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水俣病と聞いて思い出すのは、熊本県で起こった公害病であることくらいでした。今回「NHKスペシャル」:不信の連鎖・水俣病は終わらない、を見て思ったことは、だた公害病であるという事実だけで水俣病を片付けてしまってはいけないということでした。なぜなら、水俣病が起こったことで水俣市の地域住民の暮らしががらりと変わり、患者さん達が少しでも暮らしを良くして行こうと、行政側と裁判に裁判を重ねてこれまで苦労して来られたからです。
水俣病について調べた結果、臨床症状には知覚障害・運動障害・聴力障害・視野狭窄・言語障害などがあります。患者によっていくつかの症状の組み合せがあり、年齢病歴によって症状が大きく異なります。死亡者病理所見では、末梢神経の障害や大脳小脳の皮質障害が、水俣病患者に共通することがわかりました。また母親が水俣病の場合、胎児が水俣病になり、水俣病に罹患して重い障害を持って生まれることもあるようです(胎児性水俣
病)。
医師が患者を診断して水俣病患者と決定付けることはできず、医師の診断はあくまで参考程度にしかなりません。水俣病患者と認定されるには、認定審査会で行政が審査して初めて認定されます。番組に出演していた医師は患者さんを水俣病患者だと診断しかねていました。なぜなら、費用は全額患者負担となるからです。行政が水俣病患者と認定するには、判断条件のうち2つ以上症状がないと認定できないと番組では放映されていました。感覚障害は地域によって異なり、認定はそうそう容易なものではないことが分かります。
水俣病は、昭和31年に発見され、昭和32年に原因が明らかになりました。水俣病の原因物質は、チッソ水俣工場から排出されていたメチル水銀でした。海に流れたメチル水銀は水俣湾内の魚介類により濃縮され、その魚介類を食べた沿岸住民に症状が現れた、という訳です。すぐさま食品衛生法が確立されましたが、昭和32年9月11日にこの法案の適応はできないとの報告があり、さらに被害は拡大して行きました。第二水俣病も新潟で発生し
ました。サイクレーターを取りつけて、工場からの排水を処理するようにしましたが、これは酸化鉄の赤色を除去する目的で設置したもので、水銀の除去を目的としたものではありませんでした。結果、水銀は水に溶けて流出して、結果第二水俣病の被害は軽減されませんでした。
裁判を重ねて行き、最終的に水俣病患者とチッソは政府解決案で和解し、終わりを告げたかのようにみえますが、番組の題名にもあるように、患者さんの病気は治ることはなく、これからも病気に悩まされ続けて行くのです。水俣病の歴史を見ても、行政の対策という対策は伺えず、金で解決しようということしか汲んで取れませんでした。もっと良い対策があったのではないか、またどんな対策があるのかなど、予防と健康の講義でこれか
らいろいろなことを学んで、少しでも水俣病の患者さんだけでなくその他病に苦しむ患者さんのためお役に立てるよう頑張って行きたいと思います。