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授業で水俣病のビデオを見た。
発症から今日までの長きにわたる水俣病患者の苦しみの歴史がそこにはあった。
れまで水俣病に関して僕が持っていた知識は、有機水銀による企業公害である事、四日市ぜんそくやイタイイタイ病などと並ぶ特定の地域に発生する病気である事、患者と国や企業の間でずっと訴訟が続いている事くらいのものだった。
水俣病は窒素水俣工場の廃液中の有機水銀によって汚染された魚介類の摂食により、1953年頃から、熊本県水俣湾周辺に集団的に発生した。
患者は知覚障害、運動障害、聴力障害、視野狭窄、言語障害などを発症し、患者によってその症状の組み合わせは多様である。
年齢や病歴によって症状は大きく異なる。
共通して言える事は、末梢神経の障害や大脳小脳の皮質障害だという点である。
また母親が水俣病である場合、胎児が水俣病になり、重い障害を持って生まれる事もある。
1968年に正式に公害病と認定された。
1964年には、新潟阿賀野川河口の漁民が、熊本水俣病と同じ症状を訴えた。
新潟水俣病と言われるものである。
視野狭窄、言語障害に加え歩行障害などがある。
1967年に訴えを起こし、1971年その訴えは全面的に認められ、新潟水俣病患者の勝訴は4大公害の残り3つ(四日市ぜんそく、イタイイタイ病、熊本水俣病)ののちの勝訴に大きく貢献した。
その土地で暮らしていたがために、当たり前の生活をしていたにもかかわらず、理不尽な病気にかかったとき、人はその苦しみや憤りをどこにぶつければいいのだろう。
これらの公害に限らず、薬害と言われるものにも目を向け、考えていかなければならないと思う。