊髄小脳変性症患者と類似しているが、6Hz以降で脊髄小脳変性症より大きなパワーをもつ点で違いがみられた。一方、川南地区で異常を示した例は、パワーの大きさの点でややパーキンソン病患者に近い形になっていることが分かった。
これらの結果より、潟地区住民は、小脳系の運動失調を有していると考えられる。しかし、震え成分の周波数分析において、脊髄小脳変性症より大きいパワーをもつ点で違いが見られていることから、潟地区住民は小脳だけでなく、大脳などの運動中枢にも失調を有している可能性が考えられる。潟地区は有明海に面しており、
◎
水俣病患者の末梢神経
―感覚障害の責任病巣をめぐって―
永木 譲治
水俣病患者の末梢神経について、当時の進歩、発展した適切な組織病理学的方法を応用しないで、しかもコントロールなしに異常ありという誤った論文が発表された。表に1953年以降に発生した水俣病事件と、末梢神経研究の進歩に関係した主要文献を併記することにより、水俣病患者の末梢神経に異常ありという論文が誤りであることを明らかにすることを意図した。
|
日本 |
海外 |
1953 |
水俣病第一号認定患者発症 |
|
1956 |
水俣病公式確認 |
|
1958 |
|
Gilliatt&Sears(正中および尺骨神経知覚枝の電気刺激による活動電位を健康人、主根管症候群および肘部管症候群で記録し、末梢神経障害の診断に役立つことを明らかにする) |
1959 |
患者家族と汚染源チッソとの見舞金契約 |
|
1961 |
|
Gilliatt
et al.(下肢の膝窩神経活動電位を同様に記録し、ポリニューロパチーの診断に役立つことを明らかにする) |
1965 |
|
Gilliatt
et al.(健康人の末梢神経活動電位を表面電極で記録する方法を確立) |
1966 |
|
Buchthal&Rosenfalck(ヒト感覚神経の活動電位を針電極で記録する方法を確立) Dyck&Longfgren(ヒト末梢神経生検による定量的組織病理学的方法の基礎を確立) |
1970 |
竹内「10年経過後の水俣病とその病変」不顕性水俣病問題 |
|
1971 |
熊本大学医学部に第二次水俣病研究班発足 |
|
1974 |
|
LeQuesne
et al.(イラクで発生したメチル水銀中毒症の19例について表在感覚があるにもかかわらず、正中神経および膝窩神経の活動電位振幅および伝道速度が正常であったことから、その責任病変は中枢神経にあると結論) |
1975 |
|
Dyck
et al.(末梢神経の定量的組織病理学的研究の集大成) |
1976 |
Miyakawa
et al.(水俣病2例のヒ腹神経生検で異常ありと報告) |
|
1977 |
Eto&Takeuchi(水俣病6例のヒ腹神経生検で異常ありと報告) |
|
1984 |
|
Dyck
et al.(末梢神経の最新研究を集大成して第2版を刊行) |
1985 |
永木ら(健康人および慢性発症水俣病患者それぞれ8例のヒ腹神経生検で、両者の間に有意の差なしと報告) |
|
1995 |
未認定患者救済のための政府解決策で和解 |
|
2000 |
永木(正常人、水俣病各例の顕微鏡写真およびときほぐし繊維分析結果を提示する) |
|
2001 |
大阪高裁,国・熊本県の責任を認める初めての第2判決。被告国・県は上告 |
|
2002 |
衛藤(コモンマーモセットのメチル水銀中毒実験で、軸索変性が見られたと報告) |
|
表:水俣病事件とヒト末梢神経の研究方法の発展
末梢神経の電気刺激で発生するきわめて微弱な活動電流もエレクトロニクス進歩の結果、導出記録が可能となり、末梢神経障害を診断するための検査として応用されるようになった。手のしびれのもっとも多い原因は、正中神経や尺骨神経が局所的に圧迫されて起こる手根管症候群または肘部管症候群であるが、それらの患者の検査に応用した結果、いずれも活動電位振幅の低下と、伝道速度の遅延が認められた。また、糖尿病性ポリニューロパチーをはじめとした臨床的にポリニューロパチーと診断された症例について、下肢の外側膝窩神経の活動電位を導出した結果、高度の振幅低下と伝導速度遅延がみられた。すなわち、ポリニューロパチーの診断にも極めて有効であることが明らかにされた。さらに電気生理学的検査方法の発展がみられ、イラクに発生したメチル水銀中毒症について電気生理学的検査が応用され、中毒患者19例の正中神経および外側膝窩神経の活動電位振幅と伝導速度はすべて正常であったことが明らかにされた。これは、末梢神経の障害患者にはありえないことである。したがって、メチル水銀中毒症患者にみられる表在感覚障害の責任病変部位は、末梢神経では説明不可能であるため、中枢神経系にあると結論した。
また、電気生理学的検査で得られる活動電位は、大径有髄線維から構成されているので、小径線維の障害の有無は分からないはずであるが、末梢神経障害は大径線維から先に、または、大径と小径線維がほぼ同時並行的に起こるので、電気生理学的検査で必ず異常が発見されるわけである。組織病理学的検査方法の進歩発展もみられ、有髄線維の軸索および髄鞘の変化を観察する“ときほぐし線維分析法”と、末梢神経の障害に伴って必ず起こる有髄線維数の減少を定量的に示すための“有髄線維密度の測定方法”が確立された。慢性発症水俣病8例と年齢構成の一致した正常人8例の電気生理学的および組織病理学的検査成績の報告により、水俣病患者の生検直前の神経学的診察で、下肢末梢部分に、触覚、痛覚、振動覚および位置覚に明らかに異常が認められたにもかかわらず、ときほぐし線維分析結果および有髄線維密度は正常人との間に有意の差がなかったことから、イラクにおけるメチル水銀中毒症と同じく、表在感覚障害の責任病変部位を末梢神経で説明することは不可能で、中枢神経系にあると結論された。また、コモンマーモセットのメチル水銀中毒実験で、軸索変性があったとされているが、ときほぐし線維分析法による結果が示されていないため、軸索変性かどうかの判断は不可能であり、さらに、軸索変性の起こった有髄線維は変性消失するので、必ず線維密度の減少が見られるはずであるが、有髄線維密度は算定されていない。そもそも水俣病患者の末梢神経とコモンマーモセットのメチル水銀中毒症における末梢神経変化とは、無関係である。
以上のことにより、水俣病の表在感覚障害の責任病変部位は、末梢神経でなく中枢神経系であると当然結論づけられる。
4.論文とビデオの内容をふまえて、将来医師になる目で捉えた考察
水俣病はまだ終わっていない。裁判などで一応の解決が図られたかたちをとっているが、病気やその後遺症、認定問題などによって、今もなお苦しみ続けている人がたくさんいるのである。論文でも述べられているように、水俣病とは、主に中枢神経系が侵され、感覚障害や運動失調などの症状をきたすメチル水銀中毒症のことである。当時、いろいろな医師や研究者が水俣病の原因に有機水銀説を唱えていたにもかかわらず、厚生省やチッソ工場は反論し続けた。ようやく認められるようになった頃にはもう被害は拡大し過ぎていた。どうしてもっと早く対策出来なかったのか…水俣病についての勉強を進めていくにつれて、政府の当時の対応やチッソ工場に対しての憤りがふくらんでいった。
1957年の時点で厚生省が食品衛生法を適用していれば、当然ここまで拡大していなかっただろう。また、チッソ工場では、設計段階から水銀処理出来ないことが明らかであった処理機を使い続けていたのである。そのような不十分な排水処理が行われていなければ…悔やんでも悔やみきれない、大きな過失である。このような行政や自治体、企業の体制やシステムを明らかにし、事件の背景を調べ、原因を追究、解明していくことが、水俣病のような公害病という悲惨な出来事を繰り返さないことへの第一歩だということを痛感すると同時に、そのために公衆衛生学や予防医学、疫学が大切になってくるのだということを理解した。
また、認定基準の厳しさにも問題があると思う。行政や企業はこれだけずぼらな対応をしてきたのだから、少しでも水俣病の症状がみられる患者さんを認定して、きちんとした救済処置をはかることが、最低の義務であると思う。そうなってくると、取り留めがつかなくなるのだろうし、国側にも財政事情はあるだろう。安易すぎる考えなのかもしれない。しかし、症状に悩まされながら認定されずに嘘つき扱いをされたり、亡くなっていく患者さんの気持ちを思うと居た堪れない。認定の基準をもっと広げ、患者さん側の立場にたった柔軟な考えをもって対応して、患者さんの納得が少しでも大きくなるような方向に動いていって欲しいと、切に願う。患者さん側に、一切罪はないのだから。
5.まとめ
今回のレポート作成を通して、水俣病の症状の特性や原因、経緯について、よく理解できたと思う。また、ビデオからは患者さんの現在の心境を少しでも知り、学ぶことができたと思う。今まで深く知ることのなかった、公害病がもたらすさまざまな問題、表面に現れてくる病気だけでなく、その地域社会に与える影響の大きさや、原因の発見・究明・対策なども含めて、1つの出来事にはたくさんの背景が存在し、解決には社会と医学の進歩が不可欠であるということを改めて実感した。これから医師を志す私たちは、このような病気の歴史をきちんと理解し学ぶことによって、同じような悲劇が二度と繰り返されることのないように努めていくことが大切であると痛感した。