2023.2/25
さて・・・先ずは山陽新聞の朝刊・・第三面/政治面ですが・・g7の小さな村サミットから首相への提案だそうです。

そんな朝は・・粒雪が少しだけ落ちていました。
そして、畑の処に・・夜の足跡。
昼は少し青空・・でも、寒い一日。そして、松江で Berry with TCMの練習~途中の道沿いに白梅。
あちこちに咲いていますね。
なんか・・清廉です。
道々で見掛けるのですが、基本、どなたかのおうちのお庭で・・・。
  
さて・・今日の寄り道は、山代郷北新造院(来美廃寺跡)です。
【北新造院跡は、以前から来美廃寺の呼称で知られ、『出雲国風土記』にて現地の豪族である日置君目烈が建立した「新造院」に充てる説が存在していたが、本格的な調査が実施されたのは1996年のことであった。】
【調査の結果、金堂及びその本尊とみられる三尊仏が置かれた痕跡、更に金堂周辺を取り巻く伽藍の跡が確認され、7世紀末から11世紀末に火災で廃寺になるまで存続した寺院で、『出雲国風土記』の記す「新造院」の跡であることが確定した。】
【なお、『出雲国風土記』には同じく現地の豪族である出雲臣弟山が建立した「新造院」も存在しているため、そちらの跡地と推定される四王寺跡を「南新造院」(正倉跡の東側にある。現在、島根県指定史跡)と称し、こちらを「北新造院」と称した。】
【『出雲国風土記』の記述を裏付ける仏教遺跡の存在が確定したことから、前述の通り、2002年に国の史跡に追加指定された。】
【山代郷の新造院のうち、一つは茶臼山の北側にあります。『出雲国風土記』には「厳堂(ごんどう)を建立(た)つ。僧なし。日置君目烈(へぎのきみめづら)が造りし所なり。出雲神戸の日置君鹿麻呂が祖なり。」とあります。】
【丘陵の中腹に立地しており、非常に残存状態がよい遺跡です。】
【発掘調査の結果南向きの斜面 に大きな平坦面を2段設け、上段には基壇が2つ残っていました。】
【厳堂と推定される基壇には全国的にも珍しい仏像の台座である須弥壇が確認されています。】
【この寺は7世紀後半ごろから12世紀ごろまであったことが、出土した土器からわかっています。】
 
そして、いつものBanBan~今日は、今一つ・・僕が失敗が多くってBerryさんを困らせてしまいました。(。>0<。)・・・次回、3/04に練習で、3/05で倉敷で本番!! 頑張ろう!
  
最後、ジョリパで・・スープパスタ・・でも、なんとなく、夜の雪予報を警戒して、今回は、デザートはコンビニのアイスで済ませて、戻ってきました。