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私は、この映像を見るまで水俣病は過去にすでに解決した病気だと思っていました。しかし実際は現在もなお病気に苦しんでいる方々がいて、話し合いが続けられている未解決な問題である事が分かりました。水俣病は2004年10月に最高裁が関西訴訟上告裁判決で国・県の責任を認めました。しかし、国が水俣病と認定している患者は、町の医者が水俣病と診断した2万人の患者の内の2300人にすぎませんでした。水俣病と認定されない
と保険が使えず、生活保護も受けることができず、生活に大きな負担がかかります。
また、認定を受けれなかった多くの患者は、自分の病気が水俣病でないのなら一体何なのかという憤りを感じています。原告側と環境庁の対談を見ていたとき、政府側は原告からの質問にまともに答えずよく理解できないことを言ってはぐらかしてばかりでした。その不誠実な態度を見て、私は国は法律上は責任を認めたが責任をとることはしないのだなと感じ、自分が騙された気分になりました。
親子二代で医師をしている松本医師の父親もまた水俣病でした。松本医師の父親は自分自身を息子に解剖させて、自身が水俣病であるということを証明させました。私はこの偉大な行為にとても胸をうたれました。自分の身を犠牲にしてまで一つのことを成し遂げようとする強い意思はすごいと思いました。もし自分が同じ立場なら今の私にはこのような行為はできないだろうと思いました。また息子の松本医師の水俣病に捧げる情熱には、尊敬する野口英雄をかさねてみてしまいました。父親の病気の解明はもちろんの事、患者に対する真摯で温かみのある態度が印象的でした。しかし、そんな松本医師でも診断した結果が水俣病であってもそれをカルテに記すことはためらいを感じると言います。自分が水俣病と診断しても国が認めるか定かでなく患者を苦しめるかもしれないからです。
私は、22年間もの間当然なされるべきだった賠償や謝罪が充分にされていないことや、また今もなお国が責任から逃れようとしていることに疑問を感じます。それは私たちの認識の不足やモラルの欠如がうみだした結果なのかもしれません。今後私たちは、この問題を広く多くの人に再認識してもらい改めて話し合い、考えていく必要があると思いました。そしてその先駆けとなってみなを誘導し、国に対して問題提起をなげかけていくことが今医師が果たしていくべき迅速な責務なのではないかと考えました。