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NHKスペシャル・不信の連鎖のレポート

 

 

 ビデオを見終わって感じたことは、水俣病という事故から起こった公害をめぐり、たくさんの人たちが、40年以上の長い年月を苦しんで、今も尚、苦しみ続けているのだということでした。それは、仮に裁判が終わっても続いていくでしょうし、被害者にも、加害者にも、国の関係者にも当てはまることでは、ないでしょうか?だから、二度とこのような公害が、起こらないように、「予防と健康管理」という学問があるのかとも思いました。では、私がこの学問を習う前に、水俣病から学ぶべきと感じた事、考えた事を書き記しておきたいと思います。

 まず、水俣病と私達が常識の範囲で考える一般の(あえて、厚生省が認めている)病気との違いは、水俣病には、段階がないということです。だけど、実際には、当然あります。いきなり、水俣病になるわけではないのです。同じ水俣病でも、症状が重いものもあれば、軽いものもあるわけです。だけど、国は重いものしか認めれないわけです。もちろん、論点は、治療費にお金がかかるからなんですが、それが、良い事だとか、悪い事だとか、言っても仕方がないと思います。お金に限りがあるから、国も認めれずに出し渋りしているのだと思うからです。ビデオでは、被害者側は、なぜ病気を認めないのか?という展開から始まり、国側も責任は認めるが、判断基準は変わらないという段階になり、今度は被害者側は、もの自体が変化していないのに、なぜ救済の対応が変わり、初めからなぜそうしてくれなかったのかという感じで、番組の題名通り、「不信の連鎖」になっていくのです。現時点での、解決案は、1、水俣病を治す方法を考える。2、国が多額の補償をする。3、水俣病の患者が、全員亡くなるまで、やり過ごす、ぐらいしか悲しい現実としてないわけです。だから、何がいけなかったのかと考えると、1、サイクレーサーを作った会社の設計の説明のミス、2、そのことを、知っていながら、運営を行った工場側のミス、3、それらを、監査することを怠った行政のミス、があると思います。過去の事実が変わるわけではないですが、そこから学んで、未来の糧にしていく事が、大事だと思いました。

 最後に、自分が感動した事を、書きたいと思います。それは、医師の親子が、親が水俣病だから、自分を献体にして、水俣病を証明しようというエピソードには、とても感動しました。そして、保険がおりないのがわかっているのに、診断事実を変えないために、医師として苦肉の選択をしている場面も医師のつらさをとても感じました。何が正解なのか、私には、判断し兼ねますますが、臨床医として立派だなと思いました。以上が、水俣病を通して感じた事、考えた事でした。