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水俣病という病(つまるところ他人によって健康を害されたものを"病"といっても良いか分からないが)は小学生のころから四大公害病として知っている。

水俣病についてはメチル水銀に侵された海鮮物を食べることで人の健康が損なわれていったと言う事くらいは知識として持っていた。

ニュースで水俣病の訴訟がどうなったかなど流れていても"まだ裁判やってたんだ"くらいにしか思っていなかった。

そして今回授業の形で水俣病についてのテレビ番組を見る機会を得た。

なんともやるせない話である。

水俣病が見つかったころ、食品衛生法を適応し病原と思われる魚、貝などを流通禁止にしてしまおうという話もあったらしい。

しかし病原であるという確かさにおいて不十分だった為、結局適用はされず水俣病の蔓延が防げなかった。

(もちろんチッソという会社が有機水銀を除去されないまま排水を行わなければ水俣病自体発生することも無かった訳だが。)しかし食品衛生法を適用していたら漁村の人たちの反発を食らっていただろう。

自分たちの飯の種である魚を流通させるな、などとてもその当時納得しえるものでは無かっただろう。

そんな反発気にせず適用させていればよかったと考える人もいるだろうが、それを貫くために必要な拠り所、すなわち理論的に確からしい結論がその当時無かったわけだから適用されなくても仕方が無いと思える。



 また補償の問題も気になった。

水俣病の補償において最も高額なのが行政補償である。

行政が水俣病と認定すれば一人大体1600万から1800万もらえる。

救済対象とされる人数はおよそ三万二千人いるから、すべての人を行政が認定したとしたら大体五兆七千万かかることになる。

とても今の日本に払える金額ではない。

それ故にそれが理論的に正しかろうが間違っていようが認定が厳しくなっているのだろう。

最高裁まで争って行政側が補償金を払わないといっているならこのまま払われることは無いのだろう。



 結局ここまで来てしまった問題というのは水掛け論に陥ることを避け得ないのだろう。

この問題がここまで進展するまで防げなかったかというとそうは思わない。

水俣病が流行り始めたころにきちんと対象と方法を整えて病気と病原の因果関係を示すことで病の蔓延を防ぐことが出来たのではなかったのだろうか。

こんなふうに病を防ぐということを学んでいくのが予防と健康なのかなぁ