映像の簡単なまとめ
2004年10月15日水俣病関西訴訟上告審で最高裁は、水俣病の被害拡大について国と熊本県の責任を認める初めての判断を示した。
この訴訟は熊本県、鹿児島県の不知火海岸沿いから関西に移住した未認定患者が82年に提訴したものだ。
他の地、高裁で争っていた患者団体は一時金などの政府解決策を受け入れ、96年に和解した。その和解は、救済を求めている人たちは認定上水俣病ではない、政府に賠償責任はない、裁判を続けないなどを認めることが条件であった。関西原告団だけが、行政や企業の責任を明らかにすることを求め、訴訟を継続していた。
関西訴訟の争点は大きく二つあったと思われる。
一つは水俣病の発生、被害の拡大に対して国や県はどのような責任があったのか、二つ目はどんな症状で水俣病と診断するのかという点である。
判決は大阪高裁判決を追認したもので、59年末にはチッソの排出した有機水銀が汚染原因と認識できたとし、その上で、法による規制を怠り被害拡大につながったとした。
しかし、感覚障害があれば認められるとした大阪高裁の判断は認めたが、判決はどういう症状があれば水俣病なのか、という争点には具体的は言及しなかった。
映像を見て感想
被害者救済について
熊本県と通産省は、1956年に水俣病の発生が公式に探知されたときから早急に汚染魚介類を食べ続けていた水俣湾と不知火海周辺住民の神経症状を調査し、経過を観察し続けるべきだったと思う。水銀汚染を受けていない地域の神経症状の現れ方と比較することで、有機水銀の影響がどのようなものであるかが解明され、患者は漏れなく救済されたはずだ。
「原因物質が究明されなければ対策は講じられない」という熊本県や通産省の言い分には思わず聞いていてあきれてしまった。
また、申し出た人についてだけ審査し、チッソの見舞金を受け取ることができるか認定する仕組みにも疑問を感じた。本人申請の仕組みなのであれば、申し出るように盛んに勧めるべきであったと思う。
最高裁判決について
なぜこんなにも一つの裁判に判決が下るのに時間がかかるのだろうか?原告の被害程度を個人別に審理する公害訴訟はそれだけで時間がかかるため、その過程で高齢化する原告側が、苦渋の和解を選ばざるを得ないのは本当に見ていていたたまれなかった。
ここで私たちがすべきことは、住民の健康や生命が危機にあるときの行政のあり方だとおもう。国と県は司法と行政は別として、それを見直しすることなく突っ走ってきたが、今こそ問題に真っ向から向き合うべきだ。