2024.7/13
山陽新聞朝刊作州版と、朝のどんよりした、でも、種々の緑の帯が拡がる情景。
診療終了と同時に飛び出して……勝山へ。今日は真庭市医師会の市民講座として「うちげでいきたい」の上映会+トークショー。
で、御前酒蔵元辻本店のNISHIGURAで、既に、池田真庭市医師会長と孫監督、菅原さんは、昼食を始められていて、合流。
蔵元だけに、粕漬け…美味しい!!
さぁ……会場へ、30分前くらいに入りましたが、すごい観客数。市のスタッフの方々が、どんどん椅子を出されていました。僕らは、控室で、お菓子とお茶を頂戴していました。
150名以上が集まられましたし、皆さん、熱心に、聴かれて、頷かれて、笑われて、トークショーでも、すごく聴いて下さっていました。
また、市議の黒川さん、村議の稲田さん、等々……トークショーのMCを褒めて下さいました。
officialな写真を頂戴しました。
本当に、沢山の聴衆の皆様。
ビックリです。
皆様、興味深い内容!
嬉しいことです。
感謝々々。
来年は、でも、普通の講演会かな?
さて、終了後……夜は、岡山でNPO映像作家支援機構の総会で……時間調整で、少し町歩き。
googlemapでは、ひしお喫茶が17時までって書いてあったので、行くことにしたのですが
でも……以前の記憶通り、16時までだったようです。
暖簾沢山の町並み保存地区です。
こんな観光案内図の大きなのが掲示されていました。
そして、こんなチーズケーキのお店、知りませんでした、去年の春から?? 開いている時間帯になかなかこの辺りを、そういえば、歩かないよね。
さて、岡山に降りるのに、落合から旭町、旭川沿いっていうか、旭川ダム沿いっていうか……。
美咲町垪和(はが)の郵便局などがある辺りに(地名としては栃原みたいですが)、少し、休憩所的な所があって……眺めてみましょう。
カラスと、ホーケキョケキョ。
まだ、緑の虫たちも。
ダム湖ですが、拡がらずに、かなり長く……
【岡山県備前県民局の旭川ダム統合管理事務所が管理する高さ45メートルの重力式コンクリートダムであり、治水、利水、灌漑、発電と複数の目的を持つ補助多目的ダムである。】
【完成当時は旭川第一ダムと呼ばれていたが、約3㎞下流に逆調整池として旭川第二ダムが建設されて以降、旭川ダムと呼ばれるようになった。】
【旭川水系では湯原ダムに次ぐ規模のダムである。ダムによって形成された人造湖は旭川湖(あさひがわこ)と命名された。】
【昭和26年12月7日、「岸田吟香顕彰会」と吟香の郷里「久米郡垪和村」とによって、旭川ダム湖畔に記念碑が建立されました。】
ここは、さっきの休憩所から少し東に走った辺り。
もう少し晴れ渡っていると、湖面も美しいのかも、ですが……雲も多いですね。
さて、そろそろ、岡山に向かいましょう!
【岸田吟香翁は天保四年(一八三三)久米郡垪和村大字中垪和谷(現旭町栃原)に生まれ一九歳のとき江戸へ出て昌平黌、藤森天山塾などで漢学を修めたあと、アメリカの宣教医へボンに医学を学びながら「和英語林集成」の編集に協力、元治元年(一八六四)ジョセフ・ヒコらとわが国最初の新聞「新聞紙」を創刊、慶応四年(一八六八)「横浜新報・もしほ草」を発刊、明治六年(一八七三)「東京日日新聞」の主筆に迎えられわが国の近代的文章の確立に寄与、その間目薬「精錡水」の製造販売を家業にして石油採掘、製氷、定期航路の開拓などを始め盲唖学校「訓盲院」の創設など文明開化期の先頭に立って活躍した。】
さて……大西貴也監督が勤務している聖さくら学院インターナショナルプレスクールで、映像作家支援機構の総会。
お弁当付き……と、大槻からの県北土産。
さて、その後は、自宅へ。キキ。
ハナ。
ラピ。
|