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予防と健康管理レポート(水俣病について)


水俣病は公害病の中でも最も大規模で悲惨なもののひとつである。小学校の社会科の教科書にも日本4大公害病のひとつとして載せられていた。今回、そのことについて深く学ぶために、与えられた中から二つのキーワードを選び、そのキーワードからヒットした論文を読んだ。また、その論文と授業で見たビデオの内容から自分自身で考えたことを考察した。
私が選んだキーワードは、「水俣病」と「視野狭窄」の二つであった。この二つのキーワードを含む論文の中から私が選んだのは以下の二つである。

・『環境問題と内科学―水俣病の経験から―』日本内科学会雑誌
・『水俣病(メチル水銀中毒)の病因について―最新の知見に基づいての考察』最新医学

一つ目の論文『環境問題と内科学―水俣病の経験から―』は、水俣病の研究班の医師が、水俣病を研究してきた経験から述べた論文である。
1.水俣病の経験
水俣はもともと人口4万ほどの小都市であり、そこにチッソ株式会社が君臨し、当時はこの会社が町の死活を握っていた。この町に得体の知れない病気が次々と発生し、地元の医師会、保健所、市民病院などが中心となり「水俣奇病対策委員会」を作ったが対応しきれなくなり、31年8月、熊本大学医学部にその解明を依頼してきた。そこで医学部長は、水俣病研究班を作ってこの病気に対応することになった。
1)疫学的状況
患者の殆どが漁民とその家族であった。加えてその部落の飼い猫があちこちで奇妙な行動をとり、最後は狂い廻って海に飛び込んだりして死亡していた。調べてみると炎症所見は全くなく、漁民と猫を結ぶと中毒、しかも魚を介しての中毒という線が濃くなってきた。
2)臨床面よりの取り組み
未知の疾患を診断・解明するためには、患者の症状・所見を正確に把握して、そのクライテリア(準備・標準)を確立する以外にはないと考えた。ただ、本病は多彩な神経症状を主徴とする疾患である。神経学会の発足から4年のこの時代において、神経学的訓練をほとんど受けていない筆者らは、一時ほとんどと方に暮れる思いであったが、すべての患者の諸動作をフィルムに納めることから始めようと考え、患者の一挙手一投足を撮影した。もうひとつ、患者の特徴として喋り方がすべて子供っぽくなっていることが気づかれた。この様にして、診ることのできた患者のすべての病像を映し出し、言葉を録音することによって、一人、一人を正確に記録し続けた。
3)臨床的観察
4)天佑の本
1957年、水俣病解明の大きな原動力となった本に出会った。NIHのVon Oettingen著のPOISONINGという本であった。殆どの水俣病患者に認められた「視野狭窄」の項を開いてみるとalkyl mercuryがトップに挙げられていた。更にalkyl mercuryの項には視野狭窄、運動失調、難聴、四肢の感覚障害など、本病と似通ったことが書かれていたので、著者は工学部関係の人にチッソではアルキル水銀を使っていますかと訪ねてみたところ、「無機水銀は触媒として使っているが有機は使っていない」という返答であった。
5)2年間の苦闘
それからの2年間、世論からは「熊大は何をしているのか」と責め立てられた。しかし道はただ一筋、出来るだけ多くの患者に接しその実態を確実に掴むことと考えた。2年間の苦行の末、詳細な観察の出来た患者が34例に達したので、その症状・所見を集計したところ、視野狭窄、難聴、言語障害、運動失調、感覚障害、振戦、等は70〜90%に達した。
6)尿中水銀量
このようにして本病は臨床的に有機水銀中毒に一致すると考えられたので、公衆衛生学教室にお願いして尿中水銀量を測定してもらった結果、健康人11名の尿中水銀量は何れも15γ/?以下であったのに対し、水俣病患者では115〜134γ/dayであった。更にキレート剤であるBAL投与剤では、前値45γ/dayであったのがBAL投与後190γ/dayと増加し、EDTA-Ca投与でも同様の成績が認められ、有機水銀中毒である可能性がより一層強くなった。
7)発病猫
a.自然発病猫
 もうひとつ奇妙な事実は、猫の発病であった。飼い猫の発病は患者発生の予兆と恐れられていた。そのような猫を詳細に観察すると、痩せて、毛が粗になり、艶を失っていた。歩き方はヨロヨロして酩酊状である。餌で誘って階段を降りさせると足を踏み外して転んでしまった。持ち上げて落とすと、ヒラリと立つはずの猫がそのまま胴体着地した。いつもダラダラと涎をたらしている。その状態が3〜4お日続いた後、突如ひどい流涎で全身びしょびしょになり、やみくもに突進、逆立ちを繰り返して死亡してしまった。
b.魚介類投与猫
c.エチールリン酸水銀投与実験
 有機水銀のひとつであるエチルリン酸水銀の投与実験を行った。1日1〜4r投与で最短9日、最長32日で、貝投与の場合と同様の結果が得られた。
8)有機水銀中毒と結論
臨床所見、尿中水銀排泄増加、猫実験の結果などから、本病の原因は有機水銀中毒と確信しているところへ、脳の病理所見、魚介類からの大量の水銀などが証明された。
2.水俣病の経験から環境問題への提言
 1)時代背景
 昭和31年頃は戦後日本の復興のためには多少の犠牲も止むを得ないという風潮があった。水俣病の多発はその余波として起こった出来事で、工業界も国も、表面では水俣病の研究に協力的に見えながら、非協力的な部分が少なくなかった。昭和34年に、水俣病の原因は有機水銀であると内外の識者がすべて承認していたのに、国がこれを認めたのは昭和43年のことで、この間、実に9年も放置されていたわけである。医学の分野でも、中毒に関する専門の研究機関は皆無であり、日本語の専門書は一冊も無く、何を基準に研究を進めるべきか、どこにも拠り所はなく、手探りの研究遂行であった。
 2)内科医としての態度
 当時の原始的ともいえる舞台の上で考え、行ったことは、「この奇病と言われているものも内科疾患の一つである。それなら一人でも多くの患者について、多種多様な所見を正確に捉え、公約数的クライテリアを求めて、その本態を世界の文献に伝えようではないか」と考え、それに向かって努力を重ねたのである。環境汚染により、新しい形の中毒がいつ、どこで、どのようにして、起こるか判らないが、これらに最初に関わるのは通常内科医であろうが、一人一人の患者を詳細に見定める態度を忘れてはならない。
 3)公害被害者認定への対応
 水俣病問題が起こるまでは、公害という概念は日本では真剣に取り上げられることは無かったように思う。また公害ということになれば被害者への補償・救済がつき物であり、そのためには認定という作業が必要になる。国が指定した医師以外に、他の職業人、例えば法律家を加えた専門の機関がその任にあたることが望ましいと考えている。医師の眼で判断に踏み切れないケースも、医師以外の眼を加えて判断することになれば、トラブルも少なくなるのではないかと考えるのである。

 二つ目の論文『水俣病(メチル水銀中毒)の病因について―最新の知見に基づいての考察』は、水俣病の病理発生機序が述べられていて、一つ目の論文と比べて病理学的な色が強い。
1.水俣病患者の大脳選択的傷害機序について
ヒト水俣病剖検例では、大脳では鳥距溝周辺の鳥距野、中心溝周辺の中心前回および中心後回、シルビウス溝周辺の中心後回および横側頭回に選択的傷害が見られる。重症例では皮質全層、中等症ないし軽症では皮質第U〜V層の神経細胞脱落とグリオーシスが認められる。臨床症状もその病変部位に応じて、視野狭窄、視力障害、感覚障害、運動障害、難聴が出現する。
 コモン・マーモセットを用いて、この大脳選択的傷害を実験的に証明した。メチル水銀を多量投与して、症状が現れる直前を見計らって生前にMRIを撮り、その直後に剖検した症例で脳浮腫を確認し、さらに剖検脳においても鳥距溝の浮腫を確認した。コモン・マーモセットには、ヒトと異なり、中心溝を欠き、鳥距溝およびシルビウス溝の二つの深い脳溝がる。初期に脳浮腫が起こることにより深い脳溝の周囲の皮質は圧迫され、循環障害を招来することによりメチル水銀の毒性作用が増長され、皮質神経細胞の破壊・消滅を来たすことが考えられている。
2.視野狭窄の発生機序
 水俣病では、両側性求心性視野狭窄が出現する。病理学的には、鳥距溝の前位部の病変が後頭極よりも強いことがわかっている。また解剖学的に、視野の支配領域で鳥距野の前位部が視野の周辺部を支配し、後頭部が視野の中心部を支配することが知られている。鳥距溝の前位部の傷害機序も、メチル水銀中毒の初期病変が脳浮腫であることを踏まえると、鳥距溝は前位部が深く、その部の皮質は周囲からの圧迫を受けやすいために病変を形成する。一方、後頭極が脳溝が浅いかまたは脳溝を欠くために皮質病変を招来しないと考える。
3.小脳病変の発生機序
 水俣病患者には、小脳病変で小脳性失調症が出現する。小脳病変では、大型神経細胞であるプルキンエ細胞は比較的保たれるのに比べて、プルキンエ細胞直下の小型神経細胞である顆粒細胞が選択的に傷害されることが知られている。コモン・マーモセットの実験から、初期には大脳と同じく脳浮腫が見られ、小脳脳溝が圧迫されている。そのために、顆粒層上層部に循環障害を招来して神経細胞が破壊・消滅すると考えられる。劇症型では、顆粒細胞よりもプルキンエ細胞の障害が強く見られた。
4.感覚傷害の責任病巣
 水俣病の感覚障害は、四肢末端のしびれ感で始まる。感覚中枢である中心後回には明らかに病変を認める。水俣病剖検例では、中心後回は全体的に侵され、特定の皮質が傷害されているということはない。感覚障害は中枢および末梢神経病変によって起こり、その関与の度合いは不明である。コモン・マーモセットの実験によると、軸索変性が著名であることが実証された。コモン・マーモセットの劇症例では、坐骨神経に明らかに軸索変性とともに髄鞘の破壊が認められた。水俣病では、脊髄後根神経節は比較的保たれている。そのために末梢神経は再生が可能である。感覚障害を考えるときは、メチル水銀の汚染時期を考慮する必要がある。つまり、水俣病発症初期には、末梢神経、特に知覚神経の軸索病変が先行する。1969年に3例の知覚神経の生検がなされた。この時期は、チッソ工場から排水が停止されてから約1年後である。この時期では末梢神経はまだ完全再生されていないはずであり、不全再生有髄神経線維の存在を指摘した論文である。
 その後1982年頃、水俣病患者には末梢神経病変はなく、感覚障害の責任病巣は感覚中枢である中心後回にあるという仮説を立てた。この時期は発症(1955〜60年)からすでに20年は経過していると考えられ、チッソ工場からの排水停止後14年になる。末梢神経が完全再生されていれば、臨床的にも病理学的にも異常を認めないのは当然のことを証明したに過ぎないと考える。

 以上が論文の概略である。
 また、授業で見たビデオは、水俣病の患者と国や企業との裁判についての内容であった。患者側は裁判の末、国から補償を受けることとはなったが、水俣病患者として認定してもらえない患者もたくさん居たとのことであった。
 以上二つの論文とビデオの内容から、水俣病の被害について深く考えさせられた。水俣病が発生した当時は、多くの工場で利益を生むことが優先され、人々の健康や環境を守ることは後回しにされていたが、何よりも大切に考えなければいけないのは人の命・健康や環境である。公害のために失われ傷ついた人の命や健康は取り戻せないのだ。
 また、水俣病解明に貢献した多くの医師のように、公害が発生したら、原因を早く見つけることはもちろん、被害が広がらないように努めなければいけない。一つ目の論文でも言われていたように、新しい中毒が起こったときには、これらに最初に関わるのは内科医であろうが、その際には一人一人の患者を詳細に見定める態度を忘れてはならないのだと思った。
水俣病により、苦痛に絶叫しながら亡くなった人々や、胎児性患者のことは世界的にも知られているが,有機水銀によるこの環境破壊の恐るべき全貌は,いまだに探りつくされてはいなく、また患者側の訴訟は水俣病発生から50年以上もたった今でも繰り広げられている。1日も早く、この問題が解決する日が訪れてほしいと思う。