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医師として水俣病のような公害病に関わる場合、自分がどのような立場で関わるのかで、そのアプローチ法や心構えが若干異なってくると考えられる。そこで今回、この感想文を通して、各立場ごとの医師像を考えてみたいと思う。



A.行政側の立場で関わる場合

水俣病の場合、ある症状の有無のみで厳格にラインを引き、その症状がある場合には一律お金を出すが、ない場合はお金を出さないという極端な方法をとっている。だが現実問題として、複数の重い症状を抱える患者さんと比較的軽い症状を抱える患者さんとでは、受ける精神的苦痛や経済的苦痛も異なってくるであろうから、認定基準も段階的なものにするべきであろう。すなわち、複数の重い症状を抱える患者さんにはより多くお金を出し、比較的軽い症状を抱える患者さんにはそれなりのお金を出すというやり方である。このような段階的な認定基準を作成するのはなかなか難しいが、専門的な知識を駆使してより厳密な認定基準を作成する作業に当たることは、医師としてやりがいのあることではないかと考えられる。また、発症までに時間のかかる症状だと、ある時点で決められた認定基準に引っ掛からず、その後にその症状を訴える患者さんが何の保障も受けられない可能性もありうる。このため、一度認定基準を決めたらそれで終わりというのではなく、疑わしき新たな症状が現れた場合には、それが公害によるものなのがどうかを慎重に吟味し、必要ならば認定基準に付け加
えていくことが求められるのではないだろうか。この際には、やはり専門家である医師が積極的に関与していかなければならないのではないかと考えられる。


B.企業側の立場で関わる場合

水俣病が発生した時代に、企業お抱えの産業医(水俣病の場合はチッソ側の医師)がいたのかについては明らかでないが、現在ならば、公害病が発生したときに自分が企業側の医師となっていることも十分に考えられる。このような立場の場合、とるべき行動を選択することはなかなか困難である。すなわち、被害にあった患者さんに利益をもたらす科学的データを提供したりすることは、自分が所属する企業に不利益をもたらしてしまうことが予想されるからである。だが、医師としてのあるべき姿を考えると、やはり患者さんを第一に考えた結論を出すべきではないだろうか。医学生である現段階においては、いつでも患者さんを第一に考えた結論を出せるように、精神力を鍛える必要があるように感じた。


C.直接現場で治療にあたる場合

水俣病のビデオでは、直接現場で治療にあたる松本医師の姿が映し出されていた。患者さんのことを親身になって考え、献身的に尽くすその姿は、一つの良医像を示していたといえる。だが、そんな松本医師とは異なった考え方もありえるのではないだろうか。すなわち、患者さんを水俣病と診断すると保健が効かないのを知っていながら、松本医師は医師としてのプライドが許せないという理由でカルテに水俣病と記していたが、実際問題、自費で治療を受けざるをえなかった患者さんの負担は相当なものだったと考えられる。よって私なら、自分のプライドは殺して(勿論全て納得してではないが)患者さんの経済的な負担をできるだけ減らす方向で動くだろうと思われる。こういった考え方の違いはあるが、基本的に松本医師の姿は医師として大いに見習うべきものであったし、私も自己研鑽に努めて立派な医師にならなければという決意を固めることができたように思う。