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ビデオを見て感じたことを書きたいと思います。
私は水俣病については名前と多少の知識はありましたが、あんなに壮絶な戦いが起こっていたとは全く知りませんでした。
被害者の方の深い苦しみが伝わってくるとともに、いい加減な政府の認定制度に対する怒りと不信感が沸き起こってきました。
さらに今回患者と政府の仲介役を果たしていた医師側の立場からも、状況を捉えることができました。
将来、私が関わっていくことになる医療人としては、これからまた同じような問題に突き当たった時にどう対処するのが適切なのでしょうか?
まず、そもそも事の発端として何が原因だったのでしょうか?公害病ということで工場などを建てた会社側に問題があるのでしょうか?確かに、彼らはただ高度経済成長の流れにのって、消費者のニーズに答えていたとはいえ、生産性、効率性を重視するあまり、環境の存在を無視しすぎた点に問題はあると思います。
とはいえ、彼らに責任を押し付けるのは酷すぎると思います。
では、やはり、公害病となりうることを知りつつも黙認し、日本の経済を動かしてきた政府といえるでしょうか?さらにひどいことに、彼らは公害病認定基準も、細分化することで経費削減を図っていたようです。
患者たちも怒りがもっとも強く現れていたのはこの部分ではないかと思うのです。
政府側には悪いとわかっていながらも、言葉も上ではお茶を濁すような態度で、責任をとろうしているようには見えませんでした。
あくまで立場、地位を優先させています。
患者側から求めるのではなく、純粋に謝罪することは彼らにとってそんなにも難しいことなのでしょうか?
みなそれぞれの立場で自己主張しているようです。
患者は病気になれば、治してほしいと訴えます。
そして、その原因が自分ではなくて外部にあるのであればそこに責任を追及するのは当然でしょう。
初めて、あの映像を見た時、患者のやり方もやりすぎではないかと思うところもありましたが、肉親を思う彼らの怒りは正当なものだと思います。
政府も、政府側からの立場で主張しています。
医者も同じく、医者としての立場で考えています。
ただ水俣病という病気を通し全体を見たとき、何が一番大切なのだろうか?優先順位一位にこなくてはならないものは何なのだろう?と考えた時、私はやはり人間の命ではないかと思います。
医師はたまたま人の命を扱う仕事を職務にしていただけかもしれません。
自分が将来医師になった時、どのような態度で臨むか?ということでしたが、私もやはり、目の前にいる患者を救っていくことに力を尽くしたいと思っています。
これから社会に出て行く一員として、人間関係、金銭問題、地位役職問題など、大人の世界はまだよく理解できないところもありますが、どんなときでも、人の生命を救うことに全力を尽くしていけば、きっと間違った方向には進まない気がします。
そして、それが医師として任された人の使命だと思うのです。