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水俣病は1956年5月1日に、熊本県水俣市で原因不明の病気として確認された。
その原因となったのは、様々な化学製品を製造していたチッソ水俣工場が水俣湾へ流していた工場廃水である。
その工場廃水に含まれていた毒性の強いメチル水銀が魚介類に取り込まれその魚介類を摂取したことにより水俣病が発症した。
メチル水銀は体内に入ると脳などの神経系を侵し、手足のしびれ、脱力、耳鳴り、運動能力の低下などを引き起こすと言われている。
水俣病発症当時は原因が分からず、また疑いが掛けられていたチッソ水俣工場自体も塩化ビニールの生産において国内のシェアの約7割を担っていたので黙認されていたのではないかと思われる。
このように行政が早い段階で調査、規制を行わなかった為に被害は拡大し、水俣病の原因が判明するまでに実に12年の時間を要した。
しかし認定はされたものの、国と患者の意見が食い違い水俣病問題は長期化している。
患者側は、 1、水俣病を発生させ、被害を拡大させ、被害者の救済を放置し、切り捨てた国熊本県・チッソの責任を法的に明らかにすること 2、原告患者を水俣病と認めさせること 3、原告患者が、蒙ってきた健康被害を始めとする筆舌に尽くせぬ様々な被害の償いを求めること を提訴目的に掲げ全ての水俣病患者への賠償及び生活の補償を求めている。
一方行政側は、 1、水俣湾の全ての魚が有毒化しているという証拠が無い 2、水俣病の初期症状である、眩暈や疲れやすさ、においや味が分かりにくいといった症状は日常的にもよく現れることなので全員を一概に水俣病とは言い切れない などの理由から安易に認定できない状況にある。
このように、患者、行政、裁判所がそれぞれ提示している水俣病像が異なっているためにズレが生じ、なかなか解決にたどり着けずにいる。
水俣病であると医療機関などから認定され、また行政も認めた患者は賠償金及び医療費の一部負担などを受けているが、それも申請している2万人中わずか2千3百人に過ぎない。
残りの人々は、今現在も救済を求め行政と交渉を重ねている。
メチル水銀に侵され、肉体的にも精神的にも苦痛を受けた患者が救済されなければならないのは当然のことである。
しかし、全ての患者を水俣病として安易に認定できない行政の考えも否めない。
長期化した、この水俣病問題を少しでも解決に導くにはお互いが歩み寄るより他に方法がないのではないだろうか。
そうして、この水俣病を教訓に2度とこのような環境汚染、ひいては人体に重篤な影響を及ぼす事態を引き起こさないように対策を講じ、実行していくべきだと思う。
そうすることが、これからの環境問題や国民の生活の安全などに生かされてくるのではないだろうか。