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僕は九州出身のため、小学校のころからよく水俣病についての講話を聞いたり、ビデオを見たりしてきました。
その中で僕は、水俣病に関して問題であるのは、人々が病気になって苦しみ、命を落としていくことにだけあると思っていました。
もちろんそれは、もっとも大きな問題のひとつであるのですが、今回のビデオをみて、問題はそれだけにとどまらないということが分かりました。
水俣病は、チッソの工場の排水に含まれる有機水銀によって引き起こされたもので、僕はその工場だけが悪いのだと思っていました。
しかし、被害の初期に国が食品衛生法を適用させれば、被害の拡大を防ぐことができたにもかかわらず、明らかな証拠がないという無責任な理由で、適用をしなかったということを知って、責任はチッソだけでなく、国にもあるのだと知りました。
国というものは、国民が病気に苦しんでいるのなら、その救済をすべきものなのであると僕は考えていました。
しかし国は、昭和52年判断基準を設けて、そのうち2つの項目に当てはまるだけを水俣病と認め補償をしましたが、症状が軽くはっきりと当てはまらなかった人には、何の保障もしませんでした。
水俣病という病気は個人差が大きいにもかかわらず、一定の基準で決めるということは、やはりおかしいことであるのは明らかです。
しかしこの基準に満たなかったがために、多くの人は水俣病を名乗ることさえ許されませんでした。
このことは、医師が判断基準がおかしいといっても、裁判で国が負けても、いまだにたくさんの人がこの基準に一致しないという理由で、国は水俣病の患者に、補償もせず、水俣病と認めることもしませんでした。
そして国はいまだこの姿勢を変えようとしていません。
水俣病でおおくの人々が苦しんでいるということは事実です。
それがたとえ軽度であったにしても、今までどおりの生活が送れなくなるということは、個人にとってはとても重大な問題です。
それが起こってしまったことは、仕方が無かったとしても、ここまで被害が広がる前に、食い止めることはできたはずです。
それをすることも無く、被害をここまで拡大させてしまった国はやはりその被害者のすべてを水俣病と認め、その被害以前の生活に近い生活を送れるようにする責任があると思います。
水俣病の被害者の方々は今、病気と闘うだけではなく、国とも戦っています。
このことはとても負担になることだと思います。被害者はただお金のためにやっているのではなく、国に誠意のある行動をとってもらい、水俣病ときちんと認めて欲しいだけなんだと思います。
国はきちんと責任を取るとともに、二度とこのようなことがおきないように、変わっていくべきだと僕は思います。