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水俣病は四大公害病のひとつで、
湾曲した手足を痙攣させ、舌が回らなくなる。声さえだせなくなり、骨と皮だけになって死んでゆく。このような症状が現れる水俣病は、はじめ原因不明の奇病といわれた。そのため、患者たちの中には伝染病だと思われたり、精神病だと思われるといった、差別的な待遇を受ける人が多くいた。差別は家の中にも存在し、患者が人目にふれないように、家の奥深くに隠されることもあった。また、漁師の家庭ではみんなが毎日同じ魚を食べて生活するため家族全員が発病してしまうこともあった。だんだん、水俣の魚が売れなくなっていき漁師たちは生活できなくなっていった。毒が入っているとわかってはいながらも、水俣の魚をとって食べることでしか生活できない人もたくさんいた。
公害の原点である水俣病は公式確認から約半世紀、悲惨なその事実は過去のものとなりつつあった。そのような中、2004年10月15日、関西水俣病訴訟の最高裁判決が言い渡された。国など行政に被害拡大の賠償責任があるのかどうか。最高裁の判決を前に、被害者たちの思いは期待と不安でいっぱいだった。長すぎる闘い、国と県に責任を求め続けた原告側59人のうち、すでに23人が亡くなっていた。思いを受けついだ家族たちが闘っていた。・・・国と
しかし、本当に原告側が求めたものはなんだったのか。心と体の苦痛に耐え続けた被害者たち。亡くなった被害者の遺影を胸に掲げる家族たち。彼らの願いは国や県が自ら責任を認め、心から謝罪してくれることではないだろうか。長すぎた戦いに終止符が打たれた今、原告側の心の内が、本当に満たされているかは、私にはわからない。