BACK | ← Section Top → | NEXT |
・・・・・・・・・・048・・・・・・・・・・ |
「予防と健康」の最初の講義で、大槻先生はNHKスペシャル「水俣病」のビデオを私たち学生に見せてレポートの提出を求めました。私はその水俣病裁判に関するドキュメンタリーを見て、ただかわいそうだ、厚生省はずるい、としか感想を持てませんでした。しかしそれだけではレポートにならないから、水俣病と公衆衛生学について調べてみました。すると今までとは違った視点で水俣病とその背景が見えてきました。私はこのレポートで、公衆衛生学とは何か、水俣病の対処の何が悪かったのか、どうして裁判が起こったのか、そして水俣病から考える公衆衛生学(予防と健康)について自分の理解した範囲で述べたいと思います。
1、水俣病を理解する上で必要な単語の意味(広辞苑より)
・疫学(Epidemiology)・・・疾病、事故、健康状態について、地域・職域などの多数集団を対象とし、その原因や発生条件を統計的に明らかにする学問。
・疫学的証明・・・因果法則が確立していない場合に、疫学の方法を用いてふたつの事柄の蓋然的関係を明らかにすること。公害に関する裁判で用いられることが多い。
・衛生学(hygieiology)・・・個人および社会公衆の健康の保護・増進と、疾病の予防とを目的とする学問。
・公衆衛生(public health)・・・国民の健康を保持、増進させるため公私の保健機関や地域・職域組織によって営まれる組織的な衛生活動。母子保健、伝染病予防、成人病対策、精神衛生、食品衛生、住居衛生、公害対策などがある。
・厚生省・・・社会福祉、社会保障、公衆衛生向上増進を任とする中央行政機構。1938年に創設。国立衛生研究所、国立病院など多数の付属機関がある。
・公害(public nuisance) ・・・企業活動によって地域住民のこうむる環境災害。大気汚染・水質汚濁・地盤沈下・騒音・振動・悪臭など。
・公害裁判・・・公害をめぐって、損害賠償や差止めを求める裁判。
・公害罪・・・事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出し、公衆の身体に危険を及ぼす罪。行為者だけでなく会社等の法人も処罰の対象となる。
・食品衛生法・・・飲食によって生ずる危害を防止するための法律。食品の添加物、表示、検査などの原則を定める。
2、水俣病の概要
水俣病とは、水俣にしか存在しない特別な病気ではなくて、病気の原因を現す名前であり、本質は食中毒という形をとったメチル水銀中毒症のことである。
水俣病の臨床症状には知覚障害・運動障害・聴力障害・視野狭窄・言語障害などがある。患者によっていくつかの症状の組み合わせがあり、年齢病歴によって症状が大きく異なる。また、母親が妊娠中にメチル水銀の曝露をうけたことにより、脳性小児麻痺様の障害をきたす胎児性の水俣病もある。
水俣病の原因物質はメチル水銀である。1932年日窒水俣工場(現在のチッソ水俣工場)がアセトアルデヒドの生産を開始し、1941年まで無処理のメチル水銀を水俣湾に排出した。メチル水銀が水俣湾内の魚介類で生物濃縮され、湾岸住民がその魚介類を食べて有機水銀中毒になったものである。体内に経口摂取されたメチル水銀はいったんほとんどが吸収されるが、体内に蓄積された量に応じて排泄されるため、吸収された量がすべて体内に蓄積していくものではない。体内のメチル水銀量が発症閾値を越えた場合発症の可能性が生じる。
1997年までに医学的に水俣病と認定された患者は2262人である。また水俣病と認定されなかった潜在患者まで含めた患者総数は、12615万人を超えると言われれている。
3、チッソ社と水俣市
窒素水俣工場では、カーバイドからできるアセチレンを利用し、酢酸の生産をしており、アセチレンからアセトアルデヒドを作る際の触媒に水銀を使い、有機水銀として水俣湾に排出していた。酢酸は酢酸エチルや酢酸エステルなどとして利用され、工業的に重要である。
水俣市はチッソによって繁栄した企業城下町であり、多くの利益を被っていた。
4、水俣病の被害拡大はなぜ起こったか。
水俣病患者が公式に発表されたのは1956年5月で、最初は原因がわからず奇病と言われていたが、わずか6ヶ月後の11月に熊本大学医学部公衆衛生学の喜田村教授らによって、「水俣病の原因は、工業排水中に含まれる何らかの化学物質による魚介類の汚染による食中毒の疑いが強い」という報告が出された。しかし、原因物質の特定はなかなか進まなかった。なぜ、原因物質がメチル水銀であると、すぐに特定できなかったかというと、工場排水や魚介類から多種類の有害物質が検出されたためであった。また、チッソ社と橋本水俣市長(水俣工場でアセトアルデヒドの製造法を確立した)が爆薬投棄説を持ち出したり、東工大清浦教授がアミン系毒物中道説(腐敗した魚にはアミンができそれを食べたものが中毒を起こした)を発表するなどして、水俣工場からの水銀原因説を否定する動きがあったからだ。
公式発表の翌年の1957年7月、熊本県はいったん、食品衛生法による販売禁止、漁獲禁止の告示を行うことをきめていた。しかし食品衛生法を適応してよいかと紹介された厚生省は、漁獲禁止によって補償問題が起こることを恐れ「水俣湾産の魚介類のすべてが有毒化しているという明らかな根拠が認められない」として、食品衛生法の適応に反対した。水俣病は、水俣湾でとれた魚介類が原因であることには変わりはなく、食中毒という形をとった中毒症なのである。食中毒が起きた場合、食品衛生法に基づき問題を処理する。「有害な食物(原因物質)中毒を起こした患者を診察した医師はすぐに保健所に届け出なければならない。そして保健所は、すぐにその原因食品の摂取を止めさせ、原因食品を摂取したと思われる患者がどこにいるのか積極的に追跡調査をして、食べたもの、食べたもの量、症状などを聞き取り調査して報告書を都道府県知事、厚生労働大臣に届け出なければならない。」という明快なステップによってなされた報告を厚生省は、跳ね返したことになる。
このように、企業の利益のための偽装工作や、漁業補償のために厚生省が水俣病に性急に対処しなかったことによって、水俣病の被害は爆発的に拡大したと私は考えました。
5、水俣病問題とは具体的に何か。
水俣病の原因物質がチッソ水俣工場から出るメチル水銀であると証明され、水俣病患者の認定を行った。認定を受けた者はチッソと補償協定を結ぶことにより最低でも1600万円の一時金を受け取ることができるのだ。
しかしその認定方法は食中毒のそれとはかけ離れたものだった。具体的には患者自ら水俣病ではないかと申請をして、県の指定した検診医の検診を一週間にわたりうける。さらに県の指定した医師による審査会が審査をして、県知事がそれを参考に最終的に判断する。その判断基準は、Hunter-Russell症候群の三徴(求心性視野狭窄、小脳運動失調、構音障害)である。
(Hunter-Russell・・・1937年にイギリスの農薬工場で起こったメチル水銀中毒の三徴候として求心性視野狭窄、小脳運動失調、構音障害をあげた。)
この判断基準は科学的な裏付けがなく、認定者の急増や補償金支払いの増大を恐れた国が作成したものだったと考えられる。水俣病の患者はどれか当てはまらないものがあると、水俣病と認定されず切り捨てられていった。結局2000年3月末までに1万7千人が認定申請を行ったが実際認定されたのは2264人にすぎない。
本来、曝露を受けた住民の健康被害がメチル水銀曝露によるものか否かを判断するためには露を受けた住民の健康状態を、メチル水銀曝露を受けていない住民の健康状態と比較しなければならず、その結果汚染地域の健康被害の偏りが明らかになれば、そのメチル水銀曝露に起因するものであるといえる、というのが疫学的な考え方であるそうだ。
以上のように、国や熊本県が水俣病患者の救済を徹底的に怠ってきたということが水俣病問題であり、水俣病裁判を起こすきっかけとなった。
6、水俣病裁判(チッソ水俣病関西訴訟)
水俣病関連の裁判には
1、民事訴訟(被害者がチッソに損害賠償や医療費などを請求)
2、行政訴訟(被害者が国・県に早急な被害認定を求めた)
3、刑事裁判(チッソの元幹部の水俣病発生責任を取る)
があった。民事訴訟の結果、チッソの責任が明確になりさらに行政訴訟では企業を擁護して患者を救済しなかった行政を断罪し、患者救済を急がせた。刑事訴訟ではチッソの社長と工場長に刑事罰が下った。
水俣病発生の地熊本以外の裁判所で提訴されたのは大阪が初めてだった。水俣病によって漁業に打撃を受け、関西に移り住んだ患者により提訴されたのだ。
最終的には、行政認定を受けた患者は1600万円〜1800万円、司法認定を受けた患者は400万円〜800万円、政治決着をつけた患者は260万円、以上三つの枠に収まらなかった患者は、水俣病ではないということで保険をきかせて治療を受けるほかなかった。
7、水俣病を通して考えたこと。
2005年現在では、裁判に判決は下ったが、決して患者の苦しみが消えるわけではなく、今も水俣病と戦い続けています。水俣病はチッソの城下町に対立を生ませ、水俣湾を埋め立てました。工業による収入によって、大きな利益を得た影には、大きな代償が待っていたという結果になってしまったということでしょうか。チッソは熊本県の県債を返し終えていないし最終的には、企業も地域住民も苦しむ結果になってしまいました。企業という大きな集団が生む利益は大きく、地域社会を豊かにするけど、大きなことをする分、リスクも高くなると思います。そのリスクを最小限にして、まさかの事態が起こったときに組織立って、早急に科学的な理論に基づいた解決を行うのが公衆衛生・疫学の役割だと思いました。まさに、「予防と健康」だなーと思いました。
集団の健康は個人の健康の上に成り立ち、健康の集団は臨床医による疾病の治療の他に、公衆衛生や、疫学といった予防的な医学にも支えられていることが分かりました。 水俣病について調べたら、今まで漠然としか感じられなかった公衆衛生や疫学というものが、少し身近になったように感じました。