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         中毒と感覚障害
                         

1 はじめに
  今回、僕はこのレポートを書くにあたり、授業中に見させていただいた水俣病につい    て書くことになりました。選んだキーワードをもとに、いままでとは違った視点で水俣病を捉えて書いていこうと思っています。

2 選んだキーワード
  僕はキーワードには「中毒と感覚障害」を選びました。

3 選んだ論文について
  「視神経病変をMRIにて描出できたメタノール中毒の1例」
   メタノールは、ウインドウオッシャー液や各種冷蔵装置の溶媒に使われ、神経毒性を有する。メタノールの神経毒性として強い視覚障害を呈することが知られているがそのメカニズムについては現在でも推測の域を脱していない。今回、致死量を越える血清メタノール濃度を呈しながらも早期より血液透析することにより救命しえたメタノール中毒症例を神経障害の発生機序に関する考察をまじえ報告する。

                   症例
24歳の男性が朝方まで友人と自宅で飲酒をしていた。次の日の夜になり、呼吸苦、聴覚および視覚症状を訴え救急外来を受診。すると急速に意識障害が悪化し高度の代謝性アシドーシスをみとめた。瞳孔散大、両側の対光反射は消失、Kussmaul呼吸様の頻呼吸をみとめたが、呼気にアルコール臭はなかった。尿中乱用薬物検査はいずれも陰性であったが尿中アルコールは強陽性であった。
  頭部MRI所見:第3病日におこなった脳MRI検査(画像1)では、両側の小脳半球、被殻、前頭葉、後頭葉の皮質下白質に拡散強調画像にて高信号領域をみとめ、同部位はT2強調画像、FLAIR画像でも高信号を呈していた。T1強調画像では両側の被殻を中心とした低信号領域をみとめた。T2強調画像では両側の被殻に低信号領域が混在していた。STIR法では両側の視神経の腫大と視神経内にまだら状の信号変化を認めた(画像2−A)
  経過:尿中アルコールが強陽性であったため、急性アルコール中毒およびメタノール中毒をうたがい、血液透析を施行。その後3回の全身性痙攣をおこし、CT、MRIにて高度の脳浮腫をみとめたため、第2病日よりマンニトールとフェニトインの投与を開始。マンニトールは第7病日より減量し第11病日まで投与。フェニトインは第4病日より減量し、継続投与した。第4病日ころより徐々に意識レベルは改善したが意識障害改善後に上肢優位の筋トーヌス亢進、高度の構語障害、左右差のない深部反射の亢進をみとめた。これらは被殻病巣によるパーキンソニズムと錐体路の圧迫による症状と考えられた。いずれの症状も徐々に改善傾向を示したが、いちじるしい視力障害が残存した。右眼視力は手動弁、左眼は20cm指数弁であった。両下耳側に視野の残存をみとめたが、右視野は島状に残存するのみで障害の程度は右に強かった。
  退院時には視力障害以外の症状としては、ごく低度の下肢の痙攣と遠位優位の感覚障害、小脳病巣が原因と考えられる軽度の測定障害が残存していた。また27病日におこなったMRI検査ではSTIR法にて右側の視神経腫大が残存し明らかな左右差をみとめた(画像2−B)
   
  画像1

  第3病日のMRI画像
   A:T1強調画像
   B:T2強調画像
   C〜F:FLAIR画像 



画像2

  STIR法によるMRI画像
  A:第3病日
  B:第27病日

                  考察
  メタノールは消化管より吸収後、肝にてホルムアルデヒド、蟻酸へと代謝され、これらの代謝産物が強い神経毒性をもつことが知られている。とくに蟻酸は強いcytochrome oxydase活性の阻害作用を持つ。これはミトコンドリアの酸化的リン酸化を阻害し、細胞内低酸素状態が生じ、嫌気性代謝の亢進による代謝性アシドーシスを惹起すろといわれている。メタノール飲用後、症状の発現までに時間差が生じる。これはメタノール代謝に時間がかかるためであり、メタノール中毒の特徴の一つでもある。
  病巣の好発部位は、両側の被殻、尾状核や大脳白質であり、それらに虚血性壊死や壊死性出血をおこす。本症例では、第3病日にSTIR法にて視神経内にまだら状の信号変化をみとめ、第27病日には視神経腫大に左右差をみとめた。腫大側である右側視神経は眼科的検査でもより重度の障害をみとめ、MRIの変化は視神経の器質的変化を反映していると思われる。このように、メタノールによる神経障害の発生機序としては、ミトコンドリアの障害による細胞内低酸素と脳血管障害による組織内虚血の両方が関与していることが想定されるが、なぜ基底核や視神経に強い障害を起こすのかは明らかとなってない。

 「5-methoxy-N-isopropyl-tryptamine(5-Meo-IPT)摂取により視覚過敏、聴覚過敏を呈した1症例」
  本邦では合法ドラッグの使用による急性薬物中毒の症例が報告されている。これらの薬物はインターネットなどで容易に購入できるようになっており、薬事法や条例で規制の対象になると類似した物質が製造、販売されるためその乱用は後を絶たない。有名なものに5-methoxy-N,N-diisopropyltryptamine(以下5-Meo-DIPTと略する。通称ディプト)があるが、2005年4月17日以降は麻薬に指定され取締りの対象となった。そこで5-methoxy-N-methyl-N-isopropyl-tryptamine(以下5-MeO-IPTと略する。通称ミプト)が販売され今後症例数が増加していくと予想される。今回、5-MeO-IPTを服用した急性薬物中毒の症例を報告する。

                 症例
  24歳女性。既往歴は特になし。ある深夜インターネットで購入した5-MeO-IPTの粉末を夫に勧められて通常量の5倍の量を服用した。アルコールの服用はない。内服30分後に悪心、吐気が出現した。その後「見ている風景が万華鏡のように見え、菱形のキラキラした模様が見える。」という幾何学的な幻視、「机やビンなどの直線、曲線の輪郭を見るとじんじんとこころにしみ、特に曲線を見ると性的な感情が高まる。」、「聞こえる音がボンボン耳に響き、鼓膜に圧がかかったようになる。」という視覚過敏、聴覚過敏が出現した。内服1時間後に不安が出現して大量に発汗、意識障害を呈した。その後救急救命センターに搬送され微温湯4?にて胃洗浄を行い、活性炭100mlを注入、点滴静注にてヴィーンF120ml/分を開始し入院となった。
 理学所見:来院時の瞳孔は左右とも5.5mmで対光反射あり。肺音、心音正常、腹部平坦軟、神経学的所見は異常を認めなかった。四肢にも異常なし。
 検査所見:胸部X線、心電図、血液ガス、抹消血液検査、生化学検査はいずれも異常なし。尿中からは、フェンサイクリジン、ベンゾジアゼピン、コカイン、アンフェタミン、大麻、オピオイド、バルビツレート、三環系抗うつ薬のいずれも検出されなかった。
 精神医学的現症:内服6時間後には精神科医が話しかけても「あ・・・あ・・うう・・」と語り、自分の名前を話すことができなかった。会話することができず、幻視をはじめとする知覚障害、思考過程・思考内容の障害、自我の障害を疑わせる精神医学的所見は得られなかった。再診時に「先生が話しかけたとき、自分が寝ているのを幽体離脱して見下ろしている感じがして、手足を動かすことができなかった。」と語っていた。
 入院後経過:内服7時間後に入院となり、入院直後の意識レベルはJCS3であった。意識不明の言動が見られたが言語がみられたが、発語が不明瞭なため聞き取ることができなかった。突然ベットから飛び起こるなどの奇異な行動がみられた。本人はこのときの記憶は全くない。内服9時間後には意識レベルはJCS1となり疎通が取れるようになった。内服13時間後には意識清明いなり、会話も可能となった。この時点で幻視、知覚の過敏は消失した。

                  考察
 本症例は5-MeO-IPTの急性薬物中毒の症例である。5-MeO-DIPTに関しては6〜10mgの経口投与で自覚効果は20〜30分で出現、1〜1.5時間のピークを持ち、3〜6時間持続する。その症状としては言語活発、脱抑制、散瞳があり、大量の服薬では嘔気、歯ぎしり、筋緊張、幻視がみられる。
 症例を検討すると5-MeO-IPTの大量の服用後、5-MeO-DIPTと同様に嘔気が出現、発汗、散瞳などの自律神経症状、幻視も同様に見られた。しかし、5-MeO-DIPTでみられた高血圧、頻脈は本症例では認めなかった。視覚過敏、聴覚過敏の症状や「自分が寝ているのを幽体離脱して見下ろしている感じがして、手足を動かすことができなかった。」という体験の報告は5-MeO-DIPTに関しては存在せず、5-MeO-IPTに特異的な症状である可能性がある。このように5-MeO-IPTは5-MeO-DIPTと化学構造式が類似した物質であるが出現する精神症状や自律神経症状に差があり、さらなる症例の経験が必要だと考えられる。

4 考察
 水俣病はメチル水銀中毒である。症状としては手足のしびれが起き、その後歩行困難などに至る例が多い。重症例では痙攣、精神錯乱などを起こし、最後には死に至った。発病からは3か月で重症者の半数が死亡した。胎内で水銀中毒となった者の予後は不良である。障害部位は、小脳、後頭葉、中心前回、中心後回、横側頭回、感覚神経などでそれに伴い運動失調、講音障害、視野狭窄、感覚障害、運動障害、聴力障害がおこる。このような大事件だったにも関わらず政府がその責任を認めたのが2004年になってからというのはあまりに遅すぎる対応である。そして2006年になり慰霊碑が建てられたが、遺族の意向で名前が刻まれたのは全体の2割にとどまったという。これは今尚続く差別や偏見のためだという。では、将来医療に関わる一人としてなにを学ぶかということである。まず一つは中毒による被害を最小限に留めるということである。上記に述べたメタノール中毒の症例では致死量を超えていたにも関わらず、一命を取り留めていた。このことは水俣病を契機に中毒の研究が一気に進んだことも助かった要因の一つであると考えられる。今後は合法ドラッグのような新しい薬物中毒が多数でてくると予想される。そのような時に役にたつのが過去のデーターであり知識であると思う。いま自分達がしている勉強もそうしたことだと捉えている。もちろん、もう二度と水俣病のような悲劇を繰り返してはいけないし、類似したこともおこしてはいけない。それがこの先医療に関わる者の死命だと考えている。もう一つは病後のことである。脳に障害を起こすと少なからず後遺症が生じる。その後の人生のためにも後遺症は少ないに越したことはない。こういったことは、リハビリ医学に関することかもしれないが、何かしら自分でできることをみつけ患者さんのためにしたいと考えている。そして後遺症だけでなく、その後の差別や偏見をなくすことも必要である。
5 まとめ
 今回、中毒と感覚障害ということで色々調べ、その障害は主に脳機能の障害であった。元々興味のある分野であったが今回のことでますます興味がもてた。もちろん、大変な分野ではあるとはおもうが、それに伴うものがあると考えている。それ以外に考えたことは差別や偏見についてである。先日、実習で愛生園に行かせていただいたとき、入園者の方の話を聞く機会があった。そのとき「今なお差別や偏見が続いている。そして、もうこれ以上自分達のような人達を出さないでほしい。」とおっしゃられていた。このときは正直ギクっとした。なぜなら僕は今まで医療行為を患者さんを治すまでと考えていた。その先のことなんてほとんどなにも考えていなかった。たしかに、日本には差別や偏見が多く残っている。その中でこと病気に関することをなくしていくことができるのは医療に携わる自分達しかいないということを認識させられた。もちろん水俣病にも差別や偏見がまだ残っている。それらをなくしていくことが必要であると痛感した。おそらく病気などに対する正しい知識や認識がないために差別や偏見が生まれてくるのだと考えられる。だからすこしでも周囲に対してそうしたことを教えていけば差別や偏見は少なくなってくると考えられる。そのためには自分自身が正しい知識や認識をもっていないといけない。それはきっと一朝一夕に得られるものではないと思う。そのための礎となるのがいまの勉強なのだから一生懸命やらないとという思いが強くなった。
 あと、この先中毒はさらに増えていくと考えた。今回、合法ドラッグについて調べたところ、現段階では合法ドラッグはなくなる気配はない。薬事法でひっかかってもすぐ類似商品がでてきてしまう。そしてネットの普及により、購買も容易になり、そのことも合法ドラッグの蔓延に一役かっている。そして'合法'という言葉にどこかで安心しているのかもしれない。その危険性を警告していくことも自分達がやるべきことであると思う。もちろん治療はいうまでもないがそれを予防することが一番良い。そして中毒患者がでてしまったときにはその治療と後遺症の減少に尽力していきたいと考えています。

 このレポートを通して将来、自分が脳外科の分野に進みたい気持ちと、今後水俣病やハンセン病のような悲劇を繰り返さないことと、病気にまつわる差別や偏をなくすことに尽力したいという気持ちが強まりました。最近になり、いままですごく漠然としていた医師という目標が少しずつではあるけれども形として見えてきたような気がします。このレポートはそういったことを考え、自分を見つめるとてもいい機会であったと思います。