2024.12/07
今日は……美作の耳鼻咽喉科へ……前後でKODA Gallery & Pan そして、寄るは訪室ですね。
 
朝の曙と青空。
  
葉が残り僅かになりました。~時間を見ながらで、美作に行くまでに、勝央町で八幡神社!
【当社は大宅鷹取貞観元年神功皇后の御服帯及び忍熊皇子の千早の袖を戴き、貞観2年美作国勝田郡久魯佐佳の水清川の清野の山に宇佐八幡大神を祀ったのが始りとされる。】
【応永31年赤松左京太夫満祐が弓矢を奉納したので弓矢八幡宮と改められる。】
【天文16年神怒を慰めて弓矢八幡宮を改め遊屋八幡宮と改称される。】
【慶長15年美作国津山藩主「森忠政」息女難産に悩み、当社神主水島岩見守に依頼、安産祈願を行い無事男子を出産することができたので、その御神徳を仰ぎ神領20石を奉納した。】
【以後森家の祈願所と定められ、今日に至っても安産守護神として尊崇されている。】
【創建以来、再建された記録が次の様に残っている。】
【元徳2午年・永承3戌子年3月・建暦2丑年・弘安5午年・応永31年4月・天文15午年9月・慶長6年・天和3癸亥年2月・明治9年現鎮座地に移転され今日に至っている。】
map では、高取八幡宮が併記されていました。
【旧高取五ヶ村の氏神「八幡神社の由緒書きによると、貞観2年(860年)に美作の国、勝田郡の人で大宅鷹守の子鷹取が備中権守に任命された時、】
【貰った神功皇后のお腹帯と忍態皇子(応神天皇の第3皇子)の衣の袖を父の鷹取に贈ったところ、この親子が備中美作と、遠くは離れて住んでいるにもかかわらず、】
【毎晩同じように八幡大神の夢を見るので「不思議なこともあるものだ、これはきっと神のお告げに違いない」と信じて】
【宇佐八幡の神を黒坂の水清川の源である清野山(場所不明)に祀ったのが八幡神社の起源であるということです。(湯谷八幡神社)】
駐車場の傍とかの紅葉はまだきれい!!
河田医院の前に、KODAさんで、えっと、お土産をゲット!
旨い!!!! 倉敷で食べました。

ちょっと時間つぶしで……美作市役所!
  
今、美作市もとことん広いですものね(旧英田町から東粟倉村まで)。
そして、河田医院……ご夫婦で、そしてご主人は鳥大卒で川大研修……奥様は良く知っていた後輩でした!!

さて、訪室。
さて、夕食は、ナッシュカリーアメリカン@倉敷。
  
若鶏の粒マスタード焼カリーにしました。えへへ、フライドポテトも。旨い。
前にはwifeさんと来ました~トッピングで楽しむ感じですね。
sonの土産の大阪プリンとdaughter土産の煎餅。
どちらも旨い。
 
キキ。
  
ラピ~~ハナは2階へささって登っていっちゃいました。