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いつも国と被害者といく形での訴訟では被害者の感情的な姿・国側の異常に冷静な姿を滑稽に思いながら見てしまう。この水俣病訴訟の場合は役人が相当に混乱していたようではあったが。
何十年も泥沼化して被害者に色々なストレスが蓄積し抑えきれなくなった苦悩の姿は、大変気の毒な姿に感じる。どのような訴訟にしても、国は正しい間違っている、よりも自分達は負けてはならない、負けたとしてもその非を最低限に抑えるということに終始していてそちらには憤りを感じるが結局自分達が医者という立場になった場合、同じような立場に立たされることはあり得ない訳ではなく、その時自分は一体どういう対応ができるだろうかと不安になった。
水俣病というものに関しては汚染が原因であるが、私の地元四国も瀬戸内海が重油流出問題で揺れていたことがある。瀬戸内海も波が穏やかで、見た目は美しいようだがその実は大変汚れている。自分達で釣りに行ったり、地元の食材を食べて生きてきてはいるものの、小さな頃から常に不安だった。大学に入って生物学的濃縮の話を聞くと尚のこと不安もつのる。
今のご時世ではどこもかしこも汚れてしまった世の中だとは思うが、自分達の作ったものでこれ以上首を締めることは避けなければならないと感じた。