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今回、水俣病の被害の広がりと国の対策とその被害者についてのビデオを見ました。

水俣病については隣の県の出来事ということもあって、小さいころから知っていました。

改めて思うことはどうして国や県は公害の被害を最小限にとどめることができなかったの かということです。  

水俣病の発生から、その原因であるチッソ水俣工場から流された工業廃水を止めるまで に12年もかかっています。

そのあいだに被害はどんどん広がっていきました。 国が水俣病の原因を工業廃水に含まれるメチル水銀であると認識して対策をとるまでにか なりの時間がかかっています。 

このため水俣病の被害を拡大させた国や熊本県の責任をめぐって裁判も起こりました。   

この時問題となったのが「昭和52年判断条件」です。

これは、環境省が昭和52年に定めた水俣病の診断基準を定めたもので「昭和52年判断条 件」は国が水俣病として認定し補償をするかどうかを決めるものでした。これにより多く の人が救われるはずでした。

しかし診断基準は厳しく、認定を受けることのできない患者が多数でました。 これが未認定患者問題です。

ビデオのなかで、水俣病に携わる地元の松本医師が、水俣病と認定されなかった患者に対 し、「みんな被害者でみんな水俣病で苦しんでいる」と主張しているのが印象的でした。

なぜ認定を受けることのできない患者がでてきたのでしょうか。

国は被害を受けた人全て を救済するべきでした。

そして水俣病は2004年に最高裁で原告側が勝訴し、損害賠償の面では解決しました。

行政や企業はこのような公害が二度と起こらないように反省し、被害者の救済に取り組む とともに、もっと迅速に病気の広がりを防ぐための対策をとれるようにしていかなくては いけないと思います。

また、そのような対策をとれるように今の公衆衛生は発達してきているものだと思いま す。 今学んでいる「予防と健康」もこれからの保健医療に直接結びつくものだと思いました。