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僕は熊本の出身で、また父親が水俣に単身赴任していたことから、よく水俣に遊びに行っており、水俣病のことは小さい頃から知っていました。いまさらですが、水俣病とは、チッソ水俣工場が不知火海に流した工場廃水に含まれるメチル水銀が魚や貝を汚染し、それを食べた人達がメチル水銀中毒になった公害病です。小学校や中学校の時は、社会の教科書で4大公害病の一つとして、のっていました。患者は伝染病、奇病と誤解されて怖がられ、差別をうけることもあったそうです。患者とそうでない人達の間で対立がおきたり、就職や結婚ができなくなるなど、人間関係まで壊れてしまいました。水俣の市民に対する市外の人からの差別もありました。この前のビデオを見て、訴訟を起こした人達がどれだけ辛い思いで国と闘ってきたかをあらためて実感しました。水俣病によって水俣は病気の町という印象をもたれてしまいました。今、水俣の海はすごくきれいです。街の環境も良く、自然が多いです。温泉もあります。もし水俣病が無かったら、水俣はもっと栄えていたでしょう。国はもっと水俣のことを知り、水俣の人々を救済するべきだと思います。患者やその御遺族の方々の無念が晴らされて初めて水俣は再び生き返るのだと思います。