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1. はじめに
  4月7日に供覧した水俣病のビデオと、4月14日の遺伝子工学のビデオのうち、私の印象により残った水俣病のビデオを今回のレポートの題材に扱おうと考えたので、ここではこれまでの水俣病の概略と今回の水俣病のビデオの要点を簡潔に述べたいと思う。水俣病の歴史は1956年にさかのぼる。熊本県水俣市の八代海沿岸で感覚障害や運動麻痺などの症状を主訴とするさまざまな神経障害を来たす患者が出てくるようになった。この年が一応の水俣病が公式に発見された最初の年であるとされているが、実際にはのちに排水源と認められたチッソ水俣工場が1951年にアセトアルデヒド生成に硫化鉄を用いるようになり、水俣病の原因物質であるメチル水銀の排出量が急増し、1953年頃から神経症状を持つ患者が発生しはじめていることから、公式発表の1956年以前にも水俣病は存在したとされている。排出されたメチル水銀が高濃度に神経細胞に蓄積して、神経症状を引き起こすのである。八丈島で対照研究を行った結果、感覚に障害を覚える患者の割合が八代海の離島では八丈島の50〜250倍であった。(八丈島;0.2%、八代海沿岸;10〜50%) さらに水俣病で問題となったのが、政府の対応が後手に回ってしまったことである。1957年に熊本大学医学部が水俣病を「魚介を食べて起こる食中毒」と熊本県に報告し、熊本県から食品衛生法の適用の照会があったときに、当時の厚生省(現在の厚生労働省)は「水俣湾のすべての魚介類が危険だという証拠がない」としてそれを拒否し、結果としてさらなるメチル水銀被害の拡大を招いてしまったのである。結局、水俣病を厚生省が認めた1968年まで12年もの月日を要した。当時の通商産業省(現在の経済産業省)もチッソ水俣工場の排水処理施設が使えないことがわかっていたにもかかわらず、それを放っていたという事実もある。'04年に最高裁判決で国の不作為が認められたことからも、国の水俣病対策が遅れたことが水俣病の拡大を抑えられなかったと言えるだろう。また水俣病の認定という問題もある。実際に現場に従事している医療関係者ではなく、行政が決めた52年判断基準のために、水俣病を発症しているにもかかわらず、症状が比較的軽いために水俣病認定を受けられず、水俣病患者は苦しめられているのである。もう一つ、差別の問題もあった。八代海沿岸に限局して起こったために伝染病と誤って認識され、水俣病患者とその家族は周囲から奇異の目で見られていた。ハンセン病や結核と同じように、誤解や偏見が差別を生むという悲劇が繰り返されたのである。

2.選んだキーワード
  私は今回の水俣病のビデオを見て、キーワードを「メチル水銀」と「神経細胞」という2つのキーワードを選択した。工場排水中に排出されたメチル水銀は海水中で生物濃縮を繰り返し、最終的に高濃度にメチル水銀が蓄積した魚介類を食べた人間の神経細胞(特に小脳や大脳皮質の神経細胞)に蓄積するために起こるのだということをビデオで知ったために、それらの関連性をもっと詳しく知りたいと思い、これらの2つのキーワードを選んだ。

3.選んだ論文の内容の概略
  私が上記の2つのキーワードを踏まえて選んだ論文は、国立水俣病総合研究センター臨床部長の衛藤光明氏による『水俣病(メチル水銀中毒症)の病因について―最新の知見に基づいての考察―』と、北里大学薬学部公衆衛生学教室の国本学氏による『メチル水銀による酸化ストレスと神経細胞死』という2つの論文である。まず前者によれば、水俣病の真の病因は水俣湾が高濃度メチル水銀で汚染されていたことで、それが脳浮腫を誘発し、大脳皮質と小脳が選択的に傷害され、臨床症状もその障害部位に応じて視野狭窄・視力障害、感覚障害、運動障害、難聴というHunter−Russell症候群が出現するとともに、末梢の知覚神経の軸索変性も伴っていることがわかった。次に後者については、経胎盤曝露による胎児への障害、いわゆる胎児性水俣病についても言及されている。さらにはメチル水銀の細胞毒性発現機構についても述べられている。メチル水銀はアミノアシルtRNA合成酵素を阻害するために、タンパク質合成が阻害され、同時にまた微小管が脱重合を起こし、神経細胞の分裂がメチル水銀によって阻害されるという機構である。また、メチル水銀による神経細胞のアポトーシス様の細胞死と酸化ストレス(フリーラジカル)との関連性について言及している。メチル水銀の曝露によりフリーラジカルが著明に増加し、抗酸化酵素活性は低下している。それを示すように、抗酸化活性を有するビタミンEを投与した場合に神経毒性・神経細胞傷害が軽減されたことも証明された。

4.選んだ論文の内容と、ビデオの内容から、自分自身で考えたことを、将来医師になる目で捉えた考察
  何よりもまず私の印象に残ったことは、水俣病認定の問題である。認定の審査を医師が行うのではなく行政が行うということと、その認定の線引きによって、水俣病の症状に軽重があるにも関わらず、水俣病かそうでないかに分けたことにあると考える。水俣病には保険が適用されないため、52年基準に満たなかった比較的症状の軽い水俣病患者には多大の負担が掛かることとなり、水俣病と認定されなかった患者は国やチッソからの救済措置を受けられず、さらにそのような水俣病患者を追い詰めていったということは否めない。この数年、何かと話題に挙がっている『関西水俣病訴訟』の問題も、原因の一端はここにある。八代海沿岸地域に居住していた期間が短かったり、Hunter-Russell症候群の項目を十分満たしていなかったりしたために、いまだに泥沼の係争が続いているのである。まさに'04年に最高裁判決が出たように、国の不作為と言われても仕方のない点である。その中でももっとも不作為と思われるのが、厚生省が1957年の食品衛生法の適用を認めなかったところにある。その1957年の時点で食品衛生法を適用していれば、間違いなく水俣病の拡大は防げただろう。というのも、食品衛生法を海産物に適用すれば、漁業活動を制限することができ、間違いなく水俣病の拡大を防ぐことができたであろうからだ。『たら―れば』論になってしまうが、当時の厚生省にもっと水俣病というものに対して見識のある医師、ないしは研究者がいれば、数千人単位での水俣病患者の拡大を防げたのではなかろうか。少しでも現場に携わった医師が厚生省側にいれば、水俣病を防げたはずである。現役で働く医師ではなく、役人の意見がもっとも反映されたということは非常に残念である。また通産省にも大きな責任はあった。チッソ水俣工場のメチル水銀の排水処理施設に不備があったにも関わらず、通産省はそれを放置し、結果として水俣病の拡大と重症化を招いてしまった。これから先にもし同様の公害被害、あるいはそれに準ずるようなことが発生したときに、その拡大や悪化を水際で阻止できるとすれば、それは医師であると私は考える。『水俣病は終わらない』という今回のビデオで登場していた現役の医師のような人の意見がもっと反映されれば、確実に水俣病のような悲劇を繰り返すこともないであろう。
  次に印象に残ったこと、というより残念に思ったことが、水俣病患者とその家族への差別意識である。これは水俣病に限った話ではない。例えば身近なもので言えばハンセン病(らい病)や結核のような隔離政策の取られた感染症についても同様のことが言える。水俣病は前で述べたとおり、経胎盤で曝露されるケースがあったために、母親から子に染つる流行り病(伝染病)と誤解され、これが水俣病患者とその家族への偏見や差別意識を生み出したのである。前述の『関西水俣病訴訟』の原告だが、『水俣病』なのになぜ『関西』なのかというと、この理由のためである。水俣にいると偏見や差別を受けてしまうがゆえ、それが嫌で京阪神をはじめ、福岡や東京などの都会に移り住んだという経緯があるのだ。とくに大阪〜明石にかけての工業地帯(尼崎や姫路)に原告が多いのはこのためである。こういった偏見や差別意識をなくしていくのに重要な役割を積極的に果たさなければならなかった、あるいはこれからもはたさなければならないのがメディアと医師である。メディアについて事細かに論述する必要もないとは思うが、やはりメディアの持つ力は、時として人間を突き動かせるほどに絶大である。医師については、専門的知識を一般の人にわかりやすく、かつ誤解のないように十分説明することが肝要であると考える。ただ、それだけでは不十分である。医師とはいえやはり個人の力だけでは限界があるので、そこは集団の力、例えば医師会であるとか学会などが、そのような役割に寄与すべきではないだろうか。さらにそこに前述のメディアの力が融合されれば、その力はシナジー効果でさらに強固なものとなるであろう。今後また同様の事象が繰り返されたときに、このような包括的な対応が必要とされることは間違いない。
  このように、公害(大きな枠では疾病)を未然に防止する際においても、防止できずに拡大した場合の事後対応においても、医師が重要な役回りを担っていかなければならないと私は考える。その際、医師は一般の人に正しく説明できるよう、物事(ここでは疾病とその関連事項のこと)をミクロにもマクロにも捉え、十分に理解していなければならない。そこを誤ると大衆を間違った方向へと導いてしまうという恐れもあることを、確実に認識していなければならない。

5.おわりに
  今回このレポートを作成するに当たって、水俣病の何たるか、すなわち水俣病の背景や原因、病因、病態、臨床症状、そして歴史を認識することができた。小・中・高の近・現代史や公民で習ったときとはまた別の観点から、水俣病というものにアプローチできたと確信している。これが今回の私にとっての最大の収穫である。くどいようだが、このような悲劇を二度と繰り返さないこと、そして万一事が起きてしまった場合の適切な対応、この2つが我々医師になる者が心に留めておくべきと述べて、終わりにしたい。

・参考資料・文献
 NHKスペシャル『不信の連鎖〜水俣病は終わらない』
 上述2つの論文
 環境省ホームページ『水俣病の歴史と対策』