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水俣病という言葉は、小学生の時から耳にはしていた。

しかし、実際にどういう病気なのかを深く考えたことが今までなかった。

まして水俣病患者の気持ちを考えたこともなかったので、今回ビデオを見せてもらって、水俣病はもう既に終わった過去の話ではないということを一番強く感じた。 

水俣病と認めるか否か、ということが大きな問題だったように感じる。

しかも、行政・司法・政治が判断を下しているということだった。

水俣病であると認めることが、どういうことなのか、とビデオの前半は思っていた。

しかし、話を聞いていると水俣病であれば、国が治療などにかかる費用の全額負担をするということを意味する、ということだった。

結局は、お金の問題なのかと最初は思ってしまった。

でも、水俣病であるがゆえに、生活の質は間違いなく下がり、社会的にも世間からは特別の目で見られていたかも知れない。

このように、屈辱的な精神的ダメージを長年にわたり味わってきたからこそ、患者達は、水俣病と認められることに重きを感じているのだろう。 

実際の水俣病患者を見て、想像していた以上に身体に出ていた症状は重く、驚いたし恐怖も感じた。

ビデオに出てこられた医師は、自分の父親を剖検してまで、水俣病を追求していた。

そのことが自分の使命と感じたのであろう。

しかし今の私には、自分もそのようなことができる強い気持ちを持った医師になれるという、自信がない。

でもそれは、まったく焦る必要もなく、残りの大学生活四年間で、また医師として働いていく中で、先輩方の体験談や実際の患者さんといろいろな話をしたりして、私自身様々な経験を積んで、今よりももっと広く柔軟な視野でもって、もう一度このことを考えることができたらいいな、と思った。