2022.11/12
朝・・・青い空と白い月。
それはそれで・・・季節色~と、なんと、大抱えの葱をSさんから頂戴することになって・・・(明日、倉敷に結局持って帰ることに)
  
今日は・・・真庭市落合の向陽台病院の認知症支援センターから、県の委託事業で田中センター長先生のご講演と、スタッフの皆さんと来場者とのふれあいトーク会にも参加しました。
そして、開場には、明日の村の文化祭に合わせて生け花教室の作品が。
ステキです。
 

さて、講演会の後から出発して、松江で Berry with TCMの練習会・・・途中、なんとか、15分くらいを見付けて、途中の安来市の能義神社に参拝。
【『出雲国風土記』意宇郡条の在神祇官社の「野城社」、『延喜式神名帳』出雲国意宇郡の「野城神社」に比定されるが、同じく『延喜式神名帳』出雲国能義郡の「天穂日命神社」に比定する説もあり、吉佐村の国津大明神(現支布佐神社)との間に正徳年間と明治初期の2回にわたり論社争いがあった。】
【『日本三代実録』によれば、能義神に与えられた神階は貞観9年(867年)に従五位上、貞観13年(871年)に正五位下とされている。しかしこれが能義神社に与えられたものか、天穂日命神社に与えられたものかは不明である。】
【慶長16年(1611年)の火災で社殿を消失したときに古記録は失われてしまった。近世には能義郡の総社として崇敬を集めた。明治4年に郷社に列格し、その後明治6年(1873年)に県社に昇格した。】
【境内地には弥生時代〜古墳時代にかけての住居跡と見られる能義神社遺跡があり、また近隣には能義神社奥院古墳をはじめとして円墳が数基ある。】
拝殿と本殿は、完全に切り離された別棟ですね。
大体が、途中の火災で再建されているのですが(多くの神社などは)。ここもそのようで・・でも、再建後でも古い建造物です。
夕暮れ間近・・・集合時間もあって・・ちょっと急ぎ足。
なかなかの佇まいです。
さて・・戻りましょうか。
参道口にも神域・・そして・・夕暮れです・・
米子平野から出雲平野って感じでしょうか・・・。
 
練習は・・遅くまでになりました。18時から・・・22時前まで・・その後・・夕食でBig Boyへ、。
俵ハンバーグ+カレーセット/スープセットでお腹いっぱい。
帰りついたら・・・(ノ_・。)・・・1時過ぎでした・・・。明日も早いぞ!