2025.1/16
今日、午後は庄支所へ……朝、2cmくらいの雪。誰かの足跡も。
さて、通勤、青空も。
道路も薄らと白い。
さて、昼も……雲の隙間に青空。
さて、倉敷へ。
お義父さんが倉敷に来られるので……道の駅で、大福ヒメノモチ!!
さて、途中の寄り道は~妙本寺(旧賀陽町)。
二度目です。
西見延なのです。
【宗派は日蓮宗。山号は具足山。本尊は久遠の本師 釈迦牟尼佛。】
【日蓮宗の西国布教の拠点となっていたことから「西身延」と呼ばれる。】
【桃山時代建造の番神堂は国の重要文化財に指定されている。】
【旧本山は大本山妙顕寺。奠師法縁。平成25年(2013年)日蓮宗宗門史跡に指定された。】
【寺伝によれば、鎌倉時代中期の建治元年(1275年)に伊達弾正朝義が当地の地頭として赴任した。】
【朝義は龍ノ口法難を目の当たりにし日蓮に帰依したと言われ、弘安4年(1281年)に居館の北東に寺院を建立したと伝えられている(一説には、創建は建治元年(1275年)とされる)。】
【寺院建立の前年、弘安3年(1280年)朝義は当寺院への日蓮の来訪を依頼するため身延山を訪れたが、日蓮は隠棲を理由に断り代わりに経一丸(後の日像)を使わすことを約束し開山としたと言われる。】
【結局、日像も多忙を理由に当地訪問は叶わず、永仁元年(1293年)に京都に赴いた際に、上京した朝義と面会し大曼荼羅と三十番神を授けたという。】
【伊達朝義は徳治元年(1306年)66歳で死去したと伝えられる。朝義の死後の正和年間(1312年 - 1317年)日像の高弟、大覚が赴いた。大覚は当寺院を拠点に西国への布教を行った。
妙本寺近隣の寺院は概ね日蓮宗に改宗し、この地域の寺院・檀信徒は「野山法華」と呼ばれている。南北朝時代の元徳2年(1330年)より戦国時代の元亀元年(1570年)の期間は無住であったと伝えられている。このため伽藍は大破し、天正11年(1583年)に大改修が施されたと伝わる。】
これで庄支所関係は、一応、終了。
キキ。
うふふふ。
daughterと二人で、Satisfaction Curry & Cafeさんへ、
やっぱり旨い!! ボクは二度目、daughterは初で、お気に入りみたい。
よく見ると壁にはピンクフロイドや、ローリングストーンズ、レッド・ツェッペリン、そして、サージェントペパーのアルバムジャケットが……店名って、RollingStones
の曲から???
また来よう!!
帰村したら、少し小雪。
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