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小学生のころ水俣病を教わった。
僕は水俣病は過去のものだと思っていたので、今現在においても水俣病で苦しんでいる多くの人々がいることに驚かされた。
そして、その多くの人々を苦しめている元凶が水俣病の認定制度である。
この認定制度には多くの問題点があると思う。
その中のひとつは本人が申請を行いなおかつ行政認定を受けた人のみ補償が受けられるという点である。
当時地元での患者差別は激しく、自ら水俣病と名乗り出る人は少ないだろう。と、容易に想像できる。
事実、潜在患者が多数埋もれてしまう要因となってしまった。
それなのに行政が積極的に被害者を調査し探し出して救済することはなかった。
またその行政認定を行う際に定められた昭和52年の判断基準があいまいで、軽症の患者の切捨てを行っているとしか思えない。
この基準に当てはまらず棄却された患者は数千人に上り、医学界からもこの基準の妥当性に対する疑問の声が出されているにもかかわらず、国は「この基準は現在でも適切であり、見直す必要がない」と主張し、誤りを認めようとはしない。
この国のやり方には腹が立った。
そして、長期にわたる争いを終結させるために水俣病と認定しないが、260万の一時金をチッソが支払うという政治決着を行った。
そしてあくまでも52年判断基準は正しいと貫きとおした。
私には患者の「金はいいから水俣病と認定してくれ」という訴えが心に響いた。
水俣病と認定されずに生涯を終えた多くの人々の弔いをしたかったのだろう。
予防医学・公衆衛生学の社会に対する役割は大きい。
このようなことが起こったのもこれらの学問が正常に機能しなかったためだろう。
ビデオの中でも一人の医師が水俣病の認定のために奮闘していたが、たとえ一医師でもできることは多いと思う。
将来医者となった時、何ができるか少しずつ考えていきたい。