立山トレッキングに参加して

ビ−バ−父:大槻 剛巳  

 闇の中を突き抜けて来た距離をほんの300分の1程空に近付いただけで,季節は何 週間かを追い越してしまったかのように,肌寒さと共に,絶景の秋の彩りを見せて くれる.スラ−の点描画のような黄色と濃紅の万華鏡.近付けば一枚一枚の葉,一 本一本の葉脈は単色のしかし微妙なグラデ−ションの装いを見せているのに,少し 目を遠ざけるとそれは普段は目にしない低潅木のまさに印象派の描く季節模様の具 象に至る.そしてもう一歩視点を離してみると再度まごうことなき抽象の世界に入 り込み,心はひたすらに色彩の世界に揺れ動くばかりとなる.それはもうその一日 を初めての経験として重いザックを肩に食い込ませながら,いくつかの時代を遡っ た頃に修験者達が静謐な中に浄土への篤い熱い想いを混めて一歩一歩踏み締めた道 行きをまた自分も辿るのだという事へのさざめくような期待も不安も忘れ去らせて くれるような心の中に傾れ込む情景の浸透でしかない.この一瞬がその一日の至福 へのエントランスとなったことをこそ自然と神仏への感謝としなければならないの であろう.まさに合掌である.

 一歩踏み出す.霊験あらたかな湧水に心の中で祈りを捧げ,まず目に入る一の越 への鋪道を辿る.見上げれば頂きは遥か天上に近く緩やかな道程は気持ちを少しだ け穏やかにさせてくれている.と思う間に次第に傾斜は急峻となり,自分の呼吸を 必要以上に意識するようになる.束の間の休息を取ってそしてまた登り坂へと踏み 出す.追い越す・路傍で憩む・既に帰路に着く・重装備・軽装といろいろな人々の 中で,まだ,この辺りでは居合わせる全ての人の意識が共通のひたすらに研ぎ澄ま された山の大気に覆い尽くされると云う程でもなく,黒部を見る前の観光気分や, 少ない家族での休暇の朗らかさや,自らのように今日一日の不安を隠しながらの道 行きや,そんな雑多な意識が交錯している.最後の登りを終えて一の越.そこは既 に雲上の世界.遠くの富士や白山連峰や信州の山々がたゆとう雲間に顔を覘かせ黒 部側の色彩もまた極上の点描画を見せている.この情景にて扉は開く.そこでは辿 り着き得た事と非日常の景色をのみ称賛すべき高揚感が一気に上昇する.再び合掌 .

 立山曼荼羅に描かれる浄土へはそこから右へと首を向けるべきなのかも知れない が,禅定路の中心,雄山へは更にも急峻なそして岩石にまみれた登りであり,そち らへと足を向ける今回の行程である.日輪と二十五菩薩が雲に乗って来迎するとい う(参照:立山トレッキングガイド,21頁)三山の中心へは幅狭き道行きであり, 老若男女すべからくほぼ一列にまた向う人離れる人もまた禅譲の故に,言葉を掛け 合う道行きである.雄山の頂きは神の住い給う社であり,そこは3000mを越える果て ,柏手を打ち頭を垂れ合掌する永遠としての一瞬には,極楽浄土への憧憬の前に己 の邪心を省みて,否,その前に辿り着くまでの粗い呼吸にこそ至らぬ物欲を洗い清 める浄化が在るならば,ひたすらに来世への祈願を繰り返せば,空も雲も山も岩も ,そして又,稀薄な大気さえも柔和な笑みを浮かべながら,即ち,その一瞬を永遠 たれと心の奥底へと浸透してくるこの研ぎ澄まされた気の移動こそ,未来永劫失う ことなかれと,心を弛緩と緊張の双方に委ねていけば,我そこにあり.重ねて合掌 ,である.

 そこからは大汝山での昼食,そして富士の折立へと尾根を行く.既に肩にのし掛 かるザックの重量にも慣れて来てしまってひたすら足を前に出す事に専念しようと する.九十九折の下りを終えて真砂岳へ,別山をかすめて(この頃には両足の希少 な筋肉を休ませる頻度も否応なく増してきて,登りでは大腿へ下りでは爪先へと心 の中で激励を掛けながら,日常の生活の中での鍛練の無さを痛感してしまっている )別山乗越に辿り着くと眼前に剱岳の山容がそそり立つ.真に名の通り.急峻な幾 つかの嶺が並び立ち雄々しき姿を見せてくれる.感動である.そこからは雷鳥平へ のひたすらの下り道.テント設営.夕食.風雨の音に目覚めながらの睡眠.地獄谷 の硫黄臭と恩恵としての温泉.再び帰路に着く頃には霊山達は雲の向こうに顔を隠 しておられたが記憶に留める山頂の心象具象の情景は忘れ得ぬ宝玉として残されて いる.心地よい疲労感と肩の周りの筋肉痛に想い出を残しながら,移ろう景色は雨 にけるむ北陸・若狭.  そして故郷の丹波路をかすめながら山陽路へとバスは進んだ.

 不安を抱きながらそれでも山を歩いてみたいと参加させていただいた今回の道行 き.初心者の例に漏れない足手まといも省みず,またテント泊さえ初めての我が身 ではお誘いいただいた皆様への感謝の気持ちで一杯で他の言葉もありません.願わ くば次の機会にもお声を掛けて頂けるなら,ひょっとしてかさばりすぎた廉価版シ ュラフを少しだけ良いものにしようかなとか口には出さずに考えたりしています.

 道行きを思い返して,場面場面の心象風景を蘇らせて,感動と感謝と,そして合掌.

 ありがとうございました