2024.11/10
晴れました。
紫陽花に朝露。
菊は、集まって咲くのですね。
さて、イオン日吉津に所用……なんとも、クリスマスモード。
そして、駐車場では、消防車やドクターヘリや救急車など。
所用の時間待ちで、サンマルクカフェで、粉雪ホワイトスノーチョコレート・プレミアムチョコクロ。ちょっと、ゆったり。
のんびり。
そして、お土産で、イオン日吉津に京都の独創菓子のお店の出店が出てまして、これは七星さんの生ドラ焼き。おいもと抹茶とチョコホワイト。旨い。
さて、帰路で、伯耆町福島ってところの、野上荘神社。
【創立年代は不明であるが、天照大神、誉田別命の二神合殿に祀り、天大明神八幡宮と称された。】
【天大明神は三部郷(三部村は延長の頃(923~931)の村落で、日野六村の一である。外構村は三部村の内であった。)の開発と共に創立し、八幡宮は進氏(字殿の段は元弘の義臣進四郎三郎助貞の邸宅の跡とも言う。)の創建によると言われる。】
【昔は二社が左右に相対して鎮座していた。永禄年中(1558~70)毛利の部将三村家親、香川光景等が転戦の途中当社に拠り、尼子の将山中氏と戦った時、社殿が兵火により焼亡した。二神ともに小社に奉齋されていたが、後年合併して合殿に奉祀することとなった。】
【往古より郷中の大社で三部郷(野上莊)の総氏神として、野上莊大社、或いは総社と言われた。
【祈晴雨臨時公祭を一社限りで執行できる特例も持っていた。野上莊とは上代、下代、郷原、池田、畑中、二部、焼杉、須鎌、上の名、藤屋、船越、福吉(外構)、福島、三部、父原、古市、荘、中祖、宇代の一九村の郷名である。】
【近世末、二部、池田、畑中、郷原の四村は独立して、王子権現(二部神社)の氏子とされた。嘉永元年(1848)の裁許である。】
【天保14年(1843)5月、制札を許され、文久元年(1861)9月、幕・提灯に池田氏の紋章を用いることが許された。】
【なお、天保5年(1834)の藩の『社寺領帳』に、「福吉村日光権現社領高五石二升四合」とあるのは当社に関する記事とも考えられる。】
桜も沢山で、春は良いだろうなぁ。
さて、官舎の庭。
そして、倉敷に。
訪室其の1:川崎医大附属病院。
さて……10F西へ。
赤い音叉は、高橋秀さんの作品です。
そして、一度、家に。
そして、訪室その2.
ここでバイト明け(岡山マラソンで、すごくお客さんが多かったとの話)……の daughterも合流して、大阪王将。
庶民派なんだけど、ここが旨いんだよね。そして、いろいろ食べてみたいって感じ。
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