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私は4月5日の水俣病についての映像を観て、水俣病になった人々に対して行政が行う補償に疑問とひどい不満をもちました。
私は行政がなぜ水俣病が発生した初期に食品衛生法を適応しなかったのかと不思議に思いました。
食品衛生法を適応すれば、漁獲と売買を禁止でき、感染の拡大を阻止することができたからです。
さらに汚染源がチッソ水俣工場しかないことがわかっていたにもかかわらず、工場廃水を停止させて汚染を止めることをしなかったことに不満をもちました。
行政は1971年に水俣病の認定基準を定めていたにもかかわらず、申請患者が急増すると、1977年に新たに「水俣病判断条件」を作り、認定基準を厳しくして、申請患者を「水俣病でない」としたことに憤りを感じました。
水俣病患者を診察した医師の診断が、行政が認定するための参考程度にしかならないことを知って、行政に対して、ひどく失望しました。
最初、原因不明だった水俣病が奇病として扱われ、患者が差別され、さらにはその患者の子供たちの就職や結婚にまで差別が広がっていることに非常に驚きました。
また、県外に移り住んだ水俣病患者が抱える大きな問題の一つに「医療疎外」があることを知りました。
日常受ける医療機関では水俣出身者であることを話すことができず、水俣病との関連性を質問しても、医師はわずらわしいことにかかわりたくないという態度をとったり、一蹴したり、診察を拒否する場合が大半であったということを知り、医師を目指しているものとして心が痛みました。
今回、水俣病についての映像を観たり、自分でインターネットで水俣病について調べたりして、自分がまったく水俣病について知らなかったことを実感しました。
これを機会に水俣病だけでなく、公害から起こるほかの病気についても調べ、今後に生かせていければと思っています。