2025.9/28
日曜日~昨晩が遅かったので、ゆっくり起きて……今日は花の数は一緒ですね.
曇り空.

今日の予定は……これ!! 献血.
なんと、担当の看護師さんがフランクな方で、写真を撮って下さいました.
  
いつもながら、お菓子も食べました.芦田愛菜ちゃん、ここにも居る!!!
  
さて、そこから……前の日、ふと考えていて、松江市八雲(旧八雲町)の……安部榮四郎~その集落に着くと秋色.
ここも稲は稲架で干してありますね.
白い彼岸花、
【明治35年(1902年)に八雲町で生まれた安部榮四郎氏は、家業だった紙すきを自らの探求心と努力で極め、伝統技術に個性をプラスした色彩豊かな創作和紙「出雲民芸紙」を創り出した、人間国宝の手すき和紙職人。】
【出雲和紙界において多大な功績を残した榮四郎氏ですが、明治・大正時代までは八雲町別所地区の和紙作りはほとんど知られていませんでした。】
【それが大きく変化したのは、昭和6年(1931年)のこと。】
【民芸運動を起こした柳宗悦が松江を訪れ、雁皮(がんぴ)という木の皮を使って氏がすいた力強い和紙を見て、「これこそ日本の紙だ」と褒め讃えたといいます。】
【その言葉をきっかけに、榮四郎氏も民芸運動に参加。】
【和紙の持ち味を殺さずに染めた「和染紙」、楮(こうぞ)、三椏(みつまた)といった植物の繊維を生かしてすき分けた「生漉紙(きすきがみ)」など次々と発表し、全国に熱心な愛好者を持つまでに発展させました。】
【「出雲民芸紙」の誕生でした。その後も、技におぼれることなく個性あふれる名紙を作り続けたそうです。】
【昭和43年(1968年)には、雁皮紙をすく伝統的技術を高く評価され、重要無形文化財に認定。】
【現在、安部榮四郎氏の心と技は、孫の信一郎さん、紀正さん兄弟へと受け継がれています。】
そうそう、NHK朝ドラ「ばけばけ」(髙石あかりさん、いですよね、前、夜ドラで注目しちゃいました)も、始まるので……「雪女」をゲット.
素晴らしい、ありがとうございました.展j気も俊逸、ビデオもずっと拝見させて頂きました.

会館記念のイベントもあるそうです.

そして、そのまま、館の公園へ.
で、星上寺の仁王門がある……ってのはMAPで知っていまして…….
周囲にもいくつか…….
そして、ここから二十丁が始まります.ってか、登って行って2.1kmくらい??? どの程度の上り坂???
それなら、まだ、16時くらいだし、登ってみますか??
とにかく、一つずつ減っていく丁のお地蔵さん、丁と無縁のお地蔵さん、そして、キノコなり.
シロオニタケですね.
茶色はアワタケ、
どんどん、進みます.
こいつは何だろう.
十丁で半分ですね.
ここには、不動明王像、その背後には大きな三角の形で再興記念碑と刻まれた石碑.
この辺りから、少し坂が急になってきました.
七、六、五……かつ、やはり、献血の午後にはきつかったのかなぁ.
三丁のお地蔵さんが首で折れて、仰向けに倒れていて……重かったけど、取り急ぎ、並べておきました.
二、一で、境内に入ります.
可也、きつかったのは、年齢のためか? 献血の後の為か??
さて、星上寺です(曹洞宗らしい).
少し、疲れを癒しましょう(といって、平道になると結構、平気でした).
MAPでは【星の神が降臨されたという伝説のある山です。山頂には17番札所星上寺や那富乃夜神社があります。】
那富乃夜(なほのや)神社~と、読みます.
シンプルです.
そして、摂社も、ありますね.
展望台ということばに誘われて……もう少し.
木も多いですが、眺めることが出来ました.
さて、後は、降りるだけかな……蜘蛛の巣に相当ひっかかりましたけど.
下ってみると、坂の急さがよくわかりますが、キノコも見付けながら.
  
ほらね.
そして、途中……登る時には、しんどくて築いてなかったのですが、途中にも祠があります.
なのか……神社の方の、参道の始まり???
  
そsてぇい、やっぱり、キノコを眺めながら.
オレンジ色も.
 
さて、降りて来ました、再び仁王門.あの辺りが頂上かなぁ…….
こんな行程……やっぱり、結構、急でした.

さて、降りて来てみると、彼岸花とカエルさん.
   
で、現在、後を継がれているお孫さんご兄弟……更に、榮四郎さんの居宅がここですが、忌中の標でした.……さらに、ビデオで見せて頂いた、きれいな水でしなやかにする行程.
疲れましたが、大満足でした.