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そもそも水俣病とは、チッソ水俣工場が不知火海に流した工場排水に含まれるメチル水銀が貝や魚を汚染し、それを食べた人がメチル水銀中毒になった公害病である。
さらに母親の中で水銀中毒になり生まれてくる胎児性水俣病患者も発生するおそろしい公害病である。
そして水俣病は伝染病や風土病と誤解され、水俣の市民に対する市外の人から差別もあった。
根強い差別や偏見が今もまだ解消されずに続いている。
このような内容を小学校から授業で習ってきた。
しかし水俣病のことについては、断片しか知らず、今回ビデオを見て衝撃を受け、古い歴史だと思っていたこの水俣病が最近のことだと知った。
1982年10月28日、チッソ・国・熊本県を被告として、被害賠償を求めて大阪地方裁判所に県外患者として、チッソ水俣病関西訴訟をした。
1、水俣病を発生させ、被害を拡大させ、被害者の救済を放置し、切り捨てた国・熊本県・チッソの責任を法的に明らかにすること
2、原告患者を水俣病と認めさせること
3、原告患者が健康被害をはじめとする筆舌に尽くせぬ様々な被害の償いを求めること
これを提訴目的とした。
94年大阪地裁の一審判決で原告側敗訴(チッソには勝利)。
2001年の控訴審判決で逆転勝訴し原告は水俣病と認められた。
国と県はただちに最高裁に上告し、2004年10月15日、原告が再び勝訴し判決が確定した。
裁判によって、水俣病に対して国と熊本県に責任はないのか、原告患者は水俣病でないのかの二つをはっきりさせようとした。
事実経過をしっかり見据えることが大事であるのに行政はなかなか答えをだそうとはしなかった。
行動・事実経過を見さえすれば、どうすれば被害を防ぐことができるかが解っていながら対策を講じようとしなかったことは明らかで、救済すべき被害者が大勢いる可能性を知りながら、調べようともせず放置したことも明らかである。
水俣病の発生が確認されてから十二年経過し、水俣病はチッソ水俣工場が原因で起きた公害病であることを政府がようやく認めた。
まさに「不信の連鎖」である。
今後、行政や企業は素直に反省し、被害者の救済に取り組むとともに、二度と同じ過ちを起こさないように水俣病の教訓を今後に生かしていかなくてはならないと感じる。水俣病は終わらない。
豊かな海の幸で平和に暮らしていた人々の暮らしをこんなにもむごく崩していき、傷つけていったものは何だったのか。
このビデオを見終わった後、そう強く感じた。
水俣病という一言だけではいい述べられない気がする。
人が安心して楽しく暮らせる「二十一世紀」を自分達でつくっていかなければならないと思う。
今、豊かな生活の中で、自然が汚染され、健康が害されている。
二度と水俣病のような悲惨な公害が発生しないようにしなければならないと感じた。