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話は損害賠償を請求する水俣病患者側と「チッソ」との争いである。
これを巡っての訴訟は1982年に始まり1994、2001、2004年と4回に渡って行われた。
原告側である住民を「水俣病」と認めて認定されてしまえば、被告側のチッソは1600から1800万の賠償金を支払わなければならないのでなんとか回避しようとしている。
私としてはこれは責任問題で明らかにチッソ側に否があるのだから素直に認めてしまえば良いと思った。
認めてしまえば何回も訴訟沙汰にならずに済んだだろう。
問題はそれだけではなかった。
水俣病は元々罹患すると差別の激しい病で、「自分は水俣病である」と名乗り出る人が少なかった。
このことで、水俣病の認定制度である「本人申請主義」が潜在患者を多数作る原因となってしまったと言えよう。
国は「52年判断条件は正しく、国と県に賠償責任は無い」と主張してきたが、最終的に敗訴し、原告側が何にしても有利な立場に立った。
私は立場が、このようになるまでにこれだけの時間が本当に必要であったのかと思う。
あまりの国側の大人気の無さに愕然とした。
今後私は、医学を志すに当たって、自分のする事全てに責任と自信を持って取り組んでいきたいと今回のスライドを鑑賞して感じた。
そうすれば、今回の水俣病のような振り返りの不信の連鎖は決して起こらない筈だ。
不信は必ず起こる事であるが
如何にしてその場のみで責任を持ってかたをつける事が重要である。日本は本来、信頼、責任感の溢れる国であると信じて止まない。