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今回のビデオの内容は、水俣病関西訴訟で最高裁判所は原告を患者と認め、国と県の責任を認めたにもかかわらず、環境省は原告達を水俣病として認めないという現在の状態を中心に、現在にいたるまでの水俣病患者の経緯についての内容でした。
水俣病とは工場の不十分な廃水処理のため、産業廃水に含まれたメチル水銀による中毒症のことである。
昭和48年、チッソと患者の間で補償協定が結ばれ、行政認定を受けた患者は、チッソから1600万円〜1800万円の慰謝料や医療費などを受け取ることができる。
水俣病の場合、医師より水俣病として診断されると、水俣病の治療には保険が使えないので、全額患者が負担しなければならなくなってしまうため、行政認定を受けることは重要になってくる。
しかし、行政認定は患者自身が認定を受けに行くものであって、行政が積極的に患者を探し出し救済するものでない。
そのため、差別等の問題により申請しない患者達が出てくる要因となった。
昭和52年になると、環境省は昭和52年判断条件として、水俣病の診断基準を定めた。
しかし、この診断条件は、過去の医学をもとに作成されたものであり、今現在の医学をもとにこの診断基準を見直すと、誤り(厳しすぎる)等の事実が浮上してきた。
そこで、最高裁判所は52年判断条件を採用せず、独自の判断条件を示した。
しかし、国は52年判断条件の妥当性を主張し続け、見直そうとはしなかった。
このため、この基準に当てはまらず、水俣病と認定されない患者が数多く出てきた。
80年代に入ると、行政に認定されなかった水俣病患者が国と県とチッソを相手に全国的に裁判を起こした。
しかし、「国と県には加害責任がない。また、認定制度は正しい。」として、10年にも及ぶ裁判闘争が続けられた。
平成7年、この闘争を終結させるべく、当時の連立与党が妥協案としてチッソが260万円の一時金を支払い、国と県が医療費を支給するという内容で、患者達は裁判闘争の結と認定申請を行わないという条件で受け入れた。
つまり、国は水俣病患者を水俣病として認めず、国が裁判で掲げた「52年判断条件の正当性と、国と県に賠償責任はない。」という二つの主張は貫かれた。
しかし、政治決着を拒否した関西訴訟原告団は、先にも述べた水俣病関西訴訟での最高裁判所の判決で原告団の勝訴となり、「認定基準の見直しと、全ての水俣病患者を水俣病と認めるべきだ。」と迫った。
今回のビデオを見て、水俣病という一つの病気について色々な立場(患者側、行政側等)から見ることができました。
また、一つの病気の中に、患者に対する差別問題から認定基準問題等、解決すべき多くの難しい問題が詰まっているということを知ることができました。